あざら子、抗がん剤やろうねと言われる
ついにな感じの話になってきた。
復習の話をすると、乳がんはサブタイプによって治療の仕方が全然違ってくる。あざら子は事前の生検で「ER陽性HER2陰性Ki-67やや高め」と診断されていて、LuminalBというタイプに相当していた。
ただ、あざら子のがんがそれほど大きくないこと、画像上リンパ節転移もないことなどから、いつもの燻し銀ドクターからは「それほど進んでないと思いますよ」「術後はホルモン治療で、抗がん剤はいらないと思います」と言われていた。ここまでが、手術前の話。
手術では、がんの塊全部を取ってくる。つまり、生検のようにごく一部だけでなく、全体の状態を分析することができる。この分析(病理結果)は、二週間近く入院してれば入院中に間に合うかなーと思っていたのだが、あざら子の見込みが甘かったか、それとも年末ギリギリすぎて普通に勤務が間に合わないのか、入院中に結果が出ることはなかった。なので、退院後の初乳腺外科外来で結果を聞くことになっていた。
結論をまとめると、以下の通りになる。
腫瘍径23×19×18、センチネルリンパ節ミクロ転移陽性でT2
ER陽性、PgR陽性、HER2陰性、Ki-67 32%
核異型度3、組織異型度3
普通になんのこっちゃだと思うので、自分の復習も兼ねて丁寧に説明していきたい。
腫瘍径
読んで字の如く、腫瘍、つまりがんの大きさである。単位はmm。つまり、あざら子には約2センチのがんがありましたよということになる。センチネルリンパ節
乳がんがリンパ節に転移する時、「まず最初に辿り着くリンパ節」のことをセンチネルリンパ節と呼ぶ。リンパ節転移がある場合、リンパ節も郭清といって取り去る必要があるのだが、乳がんの場合腋の下のリンパ節を郭清する必要があり、これをやると腕のむくみなど副作用が本当にひどいので、やらないで済むならやらない方がいい。このため、最初に辿り着くはずのセンチネルリンパ節に転移がなければ、他のリンパ節も無事だろうから、リンパ節郭清はやらない、という判断をすることができる。このため、手術中にセンチネルリンパ節を探し出して、術中迅速診断という手法で転移があるかどうかを診断し、必要がなければリンパ節郭清を省略する。
あざら子の場合は、実は術中迅速は陰性だったそうなのだが、改めて標本を作り直したところごく小さな転移が見つかったらしい。
こういう、ミクロ転移と呼ばれるものは少し扱いが難しい。昔はリンパ節郭清を追加していたらしいのだが、してもしなくても治りにあまり影響がなさそうだというのが研究でわかって、最近は副作用を厭うこともあってリンパ節郭清は省略するのがメインのようだ。あざら子も再手術はなしと言われた。T2
基本的に固形のがんにはどんな種類でも「TNM分類」という分類が作られている。「腫瘍(Tumor)の広がり具合」「リンパ節(Lymph Node)への転移具合」「他の臓器などへの遠隔転移(Metastasis)」の3項目で、評価項目をそのまま呼び名にしただけのつまんない名前の分類なのだが、これががんの進行度を評価するものすごく重要な分類になる。TNM分類が存在しているがんで、TNM分類を評価しないことは絶対にない。なんならTNM分類を元によく言われる「ステージ」というものを決めていく(TNM分類がどうだとステージが幾つになるかは、がんによって全然違うので一口に語ることはできない)。
あざら子の場合は「だいたい2センチ」と前述したが、この20mmというのが実は境目で、20mmを超えるとT(腫瘍の広がりの項目)が2と判定される。数字は小さければ小さいほどいいので、T2はものすごく平たくいうと「まあまあちゃんとしたがんがあるね」くらいのクラスだと思う。ER、PgR、HER2、Ki-67
前者二つは「エストロゲンレセプター」「プロゲステロンレセプター」と読み、一般的には「ホルモン受容体」とまとめて呼ばれることが多い項目である。
ここら辺は、以前の記事で紹介した、乳がんのサブタイプを分類する項目である。ご存知の方は「はいはいアレね」でいいし、ご存知ない方はもう一回説明するのが面倒なのでこの記事の後ろの方を探してほしい。
核異型度、組織異型度
この辺の理解がしやすいかどうかは、かの有名な漫画「はたらく細胞」のがん細胞のエピソードを読んでいるかで変わってくる。平たくいうと、がん細胞というのは、正常な細胞と比べて、変な形をしているのである。この「変な形具合」を評価しているのが、核異型度と組織異型度である。当然ながら、「変な形っぷり」はひどければひどいだけ進行が悪い。医師はよくこれをざっくりと「顔つき」と呼ぶことが多く、「顔つきが悪いね」というのは罵倒ではなく「異型度が高くて良くなさそうながんだね」という意味である。
