キャリアと死生観
ウォーレン・バフェットの言葉に次のようなものがあります。
私達は、この言葉を本当に、「わかって」いるのだろうか?
内省
各年代での価値観や学び
現代社会において、個人の「自尊心」を大切にすることが重要だと感じます。
仕事や日常生活においても、これは欠かせない要素です。
何故なら、自尊心は一度傷つけられると修復が難しく、それが影響を及ぼす範囲も広いからです。
各世代で、形成される価値観や学べる要素というのは異なるものではないかと考えています。
各年代の整理
10代:社会の理不尽に揉まれながら学習する期間
20代:社会の一員になって理不尽を目の当たりにする期間
30代:処世術や人間関係の構築を学び、社会的な役割を果たす時期
40代:選択肢が増えるが、時間やエネルギーの限界を感じ、取捨選択で後悔が伴う
50代:人生のバランスを見直す時期であり、死生観を見つめ直す時期(らしい)
60代:死に対して覚悟を持ちながら(受け入れながら)、ポジティブになる(らしい)
どの世代においても、自分を大切にし、自己価値を高めることは、健全な生活を維持する上で不可欠です。
私たちは自分自身を労わる方法を確保し、自尊心を育むことで、より満足感のある充実した人生を築いていけると思います。
何歳まで生きたいか。
どのように生きたいか。毎日の雑事に追われて、そうしたことを考えることも少なく日々があっという時間が過ぎ去ります。
キャリア
そんな過ぎ去る時間の中で、生活の基盤を作ることは重要なことです。
その上で、やはり手に職をつけるということは重要なことの一つです。
とはいえ、定義のとおりのキャリアはすぐに手に入るものでもありません。
"石の上にも三年"、とはいうものの情報化社会において全てのスピードが加速度的にましている世界で待ってはくれないものもあります。
"キャリア形成"とはいうけども
学び直し、リカレント教育、といって再度の教育を促しているが本当に正しいのでしょうか?
高度に発展し続ける人間社会をみていると、このまま突き進むだけでいいのだろうか?と考えてしまう。
「なぜ、進むことが正しいとされているのだろう」
では、立ち止まるとはどういうことか興味深くなってきたので立ち止まり方を考えてみる。
立ち止まり方を考えるにあたり、人間が立ち止まる時とはいつか考えてみる見たいと思います。
挫折した時
生きている中で思い通りに進まず、周りは進んでいる時に自分だけが置いてけぼりになっているような感覚や成長がないと感じている時です。
死んだ時
無条件でその人の人生の時間が止まってしまいます。
死んだ後に人生がどのように続くのかわからないため、このように"時間が止まってしまう"という表現をしています。
これらを踏まえて、本当に"成長"というものはどのように捉えるべきなのでしょう。
死生観
私達はどのように生きていくべきなのか?
これを紐解いていくとどのような、老いをしたいか?ということになってきます。
更年期、老年期となっていく段階で趣味が変わる方もいるでしょう。
死にまつわることを考えるということは、生きることについて考えるということでもあります。
考えるきっかけとしては「死」に出会うことのようです。身近な人の死がきっかけで自分ごととして捉えるようになるそうです。