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【自己紹介】
目次
【プロフィール】
【目的】
【自分の人生ストーリー】
【エピソード1:職人肌と行動派の間に生まれて】
【エピソード2:クレヨンしんちゃん的な幼少期】
【エピソード3:女性版松岡修造の熱血恩師との出会い】
【エピソード4:苦悩と挫折の高校時代】
【エピソード5:モテ期からの独立開業】
【エピソード6:愛に満ち溢れたコーチングの恩師】
【エピソード7:一時的な栄華と再び訪れる挫折】
【エピソード8:自分の内側と向き合う時期】
【エピソード9:再出発の決断】
【エピソード10:新たな自由への旅立ち】
【プロフィール】
上森孝司(Uemori Takashi )
太陽:獅子座/月:天秤座/ASC:蠍座生まれ
Martial Arts Community 代表
剣道四段
柔道整復師
はり師・きゅう師
登録販売者
【目的】
☆今までの体験とこれから始める旅
☆自分自身のあり方(世界観)
☆風の時代における日本の方向性の考察
☆武士道精神&東洋医学への想い
【自分の人生ストーリー】
これまでの人生ストーリーを
エピソード形式で
まとめてみました♪
エピソード1:職人肌と行動派の間に生まれて
0歳
獅子座に太陽が巡る季節。
私は手先の器用な職人肌の父親と
男勝りの行動的な母親との間に
生を授かりました。
父は幼少期から仕事して
生計を立てる手先の器用な
職人気質肌のたくましい男。
母は某製薬会社の
男勝りな営業マンで
家事も育児も卒なくこなす
スーパウーマン。
今、振り返ると・・・。
二人とも愛情深く子煩悩でした。
3歳
体の抵抗力が弱かった為
病気に罹りやすくまさかの
全身アトピー発症になってしまいました。
この頃父親が自宅で薬店を開業していて
自然療法でアトピーを治療してくれて
何と完治しました。
これがきっかけで
東洋医学に興味を持ち始めていました。
父親から教えてもらったことは・・・
☆人間の体は薬や手術によって治るのではなく
本来備わっている自然治癒力を
引き出すことにより
自分自身で治すものである
☆三つ子の魂百まで
幼い頃に体得した性格は大人になっても変わらない
☆子は鎹(かすがい)
両親の無償の愛のおかげで
価値観が自然と身に付いていたこと
などなど。
母親は父親と異なる性格でしたが
子育て方針は同じで
上記3つを教えてくれていました。
男勝りな行動的な性格は
さすが営業ウーマンで
コミュニケーションが好きなところは
母親譲りかもしれません。
母親の事が好きで好きでたまらない性格で
母親以外の人が抱っこすると
不機嫌になり泣いてばかりいました。
母親を心から愛する私は超マザコンでしょう(笑)。
自分が大切にしている価値観が『愛』なので
これは両親が捧げてくれた無償の愛からきています。
そんな愛情深い両親の下で
育った私はこれからちょっと
変わった人生ストーリーを
歩むことになりました(笑)。
エピソード2:クレヨンしんちゃん的な幼少期
5歳
幼稚園に入園した私は
すぐにたくさんの友達と
仲良くなりました。
当時クラスで1番可愛い女の子に目がいき
生まれつきの人たらし(笑)性格が
発動してグイグイ近づき
気付けば家まで遊びに行ってました。
今で言う
クレヨンしんちゃん的な少年です。
クラスの女の子はもちろん
担任の先生まで好きになってしまい
どれだけ発情しているか(笑)
両親や周囲の方々も
仰天ぶりの変わり者に
見えたでしょう。
好きな女の子にキスをしたり
近所の書店で
成人誌(いわゆるエロ本笑)を
見ていたので
相当マセていました。
よく言えば積極的に
コミュニケーションを取る
悪く言えば単なる
幼いナンパ師でしょう。
幼少期は月の時代で
まさに天秤座の性質が
そのまま反映されていました。
他者と調和し交流を楽しむ
個人のプライベート空間が
垣間見える時代でした。
これは大人になっても
変わっていないです。
好奇心旺盛且つ積極的に
コミュニケーションを
取っていく姿勢は
愛を基軸に他者との関係性を
深めていく未来の自分を
先取り体験していたのかもしれません。
ただし成長していくにつれ