核異型度、組織異型度ともに3段階で評価され、数字が小さければ小さいほど良く、大きいほどに「顔つきが悪い」ということになる。つまり、二つとも3になってるあざら子の乳がんはそれはもう極悪な顔をしている。たぶん泣く子も黙るやつ。冗談はさておき、かなりやばめの見た目のがん細胞が出てきちゃった感じである。
ざっくりした解説はこんな感じ。前述したようにサブタイプの推測はついていたものの、抗がん剤までは要らないだろうと思われていたが、蓋を開けてみたら思ったよりヤバめなやつが出てきてしまって「あ、やべ」みたいな気持ちである。あざら子がね。
さすがにこれだけガッチガチに悪い顔のがんを放置するわけにもいかず、燻し銀ドクターからついに「やっぱり、抗がん剤も使用した方がおすすめです」と言われてしまった。この燻し銀ドクター、口ぶりは柔らかいのだが、彼の言う「おすすめです」はたぶん「医学的には絶対にやるべきです」くらいの力強さだと思われる。一応復習のためにもう一回乳がん診療ガイドライン(患者向けじゃなくて医師向けの方)読んでみたけど、確かにそこにも抗がん剤使用が推奨されていた。うん、まあ当然である。
さて、抗がん剤といえば悪名高いというか、がん治療のためには避けて通れないけど、副作用もたくさんあってとても苦労する治療である。特にあざら子は術前はホルモン治療だけでいいかもと言われていた分、落差が大きいはずなのだが、相変わらずあざら子はあんまり動揺できず、元気よく「アッハイ」と答えてしまった。いや、もう職業バレてるから別にいいんですけど。
なんでそんなに動揺しなかったのかと言われると、はっきり答えるのは難しいのだが、やはり医師として抗がん剤治療中の患者を山ほど見てきたこと、あとは術前から「たぶんということは抗がん剤やる可能性もあるな」と想定していたことがあるかもしれない。あざら子は基本的に、何か定まらない未来のことを考えるとき、自分の想像の及ぶすべてのケースを想定しておく癖がある。想定したからといって何をするわけでもないのだが、「○○の場合はこうした方がいいな」「××ならこういうことが必要かも」と事前に考えを巡らせておくことで、結論が出た時にサクッと動けるのである。というわけで、今回も周囲には「ホルモン療法になると思うって言われてるよ〜」とは言いつつも、「もし抗がん剤もって言われたら何したらいいかな」とかあれこれ考えていた。なので、ショックな告知というよりは「未確定だった未来が確定した」くらいの感覚である。この感覚があんまり多数派でないことは承知している、うん。
抗がん剤治療について
さて、一口に「抗がん剤」といっても、世の中には数え切れないほどの種類の抗がん剤がある。作用の仕方からしても、アルキル化剤、代謝拮抗剤、抗がん性の抗生物質、アルカロイド、白金製剤などなどあるし(この辺は医師や薬剤師でなければ覚えなくていいところです)、抗がん剤とは少し違う分子標的薬なんてものも山ほど開発されている。そしてそれぞれの種類ごとに、薬剤がいくつも開発されているのである。さらに、実際の治療となると、これを複数組み合わせて投与することになる。組み合わせは、がんの種類、進行度にもよって多岐にわたる。つまり、もう列挙とか無理である。なので諦めてあざら子個人の話をしよう。
あざら子はTC療法という抗がん剤の組み合わせをすることになった。TC療法とは、「ドセタキセル(Docetaxel)」「シクロホスファミド(Cyclophosphamide)」の2剤で治療する方法である。なんでドセタキセルは頭文字じゃないかって? そこは追求し始めると止めどない薬剤の商品名と一般名の迷宮に迷い込むことになるのでお勧めしない。あと、よく調べると同じ略称になるのに全然違う治療法もある。みんな、自分の治療は「TC療法」みたいな略称だけじゃなく、薬剤名までちゃんと把握しておくといいと思う。閑話休題。
抗がん剤といえば副作用である。有名なのは、免疫が落ちること、脱毛、口内炎、消化器症状あたりだろうか。なんかすごくちょうどいい冊子が無料でネットに落ちていたので共有しておく。
https://www.nichiiko.co.jp/medicine/file/90920/patient/1/N201900051.pdf
