【惜別】内村賢介~両打ち&低身長の無理ゲーを見事クリアした、育成出身9年間のプロ野球人生

来るべき時が来てしまった… 10月1日、その悲報を受け取ったときの寂寥感である。

30歳の今シーズンはチームの新体制移行も影響し、プロ入り後で初の1軍出場ゼロに終わった。そのため、覚悟は決めていた。しかし、いざ内村賢介の来季構想外を目の当たりにすると、寂しさを隠しきれない。5月12日、泉練習場でのイースタン戦。リズから左安を弾き返したこのときが、仙台の楽天ファンにその勇姿を最後に披露した時になった。

2007年の育成1位で楽天入りした。BCリーグ初のNPB選手として1年目から頭角を現した。

1年目のシーズン途中に支配下登録され1軍に合流、47試合177打席で打率.289の好成績を残した。3年目の2010年後半戦からレギュラー起用が増え、星野政権1年目の2011年には123試合でプレーする。当初、三塁を任されていたFA入団の岩村明憲の不振で、二塁の高須洋介が三塁に入ったこともあり、空いた二塁で77試合スタメン出場。正二塁手の座をもぎ取ったかのように見えた。

1年目から頭角を現すも、正二塁手を手中に収めたと思われた矢先にまさかのトレードで横浜へ

しかし、年明けすぐに長髪美人とゴールインし伴侶を得て臨んだ2012年、事態は暗転する。

この年はオープン戦から打撃の調子が上がらなかった。開幕後も打率1割台を低迷。6月に入ると、台頭してきた銀次に二塁の座を明け渡すようになり、同24日にDeNA・藤田一也とのトレードが発表された。

2010年後半戦からトレード前日の2012年6月23日まで楽天戦は260試合あったが、内村はその87.7%に当たる228試合でプレーするれっきとした1軍戦力だった。前年の正二塁手でもある。その立場の選手を僅か数カ月という短期間の不振をもとに、トレードとはいえ、当時酷かったDeNAへと追いやったのだ。まさに「石もて追われる」の図。

楽天では通算打率.261を残したが、DeNAでは.218。この3年間は僅か33試合しか出場がなく、横浜移籍後の内村は、総じて不遇の時代だったように感じる。

そんなイメージから、9年間に及んだ現役生活も、持てる力量を発揮しきれず中途半端に終わったのでは?と思う読者の皆さんもいるかもしれない。しかし、私は良く頑張ったと思っている。

下記表を作成してみた。

※ここから先は有料エリアでお楽しみ下さい。セブンイレブンの淹れたてコーヒーと同程度のお手頃価格でお楽しみ頂けます。

※なお、本稿はnote単価250円ですが、まぐまぐメルマガでも配信中。本稿を含む月十数本の連載で月額514円。noteで全コンテンツをバラで購入するよりも断然お得。さらに新規読者登録初月は無料購読のサービスも。まぐまぐでのご入会はコチラでどうぞ。銀行振込をご希望の方はtan_5277アットマークyahoo.co.jpまでご連絡下さい。読者数は、「中村紀洋の野球マガジン」を上回る支持を頂いております。

見やすさで言えばnoteがお薦め。スマホアプリでの閲覧が良いです。本稿はこちらのお得なバリューマガジンに所収されています。→「8月から始める3ヵ月期間限定Shibakawaの鷲応援マガジンの御案内」。こちらのマガジン、11人の読者さんが購読中です。

ここから先は

3,758字 / 1画像
この記事のみ ¥ 250

読者の皆さんにいただいたサポートで、さらなる良い記事作りができるよう、心がけていきます。