【普通はハッピーではない】
今日は『普通はハッピーではない』
についてお伝えしていきます。
人によってはグギギっとなったり
反発するかもしれません。
あくまで私個人のエンターテイメント
もしくは与太話と捉えて頂いたほうが
良いでしょう。
「普通」という概念は
いったいどういう事だろうか?
と疑問に感じる時があります。
禅問答のような問いであり
「なぜ」を追求したくなる
自分にとっては興味津々なので
テーマに取り上げてみました。
「普通」の定義は
下記の通りです。
1.[名・形動]
特に変わっていないこと。
ごくありふれたものであること。
それがあたりまえであること。
また、そのさま。
例)
「今回普通以上の出来だ」
「普通の勤め人」
「朝は六時に起きるのが普通だ」
「目つきが普通でない」
2.[副]
(「に」を伴って)俗に、とても。
例)
「普通においしい」
注)「普通におもしろかった」のように
称賛するほどではないが
期待以上の結果だったという意味合いで
肯定的な表現と組み合わせて
2000年代から用いられるようになった。
一見すると何も変わらず
のほほんとして
平和で良いなぁと
思われるでしょう。
果たしてそうでしょうか?
中には
「特別豪華でもなくて良いので
ささやかな幸せを感じ取れたら
それで十分ですよ」
「生きている事に心から感謝して
有難みを感じると分かりますよ」
と仰られるかもしれません。
確かにごもっともな事です。
私もそう解釈しています。
生を授かった事に敬意を表し
天命を全うするのが人生ですから
目を向けるところであります。
しかし昨今流布されている
「普通」の使い方に
違和感や気味悪さを
覚えています。
「普通」である事に
「感謝」ではなく
「当然」である
どこか押し付けをしている
ように感じるのです。
「普通」である事を
「常識」や「世間体」と
履き違えているように
思えてならないです。
悪く言えば自然と基準を上げて
優位性を保っておきたい
承認欲求が強く表れています。
分かりやすい例が
今日お騒がせしている
「某感染症」です。
ただの風邪を
無理やり感染症として
認識しています。
「感染」と「陽性」の違いを
区別せずに感染者と陽性者を
混同して報道しています。
むしろ作為的にしている事が
露骨になってきています。
白い布を着用するのは
「普通」の事です。
このご時世着用するのが
「普通」に決まっていますよ。
異物が入った注射をする事は
感染予防になるので
接種する事はもちろん
「普通」です。
非常事態なので
遺伝子組換え注射する事は
「普通」の考え方です。
他にも
良い大学に入学し
大手企業に就職するか
国家公務員になる事は
「普通」ですよ。
冠婚葬祭をする事は
昔からの風習であって
「普通」ですよ。
etc
ここまで来ると
もはや重症状態です。
ありふれた普遍の物事として
解釈するのであれば
「強制感」「義務感」を
振りかざす必要もありません。
この恐ろしい風潮が進行していけば
ますます支配者の思惑通りで
完全に奴隷化状態になる事も
十分にあり得ます。
「普通」の定義を
「平均的」に置き換えて
「常識」として
刷り込んでいるのです。
背景としてテレビや
CMの美化によって
深いところまで
洗脳されている事があります。
毎日毎日見聞きしていると
サブリミナル効果で
定着していきます。
するといつの間にか
「普通」が「常識」に変わり
心身共に疲弊している状態とは
気付かなくなります。
まさに「アンハッピー」状態です。
「アンハッピー」の状況では
適切なコミュニケーションも
取れなくなっていきます。
自分では「普通」だと思って
発信した事が相手にとっては
「苦痛」として解釈される
可能性があります。
百歩譲って正論だとしても
認識するのは相手であって
自分ではありません。
かと言って「普通」を
強引に押し付けてくる人と
労力を酷使してまで
戦う事はありません。
きっぱりと断絶するか
弁証法的に統合して
より高次元の視点で
捉えていく必要があります。
但しテレビやCMに関しては
スパッと切ったほうが
良いでしょう。
「普通」を
「ありふれたまま」「不変」
として捉えるだけなら
ここまで対立した問題は
起こらないでしょう。
「義務」「常識」「世間体」
として認識するがゆえに
悲劇が世界中に伝染しています。
問題は起こっても良いですが
極端過ぎるのが昨今の情勢です。
意図的にかつ悪意ある問題を
引き起こすいかがわしい連中達の
謀略に乗っからない事が
ハッピーに生きていけます。
自分が思っている「普通」を
全部書き出して実際の
状況と比較してみると
色々見えてくるでしょう。
全部違って良いのです。
双方の「普通」を尊重し合った上で
良いところ取りをしていけば
押し付けずに済みます。
そう思えば
「普通」である必要も
ないでしょう。
「普通」の色眼鏡を外し
自分軸を持って主体的に
生きていきましょう。
今日も読んでくださって
ありがとうございます。
追伸
あなたの「普通」を
お聞かせください。