幼少期の純粋無垢さを忘れてしまい
自分の中にある自我(エゴ)を
剝き出し全開にする思春期に
突入していくとは知る由もなかったのは
言うまでもありません。
そんな純粋無垢の時期は
次の中学生時代まで続きます。
心から本当にやりたい事を
後押ししてくれた熱血恩師の話は
次のエピソードで。
エピソード3:女性版松岡修造の熱血恩師との出会い
7歳
純粋無垢さ満開である思春期の続き。
小学生になり父親の職場移転の為
引っ越しすることになりました。
幼稚園同様すぐにたくさんの友達と仲良くなり
喧嘩もしましたが良い思い出でした。
友達も含め誕生日は
必ず皆でお祝いする慣習があり
これは今も家族やパートナーを含め
ずっと継続しています。
幸せになる
『5つの愛の言語』の中で
サービスとプレゼントを
自然としていました。
小学2年生から始めた剣道が
後の熱血恩師に関連してくるとは
思ってもみなかったです。
近所の知人に誘われて何気なく始めた剣道は
憧れのロールモデルとなる伝説の先輩に出会い
小学5年・6年と
2年連続全国大会優勝の成績を収めました。
憧れの先輩のビデオを毎日毎日
何度も繰り返し見ては真似をして
会いたい一心でサインをもらいに行ったら
遂にその先輩と出会う事が出来ました。
昨今で言う
アイドルの追っかけ(笑)を
していました。
一歩間違えれば
ストーカーレベルの行動を
していましたね。
でもそれだけ夢中で打ち込めるものがあり
青春を謳歌していました。
14歳
中学2年生になりある転機が訪れました。
そうこの転機こそ
女性版松岡修造熱血恩師
との出会いです。
教師の中でもそうそうお目にかかれない
超絶珍しい先生でした。
授業は超スパルタ式(笑)で
読んで
書いて
話して
聞いて
のオンパレード。
そのおかげで英語がますます好きになり
試験の成績もうなぎ登りでした。
幼少期に父親が家で洋楽をかけていたので
元々英語には抵抗がなく
むしろ日本語(国語)より
話せていたかもしれません(笑)。
この熱血恩師は本当に偉大な人格者で
学びに対してはもちろん
部活も教師の中でただ一人掛け持ちをする
バイタリティ溢れる恩師でした。
全てにおいて全力&一所懸命で
厳しいけれど深い愛がある。
授業中に孟子や孔子の教えを諭してくれたり
なぜ教育をするのか
人生におけるあらゆる分野を
熱く語ってくださりました。
この先生は普通ではない
良い意味で変人であると。
そんな熱血恩師が夏休みに入る直前に
ある計画を提案してきました。
職員室に呼び出されお説教でもされるかと
内心ハラハラドキドキしていた私に持ち掛けてきた
その計画とは。。。
それは秋に市内で開催される
『英語弁論大会』に出場してみない?
というびっくり仰天の内容でした。
何で私なんですか?
と思わず声に出してしまいました。
さほど成績優秀でもない
この自分に持ち掛けてくるこの先生は
いったい何を企んでいるのだろうか?
と疑心暗鬼でいっぱいでした。
パワー全開で迫りくる
いつもの様子とは打って変わり
穏やかな口調で諭すように
巧みなイエスセットを使って
上手く誘導されていました(笑)。
とは言え私を選んだ理由がさすが
『類は友を呼ぶ』的な着眼点であったのが
後々納得しました。
熱血恩師が私を選んだ理由
それは剣道をしている私があらゆる事に
真剣に取り組んでいて
その姿は『侍』そのものだと。
現代社会で損なわれかけている
その心意気に共鳴したからだと。
これを英語で表現して発信したら
自分の良さがもっと魅力的に
伝わるんじゃないの。
テーマは剣道でしたが
抽象度を上げて考察すると
『武士道精神』を当時から
無意識に発信しようと
していたのではないかと。
いずれ海を渡り世界を舞台に
英語でスピーチする可能性は十分あるから
そのための練習と思えば全然楽勝だよ。
大会の結果は気にせず
この経験を後の人生に活かす
貴重な機会と思って
取り組んだら良いからと。
『死ぬ事以外かすり傷』
『大器晩成』
『継続は力なり』
を身をもって教えてくださったのは
紛れもないこの熱血恩師です。
熱血恩師の偉大な影響力は
私が海外に関心を持つのと同時に
海を渡って起業したい想いに繋げる架け橋と
なってくれていました。
よくよく思い返せば
