
職場で出会った10歳年下の彼と過ちを犯してしまった話 その1
こんにちは。ツミキです。
Xにて35歳のときに25歳の後輩と不倫関係にあったというポストをしたら、同じような経験をしたという方からメッセージを頂きました。
どこにも吐き出すことが出来ず、ブログなどもやっていないということでしたのでお話を聞かせていただきました。
おそらく他にも同じような人がいるかと思います。
良かったら体験談をお寄せください。
個人が特定できないような形でこのnoteに体験談集として載せさせていただきます。
ここは悩みを抱える心を軽くする場所です。
コメントされる方は言葉だけでお願いします。
いつでもメッセージお待ちしています。
今回は都内にお住いのAさんからです。
個人が特定できないような形でエッセイ形式にさせていただきました。
少しでも心の荷が下りてくれたら幸いです。
それではお送りいたします
あの夜の記憶は、私の胸の奥にそっとしまわれた小箱のように残っている。
開けてしまえば、後悔とときめきが同時に飛び出してきそうな記憶。
普段は目を逸らすように暮らしているけれど、それでもふいに思い出される瞬間がある。
たとえば、年の離れた誰かと笑顔で談笑するとき。
あるいは、子どもが寝静まった夜更けにリビングの照明を落とし、ひと息つくわずかな時間。
そんなとき、あの一度きりの、今でも信じられないあの出来事が、ゆっくりと私の記憶の扉を叩いてくる。
私は三十代の主婦であり、ひとりの母親でもある。
夫は真面目で厳格な性格で、家事や育児のやり方、子どもの生活習慣に関しては細かく口を出すタイプだった。
趣味やお金の使い方にもとても厳しく、日々に息苦しさを感じることもあった。
もちろん彼なりの正義や責任感があるのだろうし、私も当初はその厳しさが頼もしさだと思うこともあった。
でも、歳月を重ねるうちに、彼が意図せぬところで私の心を締めつけているのだと気づかないふりをしていた。
夫には言えない小さな不満や、母親業に疲れて流すため息を、私はいつしか自分の中だけで処理するようになっていたのだ。
職場での私の立場は、ごく平凡な会社員。
子どもを育てながら働くには不満もあるけれど、それでも社会とのつながりを持てる場所として、なんとかやってこられた。
それほど華やかでもない仕事場だったが、あるとき十歳年下の後輩が配属されてきた。
彼は素朴で礼儀正しく、それでいてどこか無邪気な笑顔を持つ青年だった。
私からすれば、まるで弟のような存在。
初めはそのくらいの感覚で気軽に話しかけていたし、まさか自分が彼に心を動かされるなど想像もしなかった。
時間が経つにつれ、私は彼と同じ趣味を持っていることに気づいた。
私が子どもの頃に好きだった映画や音楽の話を振ると、彼は真剣な瞳で嬉しそうに相槌を打ち、時には「そこが最高なんですよね」と満面の笑みを見せてくれた。
世代が違うのに同じ趣味を共有できることがなんだか不思議で、面白かった。
少し、運命的なものすら感じた。
私の周りの人間にはない純粋さや、好奇心に満ちた明るさ。
その素顔を眩しく感じた瞬間、私の胸の中に小さな違和感と甘いときめきが入り混じった。
夫とはこんな風に、興味のある話題を膝を突き合わせて語り合ったことがあっただろうか――ふとそう思うと、胸がきゅっと締めつけられた。
最初は仕事の合間に軽くおしゃべりをする程度。
後輩としての彼は敬語が抜けきらず、私は年上としてどこか見守るような立ち位置で雑談に応じていた。
けれどある日、彼が不安げな顔で言った。
「Aさん(私)って、なんでそんなに落ち着いてるんですか?僕なんてちょっとトラブルあるだけですぐ焦っちゃいますよ」
ただの質問かもしれない。でもその瞳には何かを求めるような色が宿っていて、私はそこに「もっと話をしたい」「あなたを知りたい」という気持ちを感じ取ってしまった。
心のどこかで、妻であり母である自分が、こんな若い男性の前で何を意識しているんだろうと自分を戒めながらも、理屈では抑えられない揺れが生まれ始めていた。
夫にとって私は「家のことをきちんと切り盛りしてくれるパートナー」であり、「子どもの母親」ではあっても、あまり「一人の女性」として意識されていないのではないか――
そんな疑念を抱いたのは、彼とのやりとりが増え出した頃だったと思う。
長い結婚生活でしだいに慣れ合った空気が漂うのは当たり前かもしれないけれど、結婚当初のような熱は冷めきってしまっていた。
日々の会話は最低限のやり取りだけ。
そんな夫婦関係の中で、ふと差し込んだ若い後輩の純粋なまなざしに、私はいつしか救いのようなものを感じていたのだろう。
そうして月日が過ぎ、職場の飲み会をきっかけに、私たちはついに連絡先を交換する。
業務連絡という大義名分はあったものの、私があのとき「もしよかったら、LINE教えてもらってもいい?」と口にしたのは、ほんの少しばかりの下心があったはずだ。
そうした私の意図を、夫は知る由もない。
子どもを寝かしつけた夜、夫はリビングでテレビを観るか自室で書類を眺めていて、私はスマホを握りしめていた。
