AIが馬鹿になってしまった原因を取り除くのは多分無理だと思う
最近「AIが馬鹿になってきてしまった」という話題があがっている。
専門家たちは様々な仮説を立て意見を交わしているが、真実を言いヘイトを向けられてしまうのが恐いのか、AI側の問題ばかり議論している。
これでは問題は永久に片付かない。
AIが時間の経過とともに「馬鹿」になるのは必然である。
何故なら原因の殆どは学習対象にあるからだ。
■集合知=凡庸
わざわざ書くまでもないかもしれないが、三人寄れば文殊の知恵とは言いますが10も100も集まるとゴミの山になる。
これはおそらくAIを開発・設計している優秀な方々なら理解しているだろう。
そこから生み出されたAIがどんなに優秀でも、吸収する知識が凡庸であればAIは最終的に凡庸になる。
環境要因というやつだ。
世の中には様々な知的レベルの人間がいるが、最も多いのは所謂「普通」の人間だ。
ネット世界の多数派も「普通」の人間だ。
多数の意見を是としてAIが吸収すれば「普通」の事が正しい事と判断される。
しかしながら「普通」の事は優秀な人から見ると「つまらない事」であり、普通のやり方は優秀な人たちから見ると「ダメなやり方」であり、普通の考えは優秀な人から見ると「馬鹿な考え」になる。
優秀な人がAIは「馬鹿」になったと感じるのはAIが「凡庸」になったことを示しているのだ。
■「馬鹿」なAIが及ぼす弊害
一部を除き人間は怠け者で頭を使って考える事を避けたがる。
ネット検索だけでも考える人間が減ったのだから、AIが登場すれば更に考えなくなるのは必然。
実際論文書かせたり、コラムかかせたり、絵を描かせたり、戦略考えさせたり、している時点で「創造」を放棄している。
そういったAIを「活用」している人間が増えれば増えるほどAIが出す答えは「凡庸」になり彼らはそれで満足する。
そして更に人は考えなくなり、AIの質は下がる。
このループだ。
AIを賢いままにしておくには教育を賢い人に任せ、学習機能を停止させたものを一般に使えるようにする。
今はコレしかない。
偏るかもしれないが、間違った知識を植え付けられるよりよっぽどマシだ。
「AIが馬鹿になってきている」という話が一般化されれば今まで積み上げたものが無駄になってしまう可能性がある。
AIは素晴らしい技術だ。
それを潰さない為にも「学習」に関して再考する時期に来ているのではないか?
ではでは・・・・