3歳頃祖父が買ってくれた地球儀を
楽しく眺めては触ってをしていたので
世界には自然と関心があったのかもしれません。
自分の内側にある
真の情熱(コアバリュー)に火を付け
心からやりたいことへと導いてくれた
熱血恩師は生涯の恩人です。
そして月日は流れ
苦悩と挫折の高校時代へと
進んでいきます。
エピソード4:苦悩と挫折の高校時代
18歳
剣道だけは
『好きこそものの上手なれ』
の格言通りずっと続けていて
当時の教頭先生(剣道教師7段)が
これまた中学時代の熱血恩師と
同じく熱い先生でした。
IT隆盛期でベンチャー起業ブームもあり
アメリカへ行くのも面白いんじゃないのと
海外進出を促してくれていました。
教頭先生は通っていた剣道の道場の先生と
知り合いという事もあり人生に対しての
捉え方や考え方が同じ様な感性で
波長が合っていました。
一応進学校という事もあり
勉強にすごく力を入れていました。
この勉強に力を入れる学校方針(大学進学こそ全て)と
学校教育は人生において自らの頭で試行錯誤しながら
知恵&教養を修得し社会に影響力を与える
人格形成をする場であると。
考える自分の方向性が相反するものであった為
かなりもがき苦悩&葛藤していました。
客観的に見るとただ単に勉強から
逃げていただけに過ぎないですが(汗)。
とは言え試験の為に学ぶ教育は何なのか?
知的好奇心を持って知恵&教養を学ぶ
リベラルアーツ教育が行われない背景は何か?
受験勉強を避けて
ひたすら世の中の仕組みについて
あれこれ考察している自分が
今思えば滑稽に見えるのと同時に
探求心はかなり強かったのだなぁと。
矛盾するところが面白い現象であります。
受験勉強を避けていたもう一つの理由は
中学生時代に尊敬していた
熱血恩師が喉頭がんで逝去した訃報が
あった為でもあります。
高校3年生の6月弟から聞かされて
物凄いショックを受けました。
いつも情熱的で何事にも
全力&一所懸命の
熱血恩師が倒れるはずがない。
事実を受け入れられない
私は葬儀に行く事もなく
悲しみに打ちひしがれていました。
熱血恩師は最後の最後まで
自分の病気を隠して
教壇に立っておられました。
旦那さん曰く本人の強い要望により
命尽きるまで教壇で
仕事をさせてほしいと。
この命懸けの姿は真の教育者であるあり方を
体を張って示してくださりました。
それを機に熱血恩師の想いに応えて
受験勉強を頑張っていれば
良かったのでしょうが。
思春期なのか揺れ動く葛藤に
かなりもがいていました。
そして一応大学受験はするものの惨敗となり
若くして『辛酸を嘗める』
経験をしたのであります。
初めて哀れな挫折をしました。
勉強をしない故に受験に失敗する
当たり前の既成事実ですが
物事の本質を追求して深く考察する姿勢が
この苦い経験から活かされていると捉えると
受験に失敗も良い訓練かなぁと(笑)。
受験に失敗した後このまま単身アメリカに
行ってやろうとも考えましたが
周囲の反対等もあり思い止まりました。
純粋無垢に自己主張する
中学生時代と将来を考え始め
少しずつ自我を出していく
高校生時代の紙一重の背景を
俯瞰して観ると
これも人生なんだなぁと感慨深くなります。
熱血恩師の想いに応えることなく
私は柔道整復師養成の専門学校に入学して
鍼灸整骨院業界に飛び込んでいくことになります。
エピソード5:モテ期からの独立開業
25歳
闇が深い(笑)鍼灸整骨院業界で様々な経験を積み
柔道整復師
はり師・きゅう師
登録販売者
の資格を取得しました。
手先が不器用にもかかわらず
剣道で鍛えられた図太さとメンタルで
心身共に持ちこたえ
いつの間にか分院長を
するようになっていました。
忍耐力が無ければ
業界からとっくに身を引いて
他業種をしていました。
資格取得でひと段落していたので
この時期辺りから幼少期時代の
クレヨンしんちゃん的要素(笑)が
蘇っていました。
受験から解放されたのもあり
少々気も緩んでいたのでしょう。
女性とコミュニケーションを
取りたい(笑)一心で
飲み会やコンパに赴き
色々な女性と仲良くなっていきました。
当時分院長していた時の患者さんの
お孫さん(CAさん)や保育士さんを
紹介してもらっていました。
おおっ!
