遺伝性乳がんと妊孕性温存の話
<<<注意>>>
今回は遺伝子検査や妊娠などかなりセンシティブな内容を含みます。特に、遺伝子検査については、本人のみならず親戚・血族を巻き込んだ話になるため、慎重な取り扱いが必要です。
遺伝子検査を受けたい人、興味がある人は、きちんとした病院の遺伝カウンセリングを受けてください。自己判断でその辺のよくわからん検査を受けないように。トラブルの元になります。
さて、noteの原稿を書いているうちに、保存したのに全部すっ飛んで悲しみの淵にいるあざら子ですが、今回はお勉強の話。それも、若いうちにがんになったら避けて通れない話をする。
遺伝性乳がん
がんというものは、全身のいろいろな臓器に発生しうる。このがんの原因は何か、と言われると非常に難しいところで、がんの種類によってかなり違いがある。ただ、大きな要素を挙げると、「年齢」「環境要因」「遺伝要因」「偶然」が挙げられる。
年齢はわかりやすい。歳をとるほどがんを患う人は増える。環境要因とは色々なものを含むが、例えば喫煙や飲酒といった嗜好品の習慣であったり、食べるものの習慣であったり、暮らしている場所の環境であったり、仕事の環境であったり、そういうのが関わっている。非常に単純でわかりやすい例を挙げるなら、「喫煙すると肺がんになりやすい」「アスベストを吸い込むと悪性中皮腫というがんになる」というのはかなり有名だろう。偶然、というのは読んで字の如く。本当にたまたま、本人になんの過失もなく、どうしようもなく、うっかりがん細胞が発生することがある。この辺の話をし始めると、「遺伝子損傷の要因とその修復機構」みたいなわりと面倒な話になってくるので割愛する。
今回取り上げるのは上記三項目ではなく、「遺伝要因」の話である。「がん家系」という言い回しは結構一般的で、家族になんらかのがんが多い人というのは結構いる。遺伝と言われるとこのがん家系を想像しやすいと思うが、実は「がん家系=遺伝性のがん」と思い込むのは早計で、「がん家系」と一般的に呼ばれるものには、「同じ環境で生まれ育ってきたから環境要因が似通っている」とか、「実は全然関連性のないがんばかりが偶然いろんな人に発生した」みたいなものも含む。あとは、長寿の人たちが多いと必然的にがんを患う人も多くなる。なので、親族にがんの人が多いからといって、「遺伝性のがんを発症するのでは!?」と怯える必要はない(もちろん、遺伝性でないがんを患う可能性は、誰もが等しく持っている)。
ただ、確かにがんの一部には、遺伝することが知られているものがある。いくつかは原因となる遺伝子が特定されていて、「この遺伝子に変異(バリアントと呼ぶこともある)があると、がんを引き起こしやすい」という遺伝子が知られている。今回はそんな話になる。
さて、30代前半でのがん発症(もちろんまだ確定しているわけではないが、ほとんどクロだと思っている)について、「まあそういうこともあるよね」で納得してしまったあざら子ではあるが、客観的に見てずいぶん若いうちに発症していることは否定できない。上記のように、がんの発症要因には「年齢」も含まれるので、さほど年齢が上ではないのにがんを発症するということは、他の要因、それこそ「遺伝要因」なんかがあるのではないか、という疑いが出てくるわけだ。なので、あざら子も他の若年性がん患者と同様、今後確定診断になったら遺伝子検査をすることになると思われる。
乳がんに関していえば、全体の5〜10%くらいが遺伝性のものだと考えられている。乳がんを引き起こす遺伝子というのもいくつか特定されていて、多分調べればリストが出てくると思う。その中でも特に有名なのが、「BRCA1」「BRCA2」という二つの遺伝子で、遺伝性乳がんの半数以上がこの二つで占められていると言われている。この二つのどちらかの遺伝子が変異していると、乳がんだけでなく卵巣がんも起こしやすくなるため、これらは「遺伝性乳がん卵巣がん症候群(HBOC)」と呼ばれている。割とそのまんまの名前である。
BRCA1/2は「顕性遺伝(昔風にいうと優性遺伝)」という遺伝形式を持っていて、親が変異した遺伝子を持っている場合、50%の確率で子供に遺伝する。このため、あざら子のように若いうちから乳がんになる以外にも、親戚に乳がんや卵巣がんが多い人もHBOCの可能性を考えて遺伝子検査を検討される。具体的には、下記のようなときに遺伝子検査が検討される(ちなみに、下記に当てはまったからといって保険適応で検査が受けられるかは話が別なので、自費診療にならないためにもよく医者と相談してほしい)。
あざら子はこの中で少なくとも「45歳以下で診断された乳がん患者」に該当する。あと、乳房エコーの時にあまり書かなかったのだが、ドクターと検査技師さんが「もう一個ある……?」みたいな不穏な囁きをしていたので(あくまでもスタッフ間の意見交換だったので、正しいかはわからない)、もしかしたら「一側性に複数回原発性乳がんを診断された場合」にも該当するかもしれない。あとは、これは血縁者の個人情報にあたるので詳細は伏せるが、親族に乳がんがいないこともない。なんだか役満みが増してきた。
さて、こんな感じで遺伝子検査を受けて、病的バリアントがあると判明した場合はどうなるかというと、「すでにがんを発症している場合」と「まだがんと診断されたことがない場合」で多少違う。何しろ「あなたはがんになりやすい遺伝子を持っています」というのがわかっているので、基本的には、乳がんや卵巣がんのがん検診を一年に1〜2回受け続けることになる。そうすれば早期発見、早期治療に繋げることができるからだ。
それから、「すでにがんを発症している場合」に該当するときは、「リスク低減手術」というものが選択できる。これは、がんを発症している部分の摘出だけではなく、がん未発症の乳房や卵巣・卵管を、発症する前に取ってしまえ、という発想の手術だ。卵巣や卵管については、出産希望なども絡んでくるため、35歳以上でこれ以降子供を望まない場合に適応になる。このリスク低減手術は、2020年4月から「すでにがんを発症している場合」に限り保険適応となった。まだがんじゃない人は、受けようとすると全額自費になるので注意が必要である。
まあでも、「発症してないのに取っちゃうなんて、想像つかない……」みたいな人もいると思う。ところが、こうした手術には偉大な先達がいるのだ。ハリウッドが誇る名優、アンジェリーナ・ジョリーである。彼女はBRCA1の病的バリアント保有者と判明しており、2013年に両側乳房摘出術、2015年に両側卵巣卵管切除術を受けている。欧米は日本より予防切除術の浸透が早かったが、それにしても彼女は早々に受けた印象がある。その後も彼女が問題なく活躍しているのは、みんなの知るところである。
こんな感じで調べたところで、あざら子もようやく「まあ落ち着け」と言われた意味がわかった。実はあざら子が乳腺外科やHBOCの勉強をしていた当時は、リスク低減手術が保険適応ではなかったので、はなからあざら子の頭の中で選択肢として浮かんでいなかったのである。ところが今は保険適応。あざら子がもしHBOCの乳がん患者なら、病変部分をちょちょい〜っと切ってくる手術でなく、予防も含めて両側乳房全切除をしてしまったほうがいい。遺伝子の有無で術式が変わってくるのだから、「手術いつ頃になりますかねえ」とか聞かれたらそりゃ「そんな焦りなさんな」と言うしかないわけだ。すまないドクター。粛々と遺伝子検査を受ける所存です。でも予定は知りたいんだ。〇〇月のイベントに参加できるかどうかとか、〇〇月の旅行の予定をキャンセルしたほうがいいのかとか、仕事休むのいつになるかとか、そういう意味で。
妊孕性温存
さてもう一つ、若年性がん患者では避けては通れない話。妊孕性(にんようせい)の話である。全く一般的な言い回しではないのだが、「妊孕性」と言うのは要するに「子供を作る能力」みたいなやつである。要は、不妊症にならないためにどうしたらいいか、という話だ。
がんの治療方針は多岐にわたっていて、がんの種類、ステージ、タイプ等々で全く変わってくるので詳細は割愛するしかないのだが、妊孕性に関連してくるのは主に「化学療法(抗がん剤など)」と「放射線療法」になってくる。抗がん剤にしろ放射線にしろ、がん細胞を殺すためにはそれなりの威力が必要になる。一方で、卵巣や精巣、生殖細胞と呼ばれる細胞たち(卵子や精子など)は非常にデリケートで、抗がん剤を打ったり、卵巣や精巣に放射線を当てられたりすると、あっという間に卵巣機能・精巣機能の低下、不妊に至ってしまう。でも、やらなければがんで死ぬだけである。あちらを立てればこちらが立たず、じゃあ治療開始前にどうにかジタバタしたら、治療開始して不妊になっても子供を作る可能性を残せるんじゃないか、というのが妊孕性温存の発想だ。
実際に「どうにかジタバタ」って何をするのかと言われると、次のようなやり方がある。
胚(受精卵)凍結
未受精卵子凍結
卵巣組織凍結
精子凍結
基本的にどれも、卵子や精子を採取して、それを凍結保存しておいて、がん治療が終わって妊娠・出産が検討できる時期になったら、解凍して体に戻す。いわゆる不妊治療みたいなことを、凍結時期を経て何年か越しに行う形になる。
一風変わっているのは卵巣組織凍結というやつで、これは卵巣自体を部分的に取り出して丸ごと凍結保存しておき、がん治療が終わったら体に戻してあげるというものだ。女性の諸氏なら想像可能だろうが、排卵誘発剤を使っても採取できる卵子というのは数限りがある。一方、卵巣組織ごととっておくことができれば、排卵する前の卵子のもとをたくさんとっておけるので、数の限りをあまり心配しなくていい。しかも、卵巣機能も復活するため、卵巣ホルモンの補充をしなくてもいい。難点は、さっきまで書いていたようなHBOCの場合は、卵巣がんのリスクがあるのでダメ、というくらいだと思う。
こうした処置をすることで、がん治療が終わっても、子供を望むことが可能になる。じゃあみんなこれをスタンダードに受ければいいじゃないか、と思われるかもしれないが、実はそう簡単でもない場合もある。
まず、上記のように卵子や精子、卵巣を採取する必要がある。特に卵子の採取の場合、排卵誘発剤を打って、排卵したタイミングを見計らって採取し、とあれこれ手間がかかる。その間にがんが進行してしまったらどうしよう? そんなわけで、妊孕性温存治療は、がん治療を妨げない範囲でしか行えない。要するに、今日明日にでも治療を始めないと死にます、という状況では受けることができないのだ。
第二に、これらの治療全て、保険適応外である。つまり基本は全額自費負担なのだ。ただし、43歳未満なら助成金が出る可能性がある。逆にいうと、助成金の条件に当てはまらない限り、全額自己負担でやる覚悟を決めなければ受けられないというわけだ。少子化をとめたいならどうにかせえよと思わないでもないが仕方ない。
あざら子は幸いなことに43歳未満なので、助成金を期待することができる。もちろん、妊孕性温存が必要な治療を受ける場合である。その辺がわかるのはまだ先なのでまたドクターに「まあ落ち着け」と言われてしまうかもしれないが、事前に知っておくに越したことはない。
いやしかしこういうの言ってもらえないと普通はわからんよなあ、不親切よなあ、という気持ちはある。なんかこう、「がんになったら必要なことまとめ!」みたいなのほしいよね。