底辺医師、針を刺される
さて、乳腺外科初診の朝である。出勤と同じくらい早くに家を出て、予約した病院に行く。今日は急がねばならない。なぜなら、もともと友人と会う予定の日に外来をねじ込んだからである!
これには深い理由がある。ちょっとまあ尋常じゃなさそうな内容で「今すぐ病院に行け」と言われた経緯は、前回記事で書いた。あざら子も流石にまずそうなのは察したので、その場で病院の予約を取ったのだが、初診予約できる最速の日がこの日しかなかったのである。友人との約束が入っていたのは当然承知していたが、これでも医者というちょっと面倒な身であり、勤務に穴を開けるときは代診医を探す猶予が必要なため、気軽に数日後の休みを申請することができない。この日を逃すと、次、どこで予約が取れるかわからない。
幸いにも、友人とは気のおけない仲で、事情を話せば時間を融通してくれるくらいの信頼関係は築けている。そんなわけで、友人には「外来が終わったら連絡する」という約束に変更してもらい、この日の朝イチで病院に行くことにした。
だってほら、初診である。マンモグラフィの画像は紹介状につけてもらうにしても、病院で改めての画像検査も必要になるだろうし、確定診断には生検というしこりの組織を採ってきて顕微鏡で眺める検査が必要になる。生検をする場合はやや太めの針を刺すことになるのだが、当然出血するため、血が止まりにくい病気とか、血液感染する病気とか、そういうのを持っていないかどうか事前に採血検査が必要になる。もし今後手術が必要なら、全身麻酔に耐えられる心肺機能があるかどうかも検査が必要だ。こんな諸々の検査を、全部初診にぶちこめるわけがない。初診なら、「がんの可能性があるので詳しく調べましょう」という説明があり、レントゲンなり画像検査なりし、採血して残りは後日! というのが濃厚な線だろう。それくらいなら、朝イチで受診すれば昼くらいには解放されるはずだ。午後からゆっくり友人に会えばいい。そんな推測のもと、あざら子は一刻も早く友人に会うべく、朝早くから病院に行ったわけである。
仕事の早いドクター
診察をしてくれたのは、物腰柔らかなベテランそうなドクターであった。マンモグラフィ画像も見せてくれて、一から丁寧に状況を説明してくれる。あまりにも丁寧すぎて、「あの、医者の端くれなのでほどほどで大丈夫です」と言いたくてムズムズし始めたが、これを言われた方はかなりペースを崩されるのをよく知っているので、聞かれない限りは言わないことにした。知っているものとして、うっかり忘れ去っているあたりの知識の話を省略されても困るし。
ベテランドクターの話は流れるように滑らかで、かつわかりやすい。何度も何度もいろいろな患者に説明してきて、洗練されているのを感じる。あまりにも丁寧で、電子カルテの片隅に乳がん知識まとめのスライドを表示して、今の状況をわかりやすく教えてくれるのには参った。準備万端すぎる。同業者として素直に尊敬する。
彼は滑らかにマンモグラフィ画像のまずそうな点を指摘すると、考えられる可能性(一応まだ悪性と確定したわけではないので)、それに必要な検査を挙げていく。うんうん、予想通り。こちらとしては、「オペするならいつ頃ですか?」とか聞こうかと思っていたのだが、ちょっと気がはやりすぎたかもしれない。まずは確定診断の話、当然である。
「そんなわけで、最終的には、針を刺して、ここの組織を採ってきて、本当に悪いものか確認します」
「はい」
「検査は今日の午後か、来週の平日ですかね……」
「!?!?!?」
おっと話が違うようだ。
予想だにしなかった、初診当日に生検コースを提示されて、あざら子は言葉に詰まった。本日の午後は友人と会う予定がある。だが、前述したように、来週の平日にホイホイ休みを取ることはできない。苦渋の選択である。友人には丁重に謝罪した上で、予定を変更してもらうしかない。友人も事情を知っている上、理由が正当であればこういう如何ともし難い感じのドタキャンを許容してくれそうな人柄であるのが救いである。
