伊勢神宮より、春分の日スペシャルな祈り
私には、珍しく写真も載せています。
以前のお伊勢参りの時の写真を使って、ご案内しています。
ぜひ、読み進めていただけると嬉しいです。
春分の日、太陽の黄経が0度になる日。
太陽はほぼ真東から昇り、真西に沈み
昼の長さと夜の長さがほぼ同じになる日。
宮中では、祭祀の一つである春季皇霊祭が行われます。
皇居内の皇霊殿において、天皇陛下が春季皇霊祭を斎行なされます。
それにあわせ、伊勢神宮では大宮司以下の神職が遙拝式を行います。
そして伊勢神宮では、春分の日に
伊勢神宮のお祭りにお供えする御料の野菜・果物の豊かな稔りと
農作業に携わる人々の安全の祈念と、
全国の農作物の成育と農業の発展をお祈りする御園祭も行われます。
春分とは、季節の指標として使われる二十四節気の一つです。
春分を目安に、この年の農作業が本格的に始まります。
春分の日「この世とあの世が最も近く、通じやすい日」
また、日本ではお彼岸の中日でもありますね。
春分・秋分の日は「この世とあの世が最も近く、通じやすい日」
などと聞いたことがありませんか?
極楽浄土は西方にあり、西方に沈む太陽を礼拝する習いがありました。
煩悩を払うため西に沈む太陽に祈りを捧げ、極楽浄土へ想いを馳せる。
真西に太陽が沈む、春分・秋分の日は、
この世とあの世が最も近く、渡りやすそうですね。
「到彼岸」を略した言葉が、彼岸になったといわれています。
「到彼岸」=「向こう岸へ渡る」。
「成就する」「悟りを開く」という意味もあります。
三途の川を挟んだ向こう側は、仏様の住んでいる世界。
その流れからか、
春分の日を挟んだ前後3日間、合わせて7日間を日本ではお彼岸とよび、
お墓参りなど先祖供養がされるようになったようです。
万物への感謝と祈り、そして祝福
万物への感謝
万物への祈り
そして空(くう)に還る
そこから、また祈り、祝福しましょう
そして、春分の日よりのスタートの流れに乗り、
この世的な成就も受け取り、身も心も魂も豊かになりましょう
私は、7年前お伊勢参りの後、不思議な体験をしました。
伊勢神宮より、春分の日スペシャル遠隔ワーク
上記のことを祈念して、
令和6年3月20日春分の日
伊勢神宮より、スペシャル遠隔ワークを送ります。
二見興玉神社
江戸時代、一世を風靡した「お伊勢参り」
当時のお伊勢まいり参拝ルートは、二見浦で禊をして身を清め、
外宮と内宮を参拝し、最後に朝熊岳に登るというものでした。
私も伊勢神宮参拝の時は、
二見浦の海で手足を清め、
二見興玉神社を参拝します。
以前のお伊勢参りの写真よりご紹介します。
こちらには、天照大神がお隠れになった天の岩屋があります。
皆、困りました。
力自慢の神も開けることができなかった岩屋でしたが、
アメノウズメノミコトが舞い、神々が大笑いしたことで
天照大神が岩戸を開けてお出ましになった神話の場所です。
(全国に天の岩戸、天の岩屋はあり、その一つだそうです)
私は、天照大神、アメノウズメノミコトとご縁があるようです。
ホロスコープの太陽に、太陽に小惑星「天照大神」と「大国主命」。
大国主命は、国造りの神様で出雲へお移りになります。
アセンダントに「アメノウズメノミコト」。
水星に「猿田彦大神」がついています。
伊勢詣の帰りに、猿田彦神社に呼ばれて、
「猿田彦大神」と「アメノウズメノミコト」にご挨拶とご加護をお願いしていました。
「猿田彦大神」と「アメノウズメノミコト」は、実はご夫婦。
アメノウズメノミコトは、猿田彦神社の境内にある「佐瑠女(さるめ)神社」に祀られてます。
二見興玉神社には、龍宮社もあります。
今年の干支ですね。
豊受大神宮(外宮)
衣食住を始め産業の守り神である豊受大御神をお祀りする外宮。
内宮の前にお参りします。
外宮内の気が良くて、写真を撮るよりも
全身で気を受け取り、敬虔な気持ちで過ごさせていただきました。
朝熊岳
初めて伊勢詣をした時、朝熊岳詣までさせていただくことができました。
(公共交通機関のみで移動の私。タクシーも使わないですね。
その日はバスが運行していてラッキでした!)
八大龍王社まで登りました。
今年は、私が意図した訳ではなく、
伊勢神宮にお詣りしたいなぁ。
春休みにしようかなぁ。
で、予約したら、たまたま春分の日に伊勢神宮にお詣りできることになりました。
みなさまにも、ぜひ、
伊勢神宮のエネルギーと春分の日のエネルギーをお受け取りいただきたい
春分の日、伊勢神宮よりスペシャルエネルギーワークをお届けします。
ホロスコープ的にも、春分の日は1年の始まりです。
7年前、二見興玉神社、外宮(1日目)、内宮、朝熊岳(2日目)と
伊勢参りを終え、鳥羽のホテルへバスで移動中
なにもない、すべてある
無とか空(くう)としか呼べない
を体験しました。
その次の日、鳥羽で過ごした1日も私は、こちら側に体はあっても、
なにもない空にいた。というか空そのもの。
旅行を終えて、仕事と育児の日常に戻ったら、忘れていました。
その2ヶ月後、出雲大社(大国主命ですね。神在付きだったのですべての神様がご集合)へ。
その半年後、自分をすり減らす仕事はやめることになりました。
そして、さらに数年後、あの体験が一瞥とか呼ばれているものらしいと知りました。そうすると、今度は一瞥とか空に囚われる。
そこも、通り過ぎて、
今は、空も日常も当たり前。あらゆることに隔たりはない。
時間も空間さえもない。
そんな感じです。
そして、体を持って過ごす日常も愛おしい。