休日混むところに出かける人はお金が貯まらない
夏。
コロナの反動で行楽地は盛況。
しかしながらみんな金が無いので国内旅行。
新幹線は混雑、道路は渋滞、割高な宿泊料金で同じサービス。
だから敢えて混まないところを選択するととても安くて経済的。
これを多くの人は頭ではわかっていても実行できない。
そして「夏」でなくても実行できていない。
多くの人は「混む」ところに、人気があるところに行っている、またはやっている自分が好きで、みんなと同じことをやる事で安心感を得たいのだ。
■人は知っているもの(普遍的なもの)を購入し満足(安心)する
知らず知らずのうちにみんなと同じことをやっている人はそうでない人よりも多くお金を払う。
学生の頃「需要と供給」を習ったと思うが、通常売れるものは値段が上がる。
それに対し、性能差がないため値段を下げなければ売れないもの(価格弾性値が高いもの)も存在する。
そういったものは宣伝で人を惹き付けて売ろうとする。
いずれにしろ結果的に「人気」なものに金を払うことになるのだが、前者はともかく後者の場合広告料金が乗っかって性能に見合わない値段になっている。
こういった「普遍的(人気のある)」なものを欲しがる人は少なくとも「得」することはない。
■「得」は個人的なもので「損」は普遍的なもの
得する(とくする)とは何だろうか?
そのままの意味だと「獲得する」事だが、ここでは「他人より利益を得ることが出来る事」だと仮定しよう。
その場合、売れている(数が少ない)時に値段が上がっているものにお金を払う事は購入者利益が減っていたとしても損はしていない。
買いたい人は「その時」に買いたいのであり、値段が高ければ欲しくないとは思っていないからだ。
値段が上がるなら買わないという人はそもそも買っていない。
その商品に関して興味のない人から見たら通常より高い値段で買わされているので損しているように見えるだろう。
この様に購入する人間は「時期」を見ており、購入していない人間は「価格」を見ている。
損得は主観的になっているのだ。
では、売るために値段を下げている(手数料を下げるも含まれる)ものに関してはどうだろうか?
そもそも売れるなら値段を下げる必要が無いので、供給過多であると考えられる。
誰でも、いつでも手に入る状態だ。
この場合、時間が経過する程価格が下がるので、すぐに手を出すと「価格」の面で損するかもしれない。
いつか「この価格なら買ってもいいか」というラインに到達し徐々に売れ出すが、下手に値段を上げるとまた売れなくなるので値上がりする可能性は低い。
売り手はこのような悲惨な状況になる前に広告をうって必死に売ろうとする。
結果広告料金が乗っかった値段で購入することになる。
この手の広告が多い系の商品は購入者がみんな揃って「損」するしかない。
他人より利益を得るどころの話ではないのだ。
この様に「お得」な話というのは個人的な話である事が多く、他人はそれを評価しているにすぎず「損」する話は普遍的なので「損をした話」として話題にならない。
みんな仲良く損するならそれは損ではないという事になるのだろう。
この様に相対的な考え方に陥ると、知らないうちに金を払わされることになる。
■「みんな」がやっているなら距離をとれ
不思議に思うことがある。
何故お金を貯める事に執着しているのだろうか?
どうせ老後のためだろうが、それは自分で考えた結果だろうか?
どうせネットに書いてあったり知り合いが言っていたりしたのではないだろうか?
そのために何を犠牲にするか考えた事は無いのだろうか?
断言しよう。
考えた事は無いし、今後も考えないだろう。
何故ならそのような事は「みんな」考えていないからだ。
インフルエンサーが言うか、そういった広告が流れるまで考えないだろう。
老後の金を貯めさせるだけで儲かる人たちが存在する。
彼らは何故あんなに必死に広告をうち、コラムを書かせ、本を書かせ、動画を作るのだろうか?
そのコストはだれが払っているのだろうか?
少なくとも独自のやり方を開拓すれば“その人たちのコスト”を肩代わりする必要は無くなる。
そういった必要のない金を払わなければ「老後のために必死にならなくても」お金なんて貯まっていくのである。
そのために必要なのはあなたの中に天邪鬼を飼う事だ。
ではでは・・・・