ちなみに友人とは、ちょっとしたアトラクション施設に一緒に行くことにしていたのだが、チケット譲渡が可能な制度だったので、ソロで遊びに行くことにした。一緒に行けないなら諦めるという選択肢はなかった。オタクの行動力は舐めないでいただきたい。
2回目のマンモグラフィと初めての乳腺エコー
当然だが「うちの病院でももう一回マンモグラフィ受けてね」という話になり、人生で2回目のマンモグラフィを受けることになった。マンモグラフィなんてもちろん人生で何度受けてもいいと思うのだが、1回目の数日後に2回目を受けるのはなかなか予定が詰まりすぎていて面白い。
今回は「この前やったし、流れも痛さもわかってるしいけるっしょ!」と割と気軽な気持ちで検査に臨んだ。今回も機械に挟んで、挟ん、痛え。前回はスクリーニング検査、今回は本気の腫瘍精査という違いからなのか、それとも機械とか施設とかで基準が違うのか、はたまた検査技師さんの加減の問題なのかわからないが、これは確かに痛い。いや、我慢できないわけではないんだけど、前回の「な〜んだチョロいじゃん!」ってほどではなかった。これは「痛い検査ですよ」と警告されるのも仕方ない。
そしてそれより何より気になったのが、なんかすごく気を遣ってくれる技師さん。確かにあざら子は検査に不慣れだったかもしれない。それにしても、なんかやたらと慰められている。なんかやたらと褒められている。これは「我慢できないわけではない」とか言いつつあざら子の顔が引き攣っているのか、単にすごく丁寧で優しい技師さんなのか、どっちだ。結局よくわからないまま、褒めちぎられて労られて、人生2回目のマンモグラフィは終わった。
そのあとは乳腺エコーである。流れるように生理検査室をスキップされてしまい、「エコーって生理検査室じゃないのかな……!?」と半ばパニクりながら診察室に戻ったら、診察室でドクター自らがやってくれるタイプのエコー検査だった。それはそうか。アホの子すぎて照れ笑いをしながら大人しく横になる。
出てきたのはすごく高そうで新しそうな機械だった。あざら子もその昔ちょろりんと簡単な腹部エコーくらいは当てていたことがあるが、あれはどうせ非専門医が扱うものだからと使い古されていた(扱っているドクターに粗雑な人が多くて、傷んでいたというのもあると思う)。それに対し、今回鎮座しているのはピッカピカの最新鋭っぽいエコー機械である。端子も壊れていないし、映る画像もとても細かくて綺麗だ。さすがは専門医が用意しているエコーである。たぶん高い。エコー検査といえば検査に使うゼリーがひんやりして患者がビクッとすることで有名だが(?)、このエコー機械はゼリーを温めてくれる機能もついていて、全然ひやっとしなかった。とても患者に優しい。あとなんかAIで正常な組織か悪そうなものなのか推定もしてくれるらしい。最新鋭すぎる。たぶんとても高い。
乳腺エコーは実はきちんと勉強したことがなくて、外科の先生が「ほら、こういうふうに見えるんだよ〜」と見せてくれたくらいしか知らなかったのだが、今回のベテランドクターはきちんと画面を見せながら説明してくれた。ふんふん、皮下脂肪に乳腺組織、うんうん。そして突如現れる明らかにヤバそうな低エコー域(エコー検査で黒っぽく見えているところ)。おおお、悪そうな顔をしている、気がする。いや気のせいかもしれない。正直自分に医学知識がなかったら、「ここがあやしい腫瘍部分ですね」と言われて「あの辺かな〜」と納得できたかはわからない。ただ、少なくとも現在のあざら子には「なんかあるな」と感じ取れる程度の変なものがあった。
健診の日に電話がかかってきたあと、何度か自分でぐりぐりとしこりを触って、サイズなども見当をつけていたのだが、エコーで見えている腫瘍は予想よりだいぶ小さかった。想定の半分くらいのイメージだ。まあ素人の触診なんて正確性には欠けるし、周りの乳腺組織も巻き込んでしこりとして触知していたのかもしれない。小さいぶんにはウェルカムである。大きいよりよっぽどいい。
