「一流は一流を知る」 オリックス吉田正尚に「野球人生一つのポイントとなる試合」と言わしめた好敵手とは?!
昨日Twitterで久しぶりに良い景色を見た!
昨日はnote更新をお休みさせていただきました。
一昨日接種したコロナ4回目のワクチンが、一晩明けて効いてきて右腕が痛くて上がらず・・・(´;ω;`)
また、今日のnoteのためにデータの整理・加工をする必要もあったため、今月は11/3に続く2度目のお休みをしました。
ということで、今日はデータをもとにしたコラムをお届けする予定でしたが、昨日Twitterで良い光景を目撃したので、急遽その話を!
ココに置いておかないと忘却しそうなので、ココに置くという意味を込めて、すでにご存じの皆さん多いと思いますが、お知らせします。
釜田引退ツイートに思わぬ人物が反応
楽天を構想外になり、12球団合同トライアウトを受けた釜田佳直投手が、昨日現役引退を表明。来季から球団スタッフに就くことが球団から発表されました。
そのアナウンスを受けて、昨日釜田投手がTwitterを更新。ファン・関係者に向けて現役引退のあいさつをしたんですよね。(下記参照)
「11年間本当にありがとうございました」と結んだツイートに対し、予想外の人物が反応したんです。
その人物とは、標題のとおりポスティングでMLB挑戦を表明しているオリックスの吉田正尚選手なんです!(下記参照)
一流は一流を知る
僕はそこに気づけなかったんですが、吉田選手は1993年7/15生まれ、釜田選手は1993年10/26生まれ、同い年なんですね。
2人とも甲子園への出場歴を持ってますが、甲子園では対戦がなかった。そんなもんだから、この2人にアマ時代こんなエピソードがあったことに驚かされました。
吉田選手が言及している「センバツをかけた北信越大会」とは、3年春の2011年センバツをかけた前年の2010年の北信越大会のことでしょう。
この大会で優勝した釜田投手を擁する金沢高校は2011年のセンバツに出場します。そして夏も石川県大会を制して甲子園へ進み、春夏で釜田投手は躍動、甲子園で153キロを計測して名をあげ、同年秋のドラフト2位(全体15位)で楽天へと入団しました。
いっぽう、吉田選手は敦賀気比で1年で4番を張り、甲子園も2度出場。しかし、どうやら高三でスランプに陥ったようなんです。そんなこともあり、プロ志望届を出さずに青山学院大学へ。その後、東都で活躍し、日本代表にも選ばれ、一気に全国に名を轟かせるスター選手へとなり、2015年ドラフト1位でオリックス入りしました。
だから、高校時代のパワーバランスは「釜田>吉田正」だったのかもしれないですよね。
「一流は一流を知る」と言われますが、心が温かくなるやりとりにホッコリ。
今や村上宗隆(ヤクルト)とともにNPB当代最高峰まで昇りつめ「NPB卒業か?!」という位置まで達した好打者に──もちろんそこには若干の餞別の意味合いもあったでしょうが──リスペクトを込めて「野球人生一つのポイントとなる試合」と言わしめたのだから、楽天ファン冥利につきるというもの。当時の釜田投手のスゴさを垣間見ることもできますよね。
まさかの戦友のリプに、釜田投手も当時に思いを馳せ、追記でこんな思い出をツイートしてました。(下記参照)
当時の釜田投手も、吉田選手がその後に大打者になるであろうポテンシャルの一端をひしひしと感じてた、ということなんでしょうね。
プロでは12打席で対戦
Twitterというと、昨今は誹謗中傷ばかりが大きなニュースになってます。先日はイーロン・マスクが買収しなんやかやと騒がれました。正直、良いイメージがない。
そんなイメージの方も多いと思いますが、昨日の両選手のやりとりは、そんな殺伐としたSNSの中に咲いた可憐な一輪の花のように感じられ、久々に良い景色を見た思いがしました。
さて、このお二人、プロではどういった対決を残したのでしょう?
確認してみました。(下記参照)
12打席、11打数3安打、1二塁打、1四球、対戦打率.272。
前半は釜田投手に軍配上がり、後半はさすが吉田選手といった感でしょうか。三振がないのも、さすが吉田選手というイメージです。
2019年4/21オリックス戦では吉田選手に2安打を許した釜田投手。しかし、変化球の74%を低めに集める粘投で6回途中5安打3失点にまとめて、チームを7-3勝利にみちびきました。
ちなみに、この勝利は球団史上で大きな意味を持っていて、それまで楽天は4/21に0勝9敗と「負けの特異日」だった。釜田投手の頑張りがそんな不名誉記録に終止符を打ちました。
さて、最後、有料部分は完全な僕個人的なことについてのオマケ(笑)です。
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