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あざら子、熱発する
なぜだか知らないが、医療関係者は「発熱」のことを「熱発」と呼ぶことが多い。理由はわからない慣習なのだが、なんとなくみんな慣れてしまうので、口をついて「熱発する」という表現が出てくる。要するに「発熱しました」という話である。
前兆はあった。膀胱炎である。ある夜、なんだか異様にトイレが近くて、寝付けないことがあった。しかも、トイレに行ってもあんまりスッキリしないのである。頻尿、残尿感。はい、膀胱炎の有名な症状ですね。
尿というのは、体の外に排出されるまでは、細菌が全くいない、「無菌状態」であるのが普通である。なぜなら、尿の原料である血液も無菌だし、そのあと尿が通っていく経路も全て無菌だからである。細菌に触れ合うことがないので、細菌が混じることもないのだ。
ところが、なんかの拍子に、排尿する穴から細菌が入り込んでしまうことがある。この細菌が、膀胱までたどり着いてしまうと、本来無菌であるはずの膀胱はびっくりして炎症を起こす。これが膀胱炎である。
膀胱炎は一般的には女性の病気で、これは排尿する穴から膀胱までの距離が男女で全然違うからだ。女性はちょろっと遡れば膀胱にたどり着いてしまうのだが、男性の長距離を頑張れる細菌はなかなかいない。なので、男性諸君には(なにか病気を抱えていない限り)膀胱炎は縁遠いだろうし、女性は結構膀胱炎経験者がいる。
とはいえ、膀胱という臓器は、基本的に尿を溜めておくくらいの機能しかない。なので、膀胱が炎症を起こしても、せいぜい微熱が出るかどうかくらいの話で、基本的には、「頻尿」「残尿感」「排尿時痛」「血尿」など、あくまでも排尿に関連する症状しか出てこない。なので、治療も軽いことが多い。抗生剤で細菌を退治してしまうか、そこまでせずに、水を大量に飲んでもらって、尿ごと入り込んだ細菌を押し出してしまうか、その辺の選択は割とドクターによる。
あざら子もまずは水をよく飲むようにしたのだが、なかなか改善しないので内科に行ったところ、やはり水をよく飲むように指導されて帰されてしまった。あざら子としては「水を飲んで良くならないから、抗生剤もらいたいな〜」くらいのつもりだったのだが、まあそうだよね、という感もあった。
ここまでが、笑って話ができた段階の話。
膀胱炎で注意しないといけないのは、膀胱炎自体ではなく、入り込んだ細菌が、さらに体の中を遡って、尿の工場である腎臓にたどり着いてしまう可能性だ。尿を溜めておくだけの袋みたいな膀胱と違って、腎臓は大事な臓器である。しかも、血液から尿を作り出す工場なので、血流も豊富だ。そんなところまで細菌が入り込んでくると、これは大変な騒ぎになる。高熱も出るし、腎臓のあたりは痛くなるし、全身が「やばいぞ」アラートを出す。これが、「腎盂腎炎」、一般的には「腎盂炎」と呼ばれる状態である。
これも結構女性の間では有名な病気で、なぜかというと、妊娠中などは大きくなった子宮に臓器が圧迫されていて、妊娠中に腎盂腎炎を起こす人が結構多いからである。なので、母親から腎盂炎は危ないのよと教えられた女性はそれなりに多いのではないかと思う。
ここまで読んでくれた諸氏は察しがついたと思う。あざら子、腎盂腎炎になりました。
膀胱炎で内科を受診してから2日、ドクターの言う通り一日3Lを目指して水分は取っていたのだが、いかんせん医者という職業は、時と場合によってはトイレに行くタイミングが制限される。それが悪かったのかどうなのか、真相はわからない。
その日は朝は非常に調子が良かった。休日だったということもあり、夫と外出する予定もあったが、外出も全然問題なさそうであった。まあ、ちゃんとコンビニで1Lペットボトルは2本買い込んだんですけども。
ただ、外出する直前に、血尿ではなさそうな出血を確認した。ああこれは生理が来たなと直感する。リプロ外来に電話して、受診しなくてはならないな、と頭の中でタスクをメモする。
そうして始まった外出は順調だったのだが、昼過ぎくらいからだるくなり始めた。体の節々も痛い。当然お腹も痛い。あざら子は生理痛がたまにひどくなることがあるので、「今月は重い方だな」と察した。夫も、あざら子の顔色がすぐれないのに気づいてくれて、外出は最低限にしてさっさと帰ることにしてくれた。深謝。
そのまま、「だるそうだからゆっくりしていていいよ」という夫に甘え、こたつに潜り込む。エアコンはついているし、こたつは暖かい。だが、暖気はどうしても上に集まりがちで、床付近に冷気が溜まりやすい。そのせいなのか、なんとなく肌寒い。最初は足を突っ込んでいただけのこたつに、腰、背中、肩とじわじわ深く潜り込んでいく。最近の寒波マジやばいもんね。寒い。
と言うのは当然フラグである。
あざら子も医者の端くれ、「たぶん寒波による寒さだと思うけど、これ悪寒の可能性も否定できないよね」と思い、勇気を出してこたつから出て、体温計を差し込んだ。ピピっという音で体温計を見ると、38.0℃。はい、終わった。無事腎盂腎炎である。
腎盂腎炎は高熱でしんどいのだが、他にも怖いところがある。それは、腎臓はさっき書いたように血流が豊富なので、何かの拍子に細菌が血液中に入り込むリスクがあることだ。これを菌血症と呼ぶが、何しろ血液に乗って細菌が全身を回るので、命に関わる事態にもなりかねない。あざら子は、初期研修病院では、腎盂腎炎は入院させて経過を見ろ、と叩き込まれていた。ええ、せっかく生理が始まったこのタイミングで入院? 困る〜(後から考えると、入院しようがしまいが、腎盂腎炎なんてヤバめの感染症で寝込んでる最中に、婦人科処置をするのは無理だろうと思った)。
ただ、腎盂腎炎が危険な病気なのはよくわかっている。残念なのは、その日が休日だったので、最初に行った内科が閉まっていたことだ。諦めて夜間救急に行った。このまま入院かな〜めんどくさいな〜。
ところがどっこい、救急対応してくれた先生は「あっじゃあ抗生剤出しときますねー」とさっくり帰してくれてしまった。あれ、入院しなくていいの?
というわけで、あざら子は自宅で腎盂腎炎と向き合うことになってしまった。いや入院も嫌だけど自宅もしんどいよ。いやまあどこにいても高熱はしんどいんですけど。
ちなみに、リプロ外来には、生理と腎盂腎炎が同時に来た話をしたところ、一旦腎盂腎炎に集中しなさいと怒られてしまった。そりゃそう。今回の生理に合わせた採卵は厳しくなってしまった。うーん、悩ましい。また仕事の調整をして給料が減るのかあ……。いっそ、逆に3月がっつり働いて4〜6月バリバリ休んで基本給減らして標準報酬月額下げてしまいたい。だめかなー。