長野立てこもり事件のホリエモンの解説

かなり久しぶりに記事を書きます。

長野で立てこもり事件が発生しました。
田舎の名家の長男が起こした事件ということで、ホリエモンがYouTubeチャンネルでそれについて意見していました。
内容的には、
田舎の農家の長男には逃げ場がない。
田舎の濃密な人間関係に窒息してしまった。
東京でもニューヨークでもいいから逃げろ。
という感じでした。

自分は、東京出身で、現在毎年大雪が降るような田舎に住んでいます。
もちろん、ポツンと一軒家というわけにはいきません。
雪が降るからね。
冬の間、家から出ないような生活をしているわけではないので、少なくとも生活ができるような場所で生活をしています。
仕事もしています。
もちろん、近所付き合いもあります。
東京・・・というと語弊があるかもしれないですね。
いわゆる都会よりも人間関係は濃厚です。

だから、近所の情報は、ある程度共有しています。
どこのうちの誰は、どこの高校を出ている。
どこの大学に行った。
今付き合っているのは、隣の集落の〇〇の家のせがれだ。
あのうちの子供は、高校を中退した。
今は〇〇建設で働いている。
あのうちの年寄りは、もうボケてしまって〇〇に入った。
あのうちの奥さんは、今〇〇で働いている。
奥さんの実家は、隣町の〇〇で、お父さんが定年退職して〇〇でカート運びをしている。

そして、
〇〇のうちの子供は、学校に行けなくなってうちで引きこもっている。

それでも一昔前よりもずっとそういう情報は伝わりにくくなったようです。
以前は、世帯年収から集落費を算出していたらしいので、世帯年収も耕作面積も全て共有情報だったらしいです。

個人情報なんてあったもんじゃないです。

そういう土地が息苦しい。
というのは理解できます。
正直な話、結婚も葬式だけではなく、新築ですらあたり近所へ相談をしなければならなかったりしたら、逃げ出したくもなります。
もちろん、現代のインターネットが普及した社会であればなのかもしれません。
元々住んでいる人は、それが当たり前なので、そういった情報が共有できなくなるというのは、不安なのでしょう。
だから、田舎の噂話は正直なところえげつないところがあります。
そういった社会から逃げ出したい。
という気持ちも、わからなくはない。
というのが、私の気持ちの中には存在します。

だから、全力で逃げろ!
人を殺す前に!逃げろ!

現実に、ある一定の周期でこういったいわゆる「八つ墓村」事件のような事件は起こっています。
数年前にも同じような事件は田舎で起こっています。
それは、田舎という環境に原因があるのかもしれません。
犯人の中には、よその土地から移住して馴染めなかったという人もいました。
犯罪事件までは行かなくても、最近は地域おこし協力隊と地元住民との意見の相違から色々なニュースが取り沙汰たされているもの現実です。

じゃぁ、そういった田舎の人間は悪習の中で、漫然と生き続けることに価値を見出しているだけなのか?というと、もちろんそれだけじゃないわけです。
もちろん息苦しさは、あります。
しかし、それは都会にはない息苦しさで、都会で感じる息苦しさはないのです。
最近特に新聞でも記事になっていたLGBTのような方は、こういった田舎では生きづらいと思います。
どんなに社会が広がっても、そういった認識が田舎まで届くには、少なくとも都会の何十倍もかかるでしょう。
そういう意味での閉塞感も田舎には付きまといます。
だから、もしそういった方々が田舎に住むということに抵抗があるというのは今回の犯人以上に自分は理解できます。

しかし、今回の犯人をはじめ、今まで同じような事件を起こした人間はそういうわけではないでしょう。
ホリエモンは、田舎が嫌なら都会に逃げろ。東京へ行け。
と簡単に言います。
しかし、自分の家の周り、もう少し視野を広げて、市のあちこち。
そういったところにいる若者の何割かは、東京に行ってもどうにもならずに戻ってきた人たちがいます。
もしくは、周囲の抑圧がなかったとしても出なかった人たち。
そういう若者は、出たくても出れなかった人よりももしかしたら多いかもしれないです。
自分の環境は受け入れ難い。
でも、都会で東横キッズにもなれなかった人たちが、ここにいるわけです。
そして、鼻から出て行く気がない。
地元サイコー!
といっているのは、お察しの通りです。
そういう人の中には、お堅い役場の職員もいますし、学校の先生もいます。
でも、心の中にある「地元サイコー」という部分が必ずあります。

そういった人たちと交われないのが、
東京に行きたくても行けなかった人。
東京に行ってもやっていけなかった人。
周りの老人たちだけが、彼らの軋轢になっているわけではないというのが現実。

実際問題、長男だから勉強ができなくてもいいと言われていた人も知っています。
彼も現在30歳を超えましたが、見事に出て行くことができない人です。
東京大学に行ける能力があって、そこで仕事もできて、
そういった環境と才能があれば、どうにかなることもあるけど、どうにもならないと毎日過ごしている人が大勢います。

しかし、だからと言ってそんな田舎が全て悪いわけではありません。
田舎の風習も、それなりに意味があって続いてきた部分もあります。
もちろん今となっては時代遅れなところが大半なのですが、それも仕方のないことです。
私が住んでいる雪深いところでは、昭和30年代まで江戸時代と同じ生活をしていたらしいです。
つまり、現在59歳の人でも江戸時代生まれと同じということです。
ここからのイノベーションは凄まじかったらしいです。
それについていけない人が大勢いても仕方のないことです。
だからといって、それに甘んじているような人は、それなりに人間関係が崩れています。
とはいえ、同じ土地に住んでいる人間に対して甘いところは大いに感じます。
特に、余所者の私は、そういう馴れ合いを大いに感じています。
でも、その余所者ポジションのおかげで、ある程度人間関係から解放されているところはあります。
それについてはありがたく感じるようになりました。
以前はちょっと不満でしたけどね。

東京には、底抜けの自由があって、
田舎には、底なしのしがらみがある。

というわけではないということを自分は付け加えたいです。
もし、東京に出るのが怖い人がいたら、まず、実家から出るだけのことをすればいい。
それから、実家の家業から抜け出すことをすればいい。
そこからまた、次のステップを踏むことをすればいいんじゃないかと思いますね。

東京にも不自由はあるし、
田舎には田舎の自由があります

自分は、日々の食事に満足しているし、
自分のパソコン部屋がある家の広さにも満足しています。
わざわざカフェに行って、この記事を書く必要性がない。
他に家族がいても、全く気にならないくらい大きな広い家。
ここに自由を感じます。

車があれば、いつでもどこにでも行ける自由もある。

食事、住むところ、移動の自由。
この自由は、東京に住む人のどれくらいが満たされているのか。
間違いなく、田舎の貧乏より、都会の貧乏の方が惨め。

そこの不自由さを受け入れることができる人だけが、東京に住むことができる人だと、東京生まれの自分はつくづく感じますね。
とはいえ、今から東京で暮らしても、多分暮らせます。
そうなれば、きっとこういう文章は、おしゃれなカフェでも行って、
なんちゃらフラペチーノでも飲みながら、打ち込んだりするんでしょうね。

今は、目の前に広がる青い空と、緑の山、川のせせらぎを聞きながら作業しています。

これはこれで、大変に開放感があり、幸せです。

ただし、人による!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?