自己紹介
はじめまして、RUIです。
こちらの記事では、私という人間を知っていただくために、簡単に自己紹介をしたいと思います。
私は1983年生まれの東京都出身の男性です。
2006年4月に金融業界の「銀行系クレジットカード会社」に入社し、それから約18年勤め、2023年12月末に脱サラをしました。
現在は「ブログの執筆」をはじめ、「YouTube動画編集・台本作成」、「Instagramでのグルメ情報発信」など、様々な仕事をしています。
個人的には、複数のキャッシュポイントを作ることで安定した生活が送れると考えており、今までに取り組んだ事業は全て収益化しています。
立て続けに収益化できている理由はただ一つ。
成果が出るまで諦めずにコツコツ取り組んでいることだと確信しています。
前書きはここまでにして、なぜ、私が脱サラをしたいと思ったのか?について話したいと思いますが、その前に少しだけ、波乱万丈な人生にお付き合いください。
1.幼少期について
私は東京にある、とある病院で2人兄弟の次男として生まれました。
父親は大手通信会社の社員、母親は自営業(集英社専属契約のマンガ家)と経済的には恵まれた家庭でしたが、父親はほぼ家におらず、母子家庭のような環境で育ちました。
幼少期の私はアトピー性皮膚炎を患っていて、母親が目を離すとすぐに体を掻きむしり、血だらけになるほど酷く、母親が夜中につきっきりで面倒を見ていたため、とても迷惑をかけてしまったと聞いています。
それからすぐに食事療法を取り入れて、添加物をとらない食生活に変えてからから一気に改善しました。
運動の前に食生活を見直すことが本当に大切だと感じましたね。
2.学生時代について
小学校に入学してから、兄の影響でそろばん教室に通うことになります。
当時の目標は兄を超えることでしたが、気づくと兄はそろばん教室を辞めていて、私は東京都の大会で優勝するほどに成長していました。
それから15年継続し、珠算8段、暗算10段を取得し、珠算の日本一を決める日本一決定戦に3年連続出場し、入賞しました。
そろばん教室に通ったことで培ったスキルは3つあります。
①計算力
②忍耐力
③継続力
特に3つ目の「継続力」を身につけたことで、「脱サラ」ができたといっても過言ではありません。
数字に強くなった私は「銀行に入行する」という夢に向かって、中学、高校、大学時代を過ごしました。
しかし、大学3年で就職活動で銀行の面接を受けた時に事件が起きます。
ワクワクした気持ちで集団面接に望み、面接官の顔を見て受け答えをする時に面接官の「目が死んでいる」ことにすぐに気づきました。
当時、何を質問されても、それとなく答えられるようにしていましたが、その表情を見た時に鳥肌がたち、ゾッとして固まってしまったことを今でも覚えています。
きっと入行後の自分の将来像を見ているようで怖くなったんだと思います。
銀行という選択肢がなくなり悩みましたが、金融業界にはどうしても行きたい想いがあったため、当時右肩上がりで成長を続けていた大手のクレジットカード会社に入社することになります。(履歴書を忘れたのに合格したという奇跡が起きました)
3.順風満帆な社会人生活
手前味噌ですが、私はそろばん教室に15年通い続けたこともあり、継続力には自信があったので、とにかく仕事に集中し、実績を上げて、同期の中でも常に一番前を走り、出世をしました。
入社して2年目にプロフェクトメンバーに選ばれ、福岡に転勤。
それから職場で出会った女性と26歳で結婚することになります。
当時の私は1人暮らしで寂しい気持ちが強く、今思えばとにかく「結婚がしたい」という理想に憧れている状態だったと思います。
その後、プロフェクトが無事成功に終わり、東京本社に異動が発令された時の給与は28歳で年収800万円を超え、最年少で管理職候補になりました。
しかし、ここから人生の「まさか」が起こります。
4.人生の「まさか」
東京での生活が始まり、それからまもなくして、最愛の娘が産まれます。
初めての子供だったこともあり、目に入れたいくらい、とにかく可愛い。
でも、毎日遅くまで仕事をしてから帰宅すると娘はすでに寝ている。
その寝顔を見て、「明日も頑張ろう!」という気持ちで過ごしていました。
ところで、どの家庭にも不満はあると思いますが、
皆さんは不満があった時に夫婦で話し合いをされていますか?