メッセージの画面には、敬語混じりで送られる彼からの言葉。
「今日もお疲れさまです。帰り道、大丈夫でしたか?」「あの資料を確認してくださってありがとうございます」。
何でもない言葉のやりとりが、なぜこんなにも心を温めるのか――日常に埋没していた私には、その理由がわからないまま、けれど確かにときめいていた。
そんなある夜、彼が意を決したようにメッセージをくれた。
「Aさんにだけ、ちょっと相談したいことがあるんです」
私はそのひと言に胸が高鳴った。
妻として母としての責任を抱えながら、こういうときめきを感じる自分を責める気持ちもあった。
でも、もう止められなかった。
たいていは職場で十分会話ができるはずなのに、「あえて夜に、スマホ越しに伝えたい何かがあるのだろうか」と思うと、いてもたってもいられなくなった。
翌日、仕事が終わったタイミングでこっそり二人だけで落ち合い、少し遠くの喫茶店へ行った。
いつもは賑やかな同僚たちもいない、静かなテーブルで向かい合うのは初めてだった。
妙に緊張して紅茶を一口飲むと、彼がまっすぐ私を見つめて口を開く。
「僕、実は女性経験がないんです。ちゃんとお付き合いしたこともなくて……」
思わぬ言葉だった。
いくら年下とはいえ、彼はもう社会人として働き始めているし、見た目も清潔感があって魅力的だ。
意外すぎて驚く私を前に、彼はさらに続ける。
「でも、Aさんと話してると、なんだか気持ちが楽になって……もしAさんが良ければ、そういう……ことも、経験してみたいと思うんです」
心臓が飛び出しそうだった。
夫も子どももいる私と、こんな若い彼が一夜だけの関係を望んでいるなんて。
もちろん倫理的にも常識的にも、断るのが正解だったはず。
けれど、そのときの私は日々の閉塞感から逃れたい気持ちと、彼から向けられる熱い視線に抗えなかった。
高鳴る鼓動は、恐怖よりも幸福に近いものだったのだから。
いけないことだと理解しているのに、「私でいいのだろうか」という戸惑いと同時に、「私でもいいんだ」という歪んだ安堵を感じた瞬間でもあった。
実際に一線を越えたのは、それからそう日を置かずのこと。
夜遅い時間、夫には「残業になる」と嘘をつき、子どもは夫に任せて私は彼と会った。
どこかのビジネスホテルで、カーテンの向こうに街の明かりが淡く滲んでいるような、そんな小さな部屋。
最初はお互い照れくさく、ぎこちない会話を交わした。
私は「やっぱり帰ったほうがいい」と思いながらも、その場を離れることはできなかった。
なぜか、心の奥にあった「もっと大事にされたい」「誰かの特別でいたい」という思いが顔を出して、彼の存在を強く求めてしまったのだ。
彼は本当に不慣れで、私がどう受け止めていいか分からないほど緊張していた。
けれど、その不器用な仕草や真剣な眼差しが、かえって胸を締めつけたのを覚えている。
声にならない、弱い吐息があたりに溶け、何かが静かに崩れていく。
わずかに触れ合った手のひらは暖かく、私が思っていた以上に「人肌ってやわらかい」と感じた。
その瞬間、夫と過ごしていた日々が急に霞んでしまうようで私は怖かった。
それでも離れられなかったのは、十歳の年齢差を超えて、どこか包まれるような甘さを感じてしまったからだと思う。
一度きりの行為は、決してドラマチックなものではなかった。
むしろ、お互いに慣れない空気の中で、一生懸命に相手の存在を確かめ合うような、拙くて、ぎこちない時間だった。
でも、それを「後悔」と言い切ってしまうには、あまりにも強烈に生々しい思い出になってしまった気がする。
身体が触れ合うと同時に、心の奥底でずっと抑えていた感情がひとつずつほどけていくようだった。
そのとき初めて、私は自分がどれだけ愛されることを渇望していたのか、少しわかった気がする。
その後、私たちは日常に戻った。
彼は変わらず職場で明るく笑っていたし、私も母として妻としての役割をこなしていた。
けれど、やはり気まずさがなかったわけではない。
夫に嘘をつき、子どもを置いてまで得たあの夜は、私にとっては甘美だけれど同時に苛立ちと罪悪感を伴うものでもあった。
何度となく「やっぱりおかしいよ」と自分を叱責したけれど、そのたびに思い出してしまうのは、彼の潤んだ瞳と、震える唇。
心の底では「二度と会えなくなるかもしれない」という怖さもあった一方で、「もう一度だけ、彼と会いたい」という想いも否定できなかった。
しかし時は残酷なようで優しくもあった。
職場での人事異動があり、彼は別の部署へと移動していった。
一緒に仕事をする機会が極端に減り、私たちの連絡はどこか途絶えがちになった。
あれほど心を揺さぶられた相手なのに、会わなくなると次第に距離が生まれていくのは、ある意味当然のことかもしれない。
私は母親としての役目に追われるうちに、彼に返事をしそびれることが増え彼も新しい環境で忙しさに飲まれていったのだろう。
気づけば、「元気ですか?」といったわずかなメッセージも届かなくなり、私