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【「形式合理性」と「実質合理性」】『論理的思考とは何か』(渡邉雅子 岩波新書)【読書ノート】【第3話】

【第1話】

【第2話】

【第3話】は「合理性」のお話。

1,マックス・ウェーバーの「合理性」

合理性は、ドイツの社会学者ウェーバーの合理性の理論をもとに「形式合理性」と「実質合理性」の二つに大きくわけることができる。

『論理的思考とは何か』(渡邉雅子 岩波新書 56ページ)

私にとって、いや多くの日本人にとって、ウェーバーさんといえば、これ。

2025年2月11日の時点で、KindleUnlimited会員は無料で読める。『プロ倫』が0円。なんてこと。若いころに、この本を読んでいないのは恥ずかしいかのような空気があって(どの界隈だよ)、予備知識も何もないからチンプンカンプンだった。古典を読む際は、時代背景や、その分野の予備知識は必須だ。

それで日本には「新書」という素晴らしい出版物があり、ウェーバーについても、これらを読んでおけば、原著の読解もはかどりまくる。

ただしそれ以上の詳細は、本稿の目的ではないので割愛。

押さえておきたいのは次の点。

・形式合理性(道具合理的行為)→手段に関わる合理性
・実質合理性(価値合理的行為)→目的に関わる合理性

と著者である渡邉雅子氏は説明している。

実はウェーバーの合理性は、

・目的合理性
・価値合理性

という分け方で紹介されることもある。それを知っている読者の中には戸惑う方も多いだろう。多いでしょう?私だけ?ほんと?

実質合理性=価値合理性と結びつけようとしても、完全には一致しない。

それだけ、ウェーバーのいう「合理性」とは、単純にスパッと切り分けられるものでもないという考え方もできる。

本書では、

形式合理性(道具合理的行為)→手段に関わる合理性
実質合理性(価値合理的行為)→目的に関わる合理性

と解説されており、素直にこれに従って読んでいくと、論理的であること、合理的であること、それがいかに多様性に富んだものであるかということはが理解できる。

2,イメージしてみよう。

それぞれ具体的にイメージしてみよう。

まず「形式合理性」とは、手段に関わる合理性を指すのだった。例えばどんな例を挙げることができるだろうか。

すでに決められた目的があって、そこに向かって進む矢印を、最短距離でまっすぐに進むイメージ。ゴールに至るプロセスをいかに合理的に行うか、ということだ。

たとえば、あなたは格闘家だったとしよう。今日の試合で負けると引退になる。

対戦相手も同様。引退をかけた試合だと聞いた。

それでも、あなたの使命は「勝つ」ことのみ。

今日の試合を、どう戦うか。

相手は練習中に左ひざを故障し、今日も左ひざにサポーターを巻いている。

こうなれば当然、1ラウンド目から真っ先に左ひざを集中的に狙う。おそらく短時間で圧勝できるだろう。

こういう判断は「形式合理性」といってよい。勝てばいいのだから。

次に「目的合理性」である。その名の通り目的に関わる合理性だ。

あなたは格闘家として引退をかけた試合に臨む。相手も引退をかけた試合だ。対戦相手は左ひざを痛めているのだった。

もちろん「勝つ」ためには、左ひざを集中攻撃するのが最も合理的だ。しかし、ミッションはそれだけではない。

なぜなら、今回の試合はかなり注目され、テレビでライブ中継されることになった。ゴールデンタイムだ。試合会場以外にも、多くの視聴者が試合を観戦してくれるのだ。

観てくれるお客様がいる以上、エンターテインメントとして、リアル感を演出しながらも、ドラマティックな展開を考えたい。

ならば、相手が得意とする寝技にあえて持ち込まれた状況をつくり、苦戦を強いられる場面も演出すべきだ。

相手の見せ場もしっかり作りながら、勝つか負けるかわからないスリリングな試合展開を運びつつ、相手の痛めている左足をあえて狙わずに、お互いの力を出し切る試合展開に。

負けるリスクは上がる。

しかし、確実に試合は盛り上がる。視聴率も上がるだろう。

注目されればされるほど、また次の試合(ビジネス)につながる。まだまだ選手として活躍したいから、ここは試合を盛り上げること、ドラマティックな展開を演出することを優先させるべきだ。

どちらも「合理的に考えた結果」であるが、手段と目的の違いで、判断は変わる。

どうだろうか。形式的合理性と実質的合理性の違いがより鮮明になった気がするのは私だけだろうか。え?私だけ?ほんとに?

3,ついに「4つの領域」が立ち上がる。

形式的合理性とは、手段に関わる合理性。実質的合理性とは、目的に関わる合理性。

この2つの合理性と、主観的・客観的という概念を元に、4つの領域が立ち上がる。

これは「こじつけ」じゃない?って最初は感じた。

おそらく私を含む多くの読者は、この図を提示されたとき、素直に「なるほど」と納得いくことは無いのではないか。

なぜ経済が「形式的」で「主観的」なのか、疑問に感じることは、不自然ではないはず。

しかし説明を読むと「納得」である。この領域名称は、渡邉康雄氏によるものだということで、姓が著者と同じだから気になって(ご家族かもと)調べてみたが、わからなかった。ピアニストは別人だし😢

2006年の段階で、京都女子大学と名城大学の非常勤講師をされていたことは判明(名古屋大学 高等教育研究センター)。

情報求む😢

さて、ここから有名になった「アメリカ式」・「イラン式」・「フランス式」・「日本式」の論理的思考、作文指導の話になってくる。

つづく。


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志道正宗(まめじぃ)
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