アメリカで出産

テキサス…カウボーイ🤠?

ミシシッピ…トムソーヤの冒険?

オクラホマ…オクラホマミキサー?

ぐらいのイメージしか無かったが、遡る事23年前、主人の長期出張のため、一緒に渡米した。

もうすぐ2歳になる娘と、お腹には4か月の赤ちゃんもいたので、「10ヶ月の出張だし、日本に残ってもいいんだよ?」と言われたけれども、好奇心が旺盛な私は、アメリカ生活と、海外での出産をしてみたくて、半ば強引について行った。

代々同じ職場の人が住んだアパートを紹介されて、まずは3ヶ月間、テキサスのサンアントニオという所に住んだ。こちらのアパートとは違い、広い敷地に二階建てアパートが何棟も建っていて、公園やプール、いくつものコインランドリーがある、ちょっとした町のようなアパートだった。早速、マタニティ用の水着を買って、娘とせっせとプールに通った。人懐っこい子供たちが話しかけてくる。「どこから来たの?」「ジャパンよ、わかる?」「知ってるよ、チャイナの中にあるジャパンだよね」…ソニーやホンダ、忍者は知ってるのに、ジャパンが国だと知らない事にビックリした。その後、地図を見て納得、私たちがいつも見ている世界地図は、日本が真ん中のちょっと左寄りにあって存在感を出しているが、アメリカを中心にした地図を見たら、チャイナの中のジャパンに見えるのも仕方ない。

夏には大きなお腹を抱えてミシシッピに引越し。目の前は海岸とカジノが建ち並ぶ、コンドミニアムだった。暑さが尋常ではない。やはり毎日プールで涼んで過ごした。出産予定日1週間前に、ハリケーン襲来のニュースがあった。ミシシッピ直撃の予報だったが、まあ台風のデッカい版でしょ、くらいに考えていた。現地で知り合った日系の親切なおばさんが電話をくれた。「水は買った?食料は?ハリケーンが直撃したら、ライフラインも全滅するし、道路も通れなくなるから、もう入院しておいた方がいいわよ」とアドバイスをくれた。そんな大袈裟な、と思いつつスーパーに行ったら、見事に棚はガラガラ、どうやら只事ではない雰囲気に大慌てした。結局、ハリケーンは少し逸れて事なきを得たが、それでもコンドミニアムの向かいの棟は、外壁が一部剥がれて飛んでいった。本当に危ないところだった。

いよいよ出産、経産婦なので15分間隔になったところで病院に電話をした。すると、「ナチュラルバース希望ですよね?それなら5分間隔になるまで自宅で頑張ってください」という。嘘でしょ、病院まで30分近くかかるのに、途中で生まれちゃうよ!10分間隔になったところで待ちきれずに出発した。病院に着くと、案の定もう破水している。「あら大変!」とストレッチャーに乗せられ、すぐにガウンを渡されるが、もう着替える余裕もない。丸裸に、前後逆に袖を通した姿で、ボタンも止められない状態で分娩台に上がり、あれよあれよと出産した。立ち会いした主人はその様子をケラケラ笑いながら写真を撮っていて、時折看護師さんに邪魔そうに睨まれていた。

やれやれ、一休みと思っていると、出産後30分も経たないうちに、トイレに行け、と言われる。明日には退院だから、たくさん歩いておくのよ、とも言われる。産後すぐの朝食には、コーヒーとケーキが出た。日本では考えられない事ばかりだった。「ジャパニーズが出産したんだって?私もアジアンだから、嬉しくて見に来ちゃった」とフィリピンや韓国系の看護師さんたちが遊びに来る。「黄色いベイビーだね、黄疸かもしれない」と医者は深刻そうに言って、生まれたての次女は踵から採血された。いやいや、黄色人種だから、大丈夫だから!

翌日には生まれたての次女を抱っこして、ヨタヨタと退院した。その途中も、通りかかる人たちは、ヒョイと覗き込んで、「可愛いベイビーね、いつ生まれたの?」と声をかけてくる。なんだかあったかいなあ、とボロボロの体に力をもらった。

その次女が、来月には結婚する予定だ。赤ちゃんだった記憶がまだこんなに鮮明なのに、早いものだ。いずれ次女も大騒ぎしながら母親になっていくんだろうか。そして私も、かつて母がアメリカまで出産の手伝いに来てくれたように、娘の元に馳せ参じるんだろうなあ。平凡だけれど、そんな未来を予想できるのは幸せな事だと思う。

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