音楽ライターに憧れて⑧
お読みいただきありがとうございます。E AND I CREATIONSの遠藤です。ハンドメイドで実用的なものを作る個人事業主です。三度の飯より音楽が好きという半生を過ごしてきて思うことは、スタンディングでライブを観ることは珍しかったということです。
当時といえば
当時はライブハウスもあったし、スタンディングでライブを観ることはそんなに珍しくありませんでした。しかし、海外アーティストの来日公演となるとホールで見るのが主流でした。その場で立って観ることはありました。しかし、今のようにスタンディングでライブを観られることがなかったように思います。
80年代で来日公演で使用されていたのが、日本武道館や新宿厚生年金会館、渋谷公会堂、横浜ですと文化体育館とか県民ホールとかですかね。渋谷公会堂はLINE CUBE SHIBUYAのことです。後はどこだっけ?NHKホールもか!そうなんです。スタンディングで観られる場所がほぼ無かったのです。
今もですが、指定席で観るとその場所から動けません。納得はしています。しているんですけどね、やっぱりねぇ。でもそんな来日公演を観ていたある日、私の中で衝撃的な瞬間がありました。
イアン・マッカロクの来日公演
ちょうど89年かしら、エコー&ザ・バニーメンを脱退したイアン・マッカロクがソロアルバム『キャンドルランド』を発売しました。何よりもエコー&ザ・バニーメンに憧れを抱いていたので、そのアルバムも大好きでよく聴いていました。
そんなイアン・マッカロク来日公演が渋谷公会堂でありました。私は一人でチケットを取り、来日公演を観に行きました。ちょっと前までHR/HMのバンドばかり観ていた時期がありまして、いわゆるイギリスのバンドを観るの初体験、そして一人で行くのも初体験でした。
本編ではアルバムの曲しかやらずにいたので、誰もがエコー&ザ・バニーメンの曲やらないかなーと思っていたと思います。そしてついにアンコールでエコー&ザ・バニーメンの曲をやってくれる瞬間がやってきました。
Rescue
その時です!!ほとんどのお客さんが前に押し寄せました。それまで座席で動かなかった人たちがです。私も下手側の端の方にいたのですが、思わず前に行きました。警備員さんも諦めたご様子。みんなでステージの前に集まり飛び跳ねました。この感動は今でも忘れられません。
ちょうどその頃に川崎のクラブチッタとか出来て、来日公演がスタンディングで観られるようになったのは、本当に画期的でした。今でこそ当たり前だし、当時なかったわけではないのですが、今ほど主流じゃなかったということが、当時、感動した出来事でした。
音楽ライターの真似事シリーズ
音楽ライターに憧れて2000年当時、自分のサイトに紹介文を載せておりました。音楽の思い出と共に小出しにしております。
エコー&ザ・バニーメンは復活して2、3回来日してくれたんですよね。その時はスタンディングで観ましたよ。赤坂BLITZで観ましたよ。
エコバニのライブは前明かりが少なくて、ほんと顔が見えない😎暗がりステージで踊るイアンが素敵でした。
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