【三流限定】三流は頭のいい人の話を聞くとお金と時間を失う
今回はかなり卑屈な話です。
三流が書く、三流のための「生きづらさ」解消方法についての文章です。
二流以上と自覚している人はこの文章を読んでも得るものが全くないため時間の無駄になるのでお引き取りください。
卑屈な文章が嫌な人もこの先を読まないことをお勧めします。
それでは中身に入ります。
最近「生きづらい世の中」と言われています。
ジニ係数も上がってきているので「格差」の件も相まって、また騒ぎ出す人が出てくるだろう。
確かに、生きづらい。
FIREしてなかったら自殺していたかもしれない。
もし日本に安楽死法があるならば、やり残している事を全て片付けたらさっさと人生を降りたいと思っていたくらいだ。
生きづらさの程度は、能力や環境で変わってくるが基本一定でなく「様々」である。
生きづらさの「原因」はとても掴みづらい。
ただある程度、定義づけて考えなければ「緩和」することが出来ない。
今回は、その「原因」と「解決」について考えてみたいと思う。
■負け組は成功者の話を聞かない方がいい
世の中には優秀な奴と馬鹿な奴がいる。
生きづらく感じるのは圧倒的に後者が多い。
何故なら原因を作っているのは成功者だからだ。
私は能力的にも社会的にも後者に属する。
絶望的に記憶力が無く、英語が苦手で、共感能力が欠如している。
一応大卒だが受験に失敗しているので「有名大学卒」という名札を持っていない。
有名企業に勤めた事もない。
私の履歴書はゴミ以下だ。
就職してもマトモな賃金もらえないし、そもそも雇ってもらえない。
私まだいい方で、更に劣悪な環境に置かれている人もいるだろう。
この様な人間にとって今も昔も「生きづらい」世の中だろう。
ただ「上手く行かない」という生きづらさだけなら解放される方法はある。
人間は比較することで、ストレスを感じたり、幸福感を感じたりする。
私達「負け組」は「勝ち組」の言っている事を参考にして這い上がろうとする人が多い(諦めている人もいるだろうが)。
その時に「勝ち組」の恵まれた能力と環境を目にすることになる。
彼らの意見はもっともらしく“出来れば”素晴らしいものばかりなのだが、私たちにそれを実現する能力は無い。
そもそもそれが備わっていれば困っていない。
彼らの成功は、生まれながらの能力と恵まれた環境に依存している場合が殆どだ(そうでない人いるが本当に少数)。
だから違う人間である私たちは成功者の成功体験を参考に出来ない。
この文章を読んでいる人の中で「成功者」を参考にして一生懸命貧乏して金を貯め、いつか楽したいと思っている人がいるかもしれない。
絶望的な事を言おう。
「成功者」は負け組の「憧れ」も収入源にして更に「成功」している。
私達「負け組」がやる事は「勝ち組」のやり方を模倣する事でも「勝ち組」の言っている通りにやる事でもなく「勝ち組」の誘導を振り切る事だ。
私は若い頃(貧乏な頃)成功者に憧れ、自己啓発本を買い、セミナーに行き、可能な限り試してみたが、何一つ上手く行かなった。
能力が、環境が許してくれなかった。
かなり時間と金を失った。
結局自分をここまで押し上げたのは「自分のやり方」だった。
独学だ。
ブラック企業で夜中まで働きながら、学術書を買い、学問を基礎からやり直した。
理系科目ばかりやっていたので疎かだった、政治、経済、会計、税、を勉強し「お金の仕組み」を頭に叩き込んだ。
これで他人(企業)に依存しなくても稼げる自分になれた。
資産運用をやるなとか、不動産経営をやるなとか、副業をやるなとか言っているわけではない。
自分の能力が低い事を認め、己を知り、学び、実践し、繰り返す。
負け組に出来る唯一で最大の武器である「努力」を使い倒すのだ。
成功者の一部は努力を否定するが、それは誘導で依存させるための戦略に過ぎない。
そもそも「努力しない」というのは能力が高いからこそできる事であり、能力の低い人間は反復することで体に覚えてもらうしかない。
「脳で知る」のではなく「自分のモノ」にするのだ
方法はなんでもいい。
世間で否定されているものでもいい。
