バスタオルは包容力があるよねって話
毛量が多くて剛毛なうえに、10代の頃は胸より下までのロングだったので、バスタオルとフェイスタオルの2枚必要だった。一方今はツーブロックで後ろも刈り上げているので、まあ髪なんて一瞬で乾く。
体だって152cmのチビだし、普通にいらないんじゃね?
と、思ったので、Amazonでセール中にフェイスタオルを10枚くらい買った。
予想通り支障なし。そりゃそうだ、考えりゃ誰にでもわかる。
一人暮らし用の小さな洗濯機を占領していたバスタオルが消えたので、洗濯物も楽になって良いことづくし。むしろ今まで一体何が私とバスタオルを繋いでいたのやら。
さようならバスタオル。今こそ別れめいざさらば。10数年のロングヘアを支えてくれてありがとう。でも冷静に考えて君を2枚動員しても、あの頃私の髪を乾かすには1〜2時間かかっていたね。
そんなわけで、私は長年連れ添ったバスタオルに別れを告げ、フェイスタオルとの蜜月を過ごした。彼は主張は弱いが必要な仕事を最低限こなし、さりげなく生活の中に馴染んでくれる。結婚するならフェイスタオルみたいな男がいいだろう。
……そう思っていた。
先日泊まりに来た母が、脱衣所にバスタオルをかけておいてくれていた。私は母にバスタオルとの決別を伝えていなかったのだ。
わざわざフェイスタオルを取ってくる程バスタオルを嫌っている訳では無い。一度は愛した男だ。妥協を胸にその大きなタオル地を手に取り、髪を拭くべく頭に被った。瞬間、薄ピンクに染まる視界、漏れる吐息。冷たい脱衣所に奪われる風呂上がりの熱を、パイル構造がつなぎ止めていく。
『幸せ』
脳裏を埋めつくしたのはその2文字だった。
まさに包容力。そうか、バスタオルにあってフェイスタオルになかったもの、それは愛だったのだ。
たしかにバスタオルは器用なやつでは無い。しかし、いつだって私を包み込んでくれた。夏場の昼寝でお腹を冷やさないよう、ささやかに温めてくれた。冬場の湯上りに着替えを忘れても、バスタオルを巻けば凍てつく廊下を渡れた。
私は愚かだった。まるで思春期だ。効率とか、スタイリッシュさとか、そんなものに憧れて、本当に必要な物を見失っていたのだ。
そんな馬鹿な私を、バスタオルは決して咎めなかった。それどころか、今までと同じように、温かく包み込んで、肌を滑る水滴を当たり前のように優しく吸い取っていく。
そうしてバスタオルを抱きしめた私は、もう二度とこの手を離さないと誓ったのだ。
きっとこの先何十年と、彼は私の水分を拭ってくれる。その度私は彼を洗って、嵩張るなあなんて文句を言いながら物干し竿にかけるのだ。
不器用で穏やかな幸せを噛み締めながら。