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1997年か98年の夏に工作船を目撃した話
記憶が曖昧になりつつあるので、覚えているうちに書いておきたいことを書き記します。
1997年か98年の夏の夜に、魚津市の海岸で工作船を目撃しました。
以下に順を追って説明します。
私が今の会社に入社したのが1996年で、同年の秋くらいに「富山県動物生態研究会」という任意団体に入会しました。この会は、動物学に関わる富山大学・富山県立大学の先生や、博物館学芸員、水産試験場の方、水族館、動物園の職員などで構成されていて、月一回の研究発表会と年数回の懇親会が行われていました。
私が所属して主に顔を出していたのは2001年春くらいまでの期間で、一緒にいたメンバーを思い出すに、本件は1997年か98年だったと思います。
場所は魚津市の早月川河口の東側、ミラージュランド付近です。地図を添付します。
研究会の定例行事で、水族館の方が世話役となり、納涼のBBQ会が行われました。季節は7月か8月で、週末だったはずです。
当時のBBQ場は今とは違ってミラージュランドの中ではなく、ミラージュランドを出て東側に隣接した別敷地にあったと記憶しています。
20人くらいの参加者で肉をつまみながらお酒を呑み、生き物の話や組織の話などで盛り上がった後散会となり、近隣在住のメンバー以外は海岸沿いに停めた各々の車内での車中泊となりました。それが深夜の11時くらいだったかと思います。
当時若かった私はまだ飲み足りない、しゃべり足りない感じだったので、同じく飲み足りなそうな同じ会社の2個上のYさんをさそって海辺に出て、二人で缶ビールを呑みながら会社の愚痴などを喋りつづけていました。
防波堤に二人並んで寄りかかり、テトラポッド越しの真っ暗な海を眺めながら静かに喋っていると、目の前の海岸とテトラポッドの間の海域を、小型漁船やプレジャーボートよりもさらに小さいくらいの船影が、西から東へと、全く明かりをつけずに進んでいくのが見えました。
その小船はエンジン音やモーター音を全く出さずに進んでおり、かつ、船の半分以上が水に沈んでいるような、見たことのない船体の様相で、デッキ部分だけが水面から出ていました。
そして、そのデッキ部分から誰かの顔、肩から上の部分だけが出ていて、目の前を通過するときにこちらを目で追うように首を動かしている様子がわかりました。
酔っていましたが、眼があったように感じたのははっきりと覚えています。
当時はインターネット創成期なのですぐには調べられませんでしたが、後になってしらべてみるとまさにこんな形と大きさでした。
ていうか、まんまこれです(もっと沈んでいましたが)。
私とY先輩はその不審な小船が通過して視界から消えた後、何か短く話して、もう海岸から離れたように記憶しています。
地元の漁船が深夜に明かりをつけずに航行する訳がない。
地元の漁船が波打ち際と波消しブロックの間を航行する訳がない。
そもそも漁船じゃなかった。
ではあの船は何だったのか?
私の卒業した新潟大学はキャンパスが海のすぐそばにあり、海辺で遊ぶ学生も多かったのですが、先輩からも先生からもバイト先の地元の人からも頻繁に「夜に海岸に行くな。チョウセンコブネ(朝鮮小舟)に連れ去られるぞ」と言われていたのも思い出しました(横田めぐみさんが失踪された場所の近くでもあります)。
ただ、それは昔の話だと思っていた節もあったので、現在の、しかも富山湾で、そんなことはないだろう、と自分に思い込ませて、この件については特に誰かに言ったり通報することもなく過ごしてきました。
数年が経ち、2001年3月に、黒部川河口で北朝鮮の工作員が潜入に使ったとみられる水中スクーターが発見された、とのニュースを見たときには、「ああ、あれはやっぱり工作船だったのか」と繋がり、急に怖くなったのを思い出します。
潜入後に埋めたものが数年後に発見されたのだと考えると、当時の富山湾岸でも隣国の工作員が活発に行動していたことが窺い知れます。
下手をすれば、自分とYさんはそのまま明かりを消した小舟に連行・拉致されていたかもしれない。
ぞっとしますね。
今でも福井県の東尋坊に行って遊覧船に乗ると、外海に面した雄島には「かつての不審船・密入国の監視小屋」のような建物が遺構のように残っていることがアナウンスされます。
がしかし、令和となった今でもなお、拉致被害者や工作員潜入の問題は、ぜんぜん昔の話ではない、リアルタイムな話として意識して考え続けなければいけない事象だと思い直しました。