「大宇宙教」のニュース・ツッコミどころ多くて高熱で寝込んでいたワシ思わず飛び起きた件[産経記事]日本語おかしくない!?
以下は、産経新聞の記事を引用したものである。
「大宇宙教」というネーミングへのツッコミついては後で論じよう。まずはこの記事の文章についてツッコミたくて仕方がない。まず1点目。
助詞「の」の連続使用は要注意
次のような3通りの解釈ができてしまう。
1,宗教法人「大宇宙教」の所在地が、奈良県三郷町信貴山西。
2,宗教法人「大宇宙教」が所有する施設「断食道場」の所在地が、奈良県三郷町信貴山西。
3,宗教法人「大宇宙教」も「断食道場」も、信貴山西にある。
一体どれが正解?
正解は、2だった。大宇宙教は静岡県沼津市に本部があった。
「の」を重ねると、時にわかりにくいの。こうすればよかったの。
え?文字数の関係で削らないといけない?だったら次の記述を修正すればよいの。これが2点目。
これでも意味は通じるけれど、こうすればよかった。
身元がわかっていたら「1名」となるだろうが、不明なので「1人」でよい。「現場で」や「いずれも」は、省いて構わない。「性別」は情報としてどこまで必要か意見は分かれると思う。しかし一応、入れておく。
プロの新聞記者が、プロの視点で書いて、それを編集者がチェックして、編集長もこれでよし、と判断したのだから、ワシごときがとやかくツッコむのもなあ、とここまで書いてきて後悔が始まっている。
いやそれでも「の」の使い方について、もうちょっと配慮があってよくないかと思う。
これなら「の」を連続しようしても、すっと意味が通る。
宮沢賢治の有名な詩「雨ニモ負ケズ」における、
も、「の」の連続が効果を発揮している好例だ。
しかし今回の記事では「の」連続使用の結果、2通り以上の解釈ができてしまった。これは本来、新聞記事としては避けたいことではないだろうか。
新聞記事には新聞記事独特のルールやしきたりがあって、ワシごときド素人がとやかく言えるようなものではない、と言われたら黙るけれど。
拙著通称『小論文対策本』でも、助詞の連続使用は注意してね、と書いた。
文学作品ならともかく、正確に事実を伝えるべき文章で、解釈が2通り以上できるというのは、やはり問題やで。
「大宇宙教」というネーミング
ところで、ずっとコロナから身を守ってきたが、ついに負けた。人生初感染。
糖尿病の持病もあって、死を覚悟しながら、ウンウンひとり苦しみながら自宅で寝込んでいた。「断食道場」へ通う必要もなく、強制断食だった。
そんなワシを思わず叩き起こしたのがこの記事だったのだけれど、もうひとつ衝撃的だったのが「大宇宙教」というワード。
宇宙って大きいやん?
説明いらんやん?
そこに「大」をつけたがる心理。
「大きい」のは自明の事なのに、更にそこに「大」をつけたい。
「大」を詳しく説明するならば、どうなるんだ。
となるのか。
という理解でよいのだろうか。
もし今後、機会があれば知りたい。
教祖様の、ネーミングについてのこだわりポイントはどこ?
目指したところは何?
他にどんな案があったの?
信者から文句出なかった?
で、断食と大宇宙にどんな因果関係が?栄養失調による幻・・・うわちょっと待って何す・・・(以下略)
チラッとでも伺い知れるチャンスがあれば、いいなと、少しだけ思った。
幼い頃から無宗教だった。
学生時代葬儀社のアルバイトで現実を目の当たりにしてから、信心は本当に皆無だ。
しかし、だからこそ、既存の宗教がこれだけ発展してきた経緯やしくみにはとても興味がある。
重症化で死んでしまう~苦しぃ~って、ウンウンうなりながら、高熱で寝込んでいたワシが、書いているうちに元気が出てくるって、何て調子のよい生きものなんだろうか。
そもそも死にそうな人間がネットでニュースなんて見るものか。
この世に生まれ落ちて52年目だが、いまだに自分を信用できない。
ところで、どんな神様を信じていようと、どんな人生を送ってこられた方であろうと、誰であっても、火事で亡くなられるというのは、本当に痛ましいことです。
亡くなられた方、ご関係者皆さま、心よりお悔やみ申し上げます。あなたの信じる世界に行けたらどれだけ良いだろうと願わずにはいられません。
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