モテ期到来だ~(笑)と
勝手にほくそ笑んでいました。
これはこれで
コミュニケーション能力を磨けて
良い気分に浸る自己肯定感に繋がり
心身共に安らぎがありました。
その中で人生史上自分を虜にされる
素敵な女性と出会いました。
その方は元助産師で先輩方と会社を立ち上げ
CRCとして活躍されていました。
加藤綾子さん似の方で且つ偉そうにすることもなく
謙虚で礼儀正しい超才色兼備です。
遂に超絶頂期が到来した~と
1人で雄叫びを上げていました(笑)。
高校時代から資格取得までの
暗黒時代にようやく
終わりを告げる時が来たんだと。
肉体はかなり疲弊する
ブラック業界ではありつつも
今の絶頂期を思えば
精神が肉体を凌駕して
楽しめるぜぇ(笑)と勝手に自分を納得させていました。
それから色々な経験を積み
28歳の時にノリと勢いで
自分の鍼灸整骨院を開業しました。
見切り発車的でしたが
行動しながら修正すれば良いと思い
突き進んでいきました。
エピソード6:愛に満ち溢れたコーチングの恩師
30歳
現場と経営を同時にする傍ら
上手く両立させるには何か学ぶ必要があると思い
信頼出来る知人の紹介で
コーチングの勉強会に参加しました。
その主催者こそ第2の師匠である
愛に満ち溢れたコーチングの恩師です。
コーチングの恩師は心から家族を愛していて
愛に満ち溢れた状態がこちらにまで伝わってくる
さわやかな笑顔で振る舞われるとても素敵な方です。
コーチングの概念を深く且つ
体系的に教えてくださり
特に仕事以外の人間関係に驚くほど効果を
発揮するメソッドです。
テクニック的ではなく本質をしっかり抑えて
全てに活用出来る最強&最高のスキルを
恩師から修得出来たのは
ものすごく有難いことでした。
自分の誕生日に奥様にプレゼントしたり
家族で旅行したりして無償の愛を施しています。
まさにGive&Giveの精神で
行動されているのが
本当に素晴らしいです。
この恩師から自分が望む結果を得たければ
まず先に与えることから始めることである。
価値観の基準を何に設定するかは
人それぞれですが
自分が決めた価値観に沿って
行動すると誠実性があり
主体的に生きることに繋がります。
愛を価値観の基軸にするのは
両親と恩師の影響が重なっているのも
相乗効果で活かされています。
そんな素晴らしい恩師もその後
悪性リンパ腫で逝去され
大きな悲しみを受け入れることになりました。
エピソード7:一時的な栄華と再び訪れる挫折
32歳
独立開業後順風満帆に進んでいるかに見えましたが
将来の方向性、集客、スタッフ教育等を
疎かにした結果院の状態は悪化する一方でした。
治療技術さえ向上していけば
患者さんはいくらでも来てくれる!
今思えばこんな馬鹿げた慢心はあり得ないですが
周囲の意見に耳を傾けないワンマン経営者が陥る末路が
これなんだという状況が痛烈に身に沁みました。
ノリと勢いで開業したのが仇となり
苦渋の決断ですが
4年で閉院することになりました。
全て自己資本金で運営していたので
借金せずに撤退出来ました。
表向きは独立開業して
ガンガン稼ごう的な発想でしたが
実際は加藤綾子さん似の彼女に
良いところを見せて
褒めてもらいたい承認欲求
だけだったに過ぎないです。
何のために仕事しているのだろうか?
何のために生きているのだろうか?