成長を阻害する「周囲」を振り切り「オリジナル」になる事だ。
貧しくてもいい、達成感だけでもいい。
馬鹿にされるかもしれない。
「生きづらさ」が自分の人生を良くする手段の独立性を失った状態にあるならば、これで打破することが出来る。
自分の人生の行く先を「成功者」とやらに委ねるから生きづらくなるのだ。
■労働の「やりがい」は賃金のみ
労働者の「やりがい」は「金を稼ぐこと」以外ほぼ達成できない。
何故ならその企業はオーナーのやりがいで動いているからだ。
労働者の立場で自己実現出来る人間は限られる。
自分の「理想」とどの程度合致しているかで見るしかない。
仕事で完全な「やりがい」とやらを求めるなら自分で事業を興すしかない。
金銭的な面や権力の面で「やりがい」を満たすことが出来ないなら、自分を高めて、転職するか、出世するしかない。
「やりがい」は「リスク」と隣り合わせなのだから、安全なところでギャアギャア言っていても、誰も「やりがい」とやらは提供してくれない。
そもそも「やりがい」は人に与えられるものではないのだ。
時間を切り売りしている以上「お金を稼ぐ手段」としてわりきった方が良い。
オーナーも貴方をただの労働力だと思っている。
名前も知らないかもしれない。
無関心かもしれない。
あなたが相当優秀でない限りは。
大きな組織になればなるほど、個人の権限は限定化されていく。
権限が欲しければ人数の少ない中小企業で働くしかないが、それはあなたのキャリアに傷をつけるかもしれない(勿論転職を成功させてキャリアアップする人もいるが)。
ただそれはリスクをとった証であり、自己実現、今でいう「やりがい」に近づいていると言える。
その究極系が自分で事業を興す事である。
これは最大にリスクをとる事で得られる最高の「やりがい」だ。
働くことに対しての「生きづらさ」を感じているなら、さっさと自分を高めて事業を興すといい。
その勇気が無いなら「やりがい」は他の事に向ける事だ。
■二次情報からなる「感想文」から離れる
ネット社会になってからというもの、正誤に関係なく声がでかい人の意見が通りやすい。
その通った意見と逆側に自分が該当した時、居心地の悪さを感じたことが無いだろうか?
人は「自分に有利になる勝手な事を言う生き物」なので他人の発言はビジネスでもない限り無視すればいい・・・それが理想なのだが
目についてしまうのだ。
気になってしまうのだ。
「他人の評価が気になる」それが人間というものだ。
そしてそれが最大の弱点だ。
例えば同調圧力が強い場合「生きづらさ」に直結する。
それを解決する簡単な方法がある。
「ネットは娯楽だけでいい」
ネットは一見便利なように見えるが、それ以上にストレスだ。
考えを圧しつけてくる人が非常に多い。
特に正誤つけづらい定性的な問題に関してはとても多い。
多様性とか言っているのだから、全ての人の意見を尊重し独立していればいいのにも関わらず、統一させていこうとするから、その考え方に感化された人たちが反対意見を持っている人を攻撃する。
そして力を持ってしまうと反対意見を言う事が出来なくなる。
不自由の極みである。
それは様々なジャンルで展開されており、所謂「情報系」のコラムとか動画とかで幅を利かせている。
はっきり書いてあるものから暗に示すものまでキリがない。
それに対し、私たちは「情報」に加工された「それ」を取捨選択する能力がない。
だから、この手のモノから身を守るために遠ざかった方が良いのである。
ではどこで「情報」を手に入れればいいのか?
一次情報を探す事である。
一次情報の多くは「定量的」であり、感情の入る隙間が無いため、少なくとも「感想文」にはなっていない。
こういったものを「情報」として取り扱えば常に中立的な視野を持っていられるし、ストレスも無い。
「生きづらさ」なんてものは感じるまでも無いだろう。
結論だが「生きづらさ」は他人を意識し、比較し、依存している事から発生する。
否定したい人も沢山いるだろうが、先ずは「自分自身をもってみる」事から始めてみてください。
少なくとも「生きづらさ」は緩和されますし、お金も増えていきます。
ではでは・・・・