私は「男が我慢をすれば家庭がうまくいくという考え」で生きてきたため、不満があっても一切言わずに自分の腹の中におさめていました。
例えば、
出世して年収が一桁上がってもお小遣いは1万円のみ。
会社の飲み会は事前許可制、行けても1次会のみ。
月1で行っていた大好きな旅行が2年に1回のみ。
でも、今の生活が幸せなので自分が我慢すれば問題ない。
そう自分に言い聞かせ、気持ちを押し殺して必死に生きていたと思います。
また、気がかりなことが一つありました。
元妻は内気な性格でママ友ができず、ストレスを抱えていることに気づいていました。
私が支えなければいけないという思いで、良かれと思って伝えたアドバイスが逆に感情を逆撫でし、だんだん夫婦関係が冷え切っていくのを感じました。
このままでは元妻が産後うつになり、育児にも影響が出ることを懸念した私は元妻の実家付近で勤務できる会社への転職活動を始めます。
幸い年齢が若かったこともあり、数社から内定をいただきましたが、元妻は年収が半分以下になる仕事ことに対し、首を縦に振りませんでした。
解決策の糸口をつかめぬまま、ケンカが増え、お互いが今まで我慢していた黒いものを吐き出し、これをきっかけに家庭内別居が始まります。
そして、1年という長い時間をかけてたどり着いた先が「離婚」でした。
まさか自分が経験するとは思っていないかったので人生に絶望しましたね。
5.脱サラの夢
2014年8月に独身に戻りました。
それから娘が20歳になるまで月5万円の養育費を支払うことを約束するため、公正役場で公正証書を作り、約束を明文化しました。
養育費は当然支払うべきものと考えていましたので、給料から手元にいくら残るかシミュレーションをしていましたが、お小遣いが1万円の生活の時よりも手元に残るお金が圧倒的に増えたため、精神的には余裕がありました。
縁あって結婚し、4年連れ添った元妻に感謝でお別れして、新生活が始まります。不思議なもので離婚後は元妻と気軽に話せるようになりました。
基本的に離婚はどちらか一方が原因ということはないと思っています。(DVや浮気、不倫など一部の理由を除きますが)
私にも至らない点は沢山あったので、次に結婚するときには「思ったことは溜め込まず、向き合って話をする」という教訓を得ました。
独身になり、改めて将来について考えることが増えました。
すると、海沿いで仲が良い仲間達とBBQをしている光景が浮かびました。
一生、会社員として勤めて、やりたいことができずに死ぬのは嫌だ。
そう強く思ったことを鮮明に覚えています。
それから、勤務外の時間を使い、副業の情報を調べ始めました。
当然、同じ会社で働いている人は副業をしていないため、外の世界に飛び込み、知らない人と毎日を会い話を聞くという日々を送ります。
当時はネットワークビジネスが全盛期の時代で、マルチ商法や投資詐欺のような、雲を掴むような怪しいビジネスが横行していました。
私は金融業界に勤めていたこともあり、一定のリテラシーがあったため、幸い今まで一度も騙されたことはありません。
スキルを増やすために物販から動画編集、ブログアフィリエイトなど、様々な副業を経験することでキャッシュポイントが増え、成長していきました。
不謹慎かもしれませんが、離婚をしたことで、「水を得た魚」のように自分自身の本来の姿を取り戻していく過程で幸福度があがっていきました。
6.私が提供したいこと
そんな波乱万丈の私の人生ですが、その後、人生を共にする良き伴侶と出会い、6年間の交際期間を経て再婚しました。
また同時期に投資や副業でも成功し、2023年末に脱サラを果たします。
それからセミリタイア日記を書き始め、毎日を好きなように過ごす生活が始まりました。
満員電車に乗ることもなく、台風の日に会社に行く必要もない。
自分の思い通りに時間を使えることはとても幸せでした。
しかし、心のどこかで何か物足りなさを感じていました。
・脱サラして自由な人生を送りたい
・副業収入を増やして少しでも家計を安定させたい
・起業をして、ビジネスをしていきたい
私と同様にこのような理由で困っている人に何かできることはないか?
そう考えるようになりました。
今の私のミッションは「脱サラを目指している方への副業支援」です。
私が経験したからこそ伝えられることがあると思っています。
最後に
長文に渡り、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。
「離婚」という苦しい経験をしたからこそ、気づいたことが沢山あります。
今は自分に正直な人生を送り、最高の伴侶と最幸の日々を送っています。
私が発信する情報が少しでも多くの方の役に立てれば、これ以上の幸せはありません。
ぜひ、今後ともお付き合いいただけると幸いです。
改めまして、ありがとうございました。