心から熱く燃え上がるような
情熱と誇りを持ち
多くの人を感動させる使命で
行動出来ていない自分に
憤りと不憫さを覚えました。
栄光は一瞬にして崩れ去り
奈落の底に落ちた決定的瞬間でした。
エピソード8:自分の内側と向き合う時期
33歳
自分の院を閉院後これからどうするかを
色々考えていたら当時整骨院業界では
新しい視点で取り組んでいる代表の下で
最初から学び直そうと決意し
入社をお願いしに行きました。
1度独立開業して失敗した者が
堂々と再就職するのは
雇用する会社側からすれば
経験値はあるが失敗した要因次第では
自分の会社を潰しかねない危惧もあり
入社に相当迷われたと思います。
そんな私の状況を代表は
受け入れてくださり
再出発となりました。
初心に戻るべく自分の内側と
向き合うことから取り組みました。
1番の敗因・・・
それは
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
自分自身の弱さを素直に
認められなかったことにあります。
強がって自分1人で何でも抱え込み
解決しようとする癖。
これこそ良い意味で人に頼って甘えて依存すれば
スムーズに解決するのにカッコつけて背負い込む
完全な独りぼっちタイプです。
まずは聞くことから始め徐々にギアを上げて
お願いをしてみたりしました。
独立開業していた頃とは違ってチームプレーを学び
自分の弱さを徐々に自己開示していくようになりました。
最も大きく変化したのは
『何があっても怒らない』
に決めたことです。
体育会系ゆえに血気盛んで
ちょっとのミスで
怒ったりしていました。
これを止めて相手の行動を
全て承認するくらいになろうと。
ものすごく抵抗がありましたが
覚悟を決めて臨むと
人は何とでもなるなぁと
実感しました。
怒るのではなく寛容になる。
注意するのではなくアドバイスする。
対立するのではなく協力する。
否定するのではなく受容する。
自分1人で行動する癖は
中々消えていないですが
相手を喜ばせる力や寛大な気持ちで
落ち着けました。
これは『内省』
つまり自分の内側と向き合うことで
進化出来た結果であると。
そして自分の内側である
心の声に耳を傾けていくと・・・
逝去された2人の恩師の声が
聞こえた気がしました。
そして再出発の決断をすることになります。
エピソード9:再出発の決断
38歳
鍼灸整骨院業界に20年間在籍して
色々なことを体験しました。
失敗ばかりする自分を責めては
何度も業界から逃げようとしていました。
手先が不器用でありながらも
継続して頑張ってこれたのは
紛れもなく家族の支えあってのおかげです。
ある日
『自分の棚卸し』
というワークをしている時
自分の内側にある
情熱
才能
知識
人脈
人格
目的
の項目に着目していました。
そしてそれは心の底から
本当に望んでいることは何か?
という問いかけと共に
過去にフラッシュバックして
熱血恩師の映像が浮かんできました。
情熱を持ってイキイキと輝き
周囲に影響を与える使命をしているのか?
まるで熱血恩師が語りかけているかのように
天の声(笑)が聞こえていました。
今のまま安定する事を本気で望んでいるのか?
心の内側でメラメラ燃える熱い魂が
衝動的に引火するかの如く
質問に答えていました。
自分は逝去された
2人の恩師に恩贈りが
出来ていないではないか!
このままだと死んでも死にきれない。
何とかしなくてはと頭では理解していても
どこか落ち着かない状態でした。
こんな時こそ自分の素直な気持ちに従って
ありのまま動いてみよう!
過去に独立開業した時は
単にノリと勢いだけでしたが
今は心の内側にしっかり向き合い
大切な2人の恩師のためにも
来たるべき時が来たんだと。
肉体・感情・精神・魂が
全て一致し誠実性を伴った状態で
いられるように
自分のライフスタイルを
見直していこうと。
お世話になった代表の整骨院を退職し
旅立っていくことになります。
エピソード10:新たな自由への旅立ち
現在(39歳になる3か月前)
今まで奥にしまい込んでいた
自分自身を解放し
新たな自由への旅が始まりました。
特に熱血恩師の天の声は
あの世(5次元)とこの世(3次元)の対話で
精神世界(潜在意識、夢、志、心の内側等)が
大好きな自分にとっては
神のお告げではと感じた程でした。
熱血恩師の遺言である
『海外に進出して、自分の魅力を最大限に発揮し、影響力を与えること』。
これこそ自分が本当にやりたいと感じ
心の内側にあった熱い情熱(コアバリュー)。
アメリカが好きなのと単純に以前から
ターゲットにしていたので
アメリカに移住しようと。
しかし住む環境を色々と熟慮して
総合的にここだと最終決断した場所
それは
・・・
・・・
・・・
・・・
・・・
『西オーストラリア・パース』
です。
大自然に囲まれた壮大な景色美しい街並み
ゆったりしたスローライフスタイル
子育て環境が良い等
これらを考慮して決断しました。
世界中コロナ一色で
何を考えているんだと
批判する事を跳ね除けて
自分が成し遂げたい目的と
恩師の遺言を完遂するべく
行動します。
新しい旅は始まったばかりです。
乞うご期待(笑)!
P.S.
海外の情勢を鑑みてしばらく
国内で活動することにしました。
落ち着き次第、海外進出を図ります。