抗がん剤にはすごくあるあるなのだが、「骨髄抑制」と言って、血の工場である骨髄の機能を一時的にボコボコにしてしまう作用がある。「はたらく細胞」既読の人はアレを思い出してほしいのだが、骨髄の機能が落ちると、酸素を運ぶ赤血球、外敵から身を守る白血球、出血を止める血小板など全部が減ってきてしまう。中でも致命的なのが白血球の減少で、普段なら不調にもならないうちに「死ねェ!雑菌!」されている外敵に気軽に体がさらされてしまうようになる。これが「易感染性」と呼ばれている状態で、「抗がん剤中は免疫が落ちるので、人混みを避けましょうね」みたいなやつはまさしくこれのことを指す。早く帰ってきてください前野智昭 佐藤健好中球さん。
あとは脱毛も目立つしショックが大きいので有名なところだろう。頭がつるっぱげになっちゃうイメージがあると思うが、そもそも毛根が根こそぎやられるので、眉毛からまつ毛から脇毛からシモの毛まで全部抜ける。全身つるっぱげになる。不幸中の幸いというには幸いが小さすぎるが、脱毛は痛みは伴わない。お風呂の時とかに髪の毛を引っ張るとスルッとどっさり抜け落ちていくようである。見た目が激烈に変わってしまうのでショックが大きいと思うのだが、今時はフルウィッグから部分ウィッグ付きの帽子まで色々なものがあるので、少し元気が出てきたらウィッグでのおしゃれを楽しんでほしい。あざら子は医療用ではなくファッションウィッグをどっさり買い込んで再現困難なヘアカラーやヘアスタイルを楽しむつもりでいる(※脱毛時や、その後の生えかけの時期の頭皮は敏感なので、本当は医療用ウィッグをきちんと使うのが望ましい。あざら子のようなお遊びは自己責任でやってください)。
あとは、口の中や消化管の粘膜にもダメージがある。なので、口内炎がひどくて苦痛だったり、下痢が止まらなくなったりすることもある。こういう時に無理に食事を詰め込もうとすると、さらにストレスがかかってしまう可能性もあるので、脱水にならないよう水や白湯はちびちび飲みつつ、刺激の少なそうなお腹に優しいものを食べられる分だけ食べておくといい。粘膜がダメージを受けているので、ここで踏ん張っても傷に塩を塗り込むだけである。粘膜が治るまで待ってあげよう。
抗がん剤治療は、種類によっては入院必須のものもあるのだが、TC療法は幸にして外来投与可能な治療である。なので、あざら子は抗がん剤中も働くつもりでいる。もう職場にもメールした、えらい! いやだって休むとただただ給料がなくなるので。あとは、夫氏に「家にいたらごろごろしちゃって体力落ちそうだから、通勤分だけでも動くようにしたら?」とぐうの音も出ない正論を言われたからです。その通りすぎた。動きます。
妊孕性温存
そして抗がん剤より何よりめんどくさいのがこれである、妊孕性温存! 何が面倒って、採卵をするためには生理周期に合わせてウンタラカンタラで最終的にあざら子は休みを取らねばならない。生理周期に合わせて通院して突然休むってなんだよ、生理周期なんてストレスですぐズレるよ。半ギレで申し訳ないが、ズレも込みで休暇を申請せねばならなかった。あざら子の給料!!!
幸いにも職場は理解が良く、すぐに休暇の許可が降りたのと、以前受診したリプロ外来も電話したら予約が取れたので、ここからのあざら子は、抗がん剤の前にまず受精卵凍結を目指して戦わねばならない。抗がん剤治療が必要になったことより、この辺の諸々の調整の方がよっぽど心理的に負担が大きい。めんどい。めんどうくさい。だが社会人として調整する責任がある……。「若いうちの卵子を残しておけるのはいいことだネ」とかなんとか自分を慰めながらTo Doリストを消化している。みんなこんな調整と戦っているんだなあ、全ての患者の努力に涙が出る思いである。
あざら子がとても幸運なのは、夫氏が全面的に協力的なことだろうか。夫氏はド理系スーパードライ男子なのだが、「自分の体験していないことを軽視しない」という大変素晴らしい長所を持ち合わせている。なので、(一時的に過保護マシーンになったりもしたが)過剰に心配はしないものの、こちらが心配事や困り事などを相談すると、きちんと検討して協力してくれるのである。採卵に関してもスケジュールを共有したら自分のやるべきこと、できることを検討したり、抗がん剤治療についても副作用を聞いて「じゃあこうしたらいいかな」など一緒に考えてくれている。
これが、指示待ち人間系の操縦が必要な配偶者の場合、自分の調整だけで手一杯なのに配偶者の操縦までしなくてはならないのは手に余る。なので、もしこの記事を読んでいる人に、配偶者ががんになって治療を控えている人がいたら、ぜひ「やってほしいことを言われるのを待つ」のではなく、「自分は何ができるか」を自主的に考えて、配偶者と情報共有してほしい。それだけできっと配偶者は安心できるからね。