私は「自分の老後」に興味がない
突然だが、私は「老後の健康」とか「老後の金」に全く興味が無い。
考えてもつまらないし、特に得るものが無いからだ。
寧ろ”これらを考える事で大きなものを失う”と考えている。
代表的なものは「時間」と「金」だ。
何故老後の事を考えると時間とお金を失うのか?一緒に考えてみよう。
「自分の老後に興味あります!」とか「自分の死について真剣に考えています」という人にとって私がこれから書くことはストレス以外の何物でもないので、ここから先の文章を読まない事を強くお勧めします。
ストレスは寿命を縮める効果があり、大好きな老後を迎えることが出来なくなる可能性が高まりますので。
■未来を考えるのは本来物凄く難しい
当然の話だが、未来を良くしたければ現在を賭ける必要がある。
未来を豊かにしたければ、現在は豊かでなくなる。
遠い未来を良くしたければ、良くない時期が長くなる。
トレードオフだ。
しかしながら、未来(老後)を良くするための行動を行っているにもかかわらず、現在が苦しいと文句を言う人が後を絶たない。
現在を良くしたければ、近い未来への投資を行い、遠い未来への投資を少なくすればいいだけなのだが、それを阻むある強迫観念がある。
それが「老後不安」と「健康不安」である。
誤解を受けるのが嫌なので先に言っておくと、私は未来を考えて動く事は良い事だと思っているし出来るものならやった方がいいと考えている。
しかし、それは資質のある者に限られる。
何故か?
遠い未来を「考える」のは本来非常に難しいからだ。
未来を見て動くには、正確な未来予測が必要だ。
そしてそれに沿って動く計画性と行動力も必要になる。
「頭の良い人」にとってそれは大した話ではないので、さも簡単にできるように感じてしまう。
しかしながら実際のところ多くの人に出来る事は「簡単」で「効果の薄い」ことに限られる。
現時点でも多くの人が、簡単で効果が薄く、それでいて大きな犠牲を払う事を一生懸命行っている。
まるで家畜のように。
これは「頭の良い人」が老後や健康に対して不安を煽り「そのためにはこれが必要だ」と簡単で効果の薄い、それでいて頭の良い人達の利益になる事を圧しつけている結果であり、多くの人の自由意志ではない。
一種の強迫観念みたいなものだ。
それはあまりにも「滑稽」で「残酷」だ。
「頭の良い人」の予測が外れていれば、やっていたことは大方無駄になる。
当たり前の話だが、予測しようとする未来が遠ければ遠いほど精度は落ちる。
やっていたことが間違っていた時、多くの人は他責にするのだろうが、自分で考えて行った結果ではないので自分の現状を変えることはできない。
ただその心配は無いだろう。
多くの人はその予測が外れ、自分がやっていたことが無駄になったとしても気が付くことが出来ない。
そもそも自分で考えて行動できないのだから、自分の間違いにも気が付くことが出来ないだろう。
今まで多くの予測が外れ、多くの失敗を繰り返しても全く懲りていない日本人の状態を見れば明らかだ。
仮に専門家とやらが優れていて、言っている事が正しかったのなら、日本はこんなにも”国家だけが豊かな国”にはならなかっただろう。
私はバカなので遠い未来を考えないようにしている(というか考えられない)。
遠い未来など考えたところで予想が外れるので無駄だからだ。
その代わりと言っては難だが一瞬一瞬を大事にしている。
■老後を考えている人が多いから若い人にお金が回らない
突然だが何故日本政府は若者に投資してくれないのか解るだろうか?
理由は簡単、若い人達が老後の事しか考えていないからだ。
近い未来に投資をしない若い人達は老人と変わらないので、国がお金を使ったところで効果が無い。
政府は「今」お金を使う人達にお金を渡すから経済が回り、税収が立つと考えるので、お金を持っている老人にお金を使ってもらった方がいいと考える。
だから老人を優先する。
残念ながら日本の経済を回しているのは老人なのだ。
もし日本の未来を考えるのであれば、若者が5年~10年程度の未来を考えて行動できるようにし、近い未来を作るのにお金を使う事が大事だという考えを再認識させ、選挙に参加させ、それを叶えてくれる政治家を選べるような環境にしなければならない。
要は若者に対していたずらに老後や健康の不安を煽るのは良くないと言っているのだ。
仮にその不安があったとしても知らない方がマシである。
過去そんな事を知らなった時代は、若者に活気があり、自分の可能性に賭けて挑戦する者が多かった(その分失敗も多かった)が、今は自分の未来がある程度見えている中なので、保守的になり挑戦する者が少なくなった。
あなたが経営者だとして、同じ能力を持った二人の若者を雇用したとしよう。
一人はやる気に満ちており、もう一人はやる気が無ければ、やる気のある方に投資をするだろう?(仮にこの意見に反対であれば、何故そうするのか「平等」以外の理由で説明して欲しい)
近いところに投資をすれば、それを継続することで、結果的に未来は良くできる。
老後なんてものは60歳以降に考えればいいのだ。
若手FPとして仕事をしている時には老後を考えて計画的に資産形成する事や、家や子育て計画もしっかり立てることが、経済的に豊かになるための手段だと信じていた。
しかしそれは達成できたとしてもあまりにも退屈で、生きながらにして死んでいるとベテランFPに近づくにつれ解ってきた。
また予定通りに計画が進まなかった時に軌道修正する力が自分につかないため、その度に困るというおまけつき(例えばコロナで職を失って金が無くなった等)。
自分自身の近い未来に投資さえしていれば、計画が上手く行かなかった時でも軌道修正できるし、仮に計画が上手く行かなかったとしても大きなブレは発生しないはずだ(期間が短いため)。
経済的に余裕を持ちたいなら先ず「老後は気にしない」ことから始めよう。
嘆いていても周囲は絶対に変わらない。
あなたが豊かになり、周りにその考え方を広めれば、自ずと周囲も変わり、
政府も動くだろう。
そうなれば、老後”も”考えられるような余裕が生まれる国になるかもしれない。
ではでは・・・・