初めての軽井沢~モーゼの森編(2)
さて、絵本の森美術館での話。
広い敷地のなかに、第1展示館、第2展示館、第3展示館(ピーターラビット常設展示)、絵本図書館など、広い敷地に展示館が散らばっていて、その間をガーデンがつないでいた。そういう事前情報なしで、いきなり訪れた私たと娘が体験したのは、第1展示館と第2展示館。
第1展示館でとくに印象に残っているのは、「欧米絵本のあゆみ」の説明と展示。彫刻家と画家の関係が取り上げられていた。「彫刻家」と聞いて、最初は立体の彫刻作品を思い浮かべて「ん?」と思ったが、よく考えてみると、絵本が大衆に読まれるようになるには、絵も複製をしなければならないし、複製するためのもとになるものは版画で、それを作るのは彫刻家。だから、いい彫刻家と出会えるかどうかが絵本の作家にとっては大事にという話か、とわかる。
そういえば、江戸時代に流行った浮世絵も木版印刷だったし、と思いながら説明を見ていくと、浮世絵もヨーロッパの彫刻家にも大きな影響を与えていたとの記述が。なるほどと思った。
そのほかにも、見開き1ページに絵を描くことが画期的だったわけや、絵本の登場人物の衣装や田園風景が当時の人のあこがれとなって衣装が売れたエピソードなどもちょこちょこ紹介されていた。
この展示館でいちばんうれしかったのは、そうした歴史に登場する絵本が、手にとっても読めることだ。さりげなく、木の机といすの近くのラックに、絵本が並べられている。下に紹介するのは、初めて見開き1ページにイラストが描かれた絵本。それまでは印刷技術の制約があってそれができなかったとのこと。
そういう歴史的なことを知りながら、手にとって読むと、ちょっと味わいもいつもとは違ってくるから不思議だ。(ちなみに展示館に置いてあるのは原本の英語版。アメリカの絵本はなじみのある英語だったが、イギリスの絵本は、読めない英語の文字がたくさんあった💦💦)
つづいて、第2展示館へ。ここでは、3月16日(土)から6月19日(月)までの期間限定の「アンデルセンのことばと絵本」展。
アンデルセンといえば、「親指ひめ」「人魚ひめ」「マッチ売りの少女」などすぐに思い浮かぶ。今回はこうした物語が生まれた背景には、アンデルセンの生い立ち~「彼の幼少期の思い出や旅での経験、考え方、さらに故郷のデンマーク語独自の表現や文化といったものが色濃く反映されている」ので、「絵本にするのがむずかしい本だった」という観点から読み解いていく試みだ。
アンデルセンという人がどんな人だったのか、彼や彼の両親が生きた時代背景も合わせて知ることができて、とても興味深かった。たとえば、マッチ売りの少女は、貧しい家庭に生まれたお母さんが物乞いに行かされた経験がもとになっているなど。彼の物語は、彼の人生や考えが色濃く反映されているんだなあと思った。
ただ、ちょっと肚おちできなかった部分もあった。それは「絵」についての部分だ。アンデルセンのことばを理解するためには、「絵」がとても大事になるが、その「絵」もデンマークの文化を知らないとむずかしいと解説者は言う。そして、例として、「マッチ売りの少女」の「スト―ブ」の絵をいくつか並べてあって、デンマークのストーブの形を知っている画家とそうでない画家の描き方の違いとして展示されていた点だ。私は、この展示のし方から、デンマークのストーブの絵を描いた画家の方が「正しい」、アンゼルセンの絵本を描くなら、きちんとアンデルセンの人生や彼の生きた文化的、時代的な背景をきちんと学んで理解してからでないといけない、そういうメッセージを受け取ってしまったのだ。そして、そのメッセージに、私は、すこし喉の奥がざらついた感覚を覚えたのだ。
たしかに、「絵」の影響力は半端ない。たとえば、展示されていた複数の「雪の女王」の絵本の表紙の中から、JKの娘は、一つの絵本を指して「この絵本、私は知ってるよ。」と言った。そういわれてみると、昔、彼女が幼かったときに図書館で借りて読み聞かせた記憶がうっすらある。
もしかしたら、その絵はアンデルセンが思い描いた絵じゃないかもしれない。けれど、娘にとっては、それが記憶の中にある「雪の女王」の絵本なのだ。
私は、いろんなアンデルセンの絵があってもいいんじゃないか、と思う。その「絵」は、画家がその物語を読んでイメージした絵でいいんじゃないかと思う。アンデルセンの人生や考えを反映しているのかもしれないし、していないかもしれない。ただ、画家の人生や想いを反映しているかもしれないし、していないかもしれない。そして、その絵を受け取る側も、そうだ。産業革命が進むイギリスで、絵本の田園風景や衣装に癒しや希望を求めた人がいたように、その絵に希望や願望を抱く人だっているかもしれないし、いないかもしれない。それでいいんじゃないかと思う。
それでも、アンデルセンの物語は世界中に広まっている。いわば、世界共通の財産にもなっている。各地で、そこに生きる人々がどんな「親指ひめ」を思い描いているのか、聞いてみたい。解釈がちがうかもしれない。イメージがちがうかもしれない。その違いを分かち合いたい。そして、一緒に、新しい「親指ひめ」の世界を創ってみたい。そう、それが私の次の夢だ!
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