やっぱりマンモグラフィ再検とエコー検査でもあやしげで、無罪放免とはいかないねと、当初の予定通り当日生検を行うことになった。展開が早すぎる。
そして迎える針生検
採血の結果も問題なく、再び診察室に横たわることになった。別の処置室でやるのかと思っていたのだが、ここは診察室兼処置室のスタイルらしい。まあ確かに、生検というのはそんな大仰な準備が必要な検査ではない。
しこりが本当にがんかどうかを確認する検査には、あざら子の受けることになった針生検以外にも、吸引細胞診という、しこりに針を刺してそこの細胞を吸い込んでくるという検査もあるのだが、今回のあざら子のケースについては、細胞診で細胞が取れない可能性もありそうで、針生検の方が正確に診断できそうだと判断されたらしく、吸引細胞診より一段と針が太くなる針生検を選択された。まあ、正確性の高い検査をして欲しいので、別に針生検に否やはない。
あざら子自身、乳がんではないにしても、なんらかの生検を見学したり手伝ったりしたことはあるので、生検の流れはよくわかっている。まず患部を消毒する。それから局所麻酔をかける。麻酔をかけないと流石に痛すぎるサイズの針だからだ。麻酔が効いたら、生検の針を刺す。この生検の針は、例えていうなら地面のボーリング検査に似ているというか、真ん中が空いている筒のような形になっていて、針を刺してその筒の中に入り込んだ部分を切り取ってくる構造になっている。ここの筒の内部で切り取れる組織にそれなりの大きさが必要なので、必然的に針も大きくなるわけである。これで十分組織が取れたら、針を抜いて、ぎゅっと圧迫止血。はいおしまい。
ほーら手順もわかってるし怖くない、麻酔かけたら痛くないしね、と思っていたのだが、消毒が終わり、局所麻酔が終わり、生検針が出てきたあたりで、思わず口が引き攣った。いや知っているのだ、生検針が太いのなんてずっと前から知っていた。いやしかし、「自分に突き刺さるもの」として認識するとなると、いやはや太い。太すぎやしないか。ベテランドクターが「何も見えないと怖いだろうから」と気を利かせて清潔な覆い布を顔のところだけ除けてくれてしまったので、引き攣った顔を隠すわけにもいかない。容赦なく目に入る極太針。頭では麻酔が効いているとわかっている。でもあれ刺すの? あの太さを? 痛くないの? ほんとに? パニックになる頭の中、容赦なく進んでいく検査。「押される感じしますよ〜」と掛け声と共に襲いくる針。確かに押される感じはあるが痛くはない。だが本能が恐怖する。いやこれ本当に痛くないの? 次の瞬間痛くなったりしない? でも痛くないのだ。そうこうするうちに無事にしこりに辿り着く針。「それでは組織をとっていきますね〜」針が唸りだす。ウイーン。ウイーン!?!?!? それ自動で動くやつなの!? ピアッサーみたいにパチンって針出すんじゃなくて!?
大パニックになるあざら子をよそに、検査は粛々と進み、無事に組織が回収されていった。あざら子もパニックにはなったが意地でも身動きはしなかったので、たぶん問題なく終わったはずである。ただたぶん血圧はかっ飛んでいる。知らんけど。
そんなわけで、あざら子のしこりの組織は無事に検査に提出された。結果がわかるのはだいたい1週間後である。さて、本当にあざら子は乳がんであるのだろうか。
……ということになっているのだが、状況的にクロすぎやしないか、というのがあざら子のスタンスである。しかも、シロなら無罪放免だが、クロなら手術なり化学療法なりやることが山積みなのである。あざら子はまだ一応妊娠可能年齢なので、化学療法をするなら子供をどうするかも相談せねばならない。そもそもあざら子の職場は1ヶ月前には休暇申請をするべきなので、手術なりで欠勤が確定している範囲は、日程が判明し次第連絡しなくてはならない。
などなど、先の見通しを立てたくてベテランドクターを質問攻めにしたところ、
「そんなに焦らなくても大丈夫ですよ(にこ……)」
と言われてしまった。
……あれ、これもしかして、「がんを疑われてあれこれ調べすぎてパニックになってる患者」と思われてる?