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スタートレックに「DAO」に通じる思想を感じたお話
新スタートレックから続く「ピカード」の物語「スタートレッ・ピカード」が最終回を迎えたので、スタートレックと「DOA」(自律分散型組織)の接点について思いを書いてみました。
スタートレックって何?って方にはわかりにくいかもしません。
「スタートレック・ピカード」についてはこちらの公式サイトがわかりやすいです。
新スタートレックの大きな流れが「スタートレック・ピカード」の最終回に集結した感じです。
随所にファンへの思いやりが感じられた内容に、終わってしまうという少しの寂しさを感じつつ、未来に続く最後の描写にジーンときてしまいました。
私が20年以上もの間、スタートレックに魅了されるのは何なのか?をずっと考えていました。
スタートレックは、宇宙艦隊という縦社会の組織を描きながらも、時にその「規則」に士官が悩み、判断し、責任を受け入れて行動する自律した「個人」を描いています。
答えのない問題に直面した時に、組織の「規則」と「個人」の考えの間で苦悩する姿が描かれています。
(もちろんこのようなエピソードだけではありませんが)
そこには、やはり自律した考えの元で行動する「個人」の重要性を描いているのだと思います。
今、注目されている「DAO」(自律分散型組織)はスタートレックで描かれている宇宙艦隊のような縦社会とはかけ離れた組織像と受け止められますが、それぞれに共通して必要なのは自律した「個人」なんだと思います。
組織のために自律して行動する「個人」が認められ、評価される世界が描かれているスタートレックに「DAO」に通じる思想を感じました。
「規則」を破ってでも、全体にとって正しい行動であると判断した時、自分の判断に自信を持ち、行動できる「個人」に魅了されているのだと思います。
直面した課題に「規則」が障壁となり、結果として破られるその「規則」は、本来は守るべき「規則」ではないかもしれない。
盲目的に「規則」に従って行動する「個人」よりも、自律して「規則」に従って行動し、時にはその「規則」の存在意義を俯瞰できる存在に魅了されるのだと思います。
一方で、「規則」を守らなければ組織は成り立たないのも事実。
「DAO」は中央に人がおらず、「規則」を元に「個人」が自律的に行動する組織。
その「DAO」ですら、「規則」は参加する人たちによって変更可能、もしくは別の「DAO」を作るという選択ができるということも重要な視点だと思います。
本来、人は自由な生き物。
そして「想像」する生き物。
「規則」とは人が頭の中で描いた「想像」でしかないということを考えると、「規則」を俯瞰的に捉える視点が必要なんだと思います。
web3に出会って、新しい世界観に触れて、今もなおスタートレックに魅了され続けている理由がより鮮明になってきたように思います。
スタートレックは、映像こそ今のリアルな描写には劣りますが、そこに描かれている内容は今もなお価値があるものだと思います。
「スタートレック・ピカード」は終わってしまいましたが、スタートレックの世界がこれからも広がる未来を予感させる最終回。
そんな最終回の最後のシーンが一番好きになってしまいました。
なお、私のハンドルネームは「アールグレイ」。
「アールグレイ」は、新スタートレックのピーカード艦長が好きな紅茶に由来します。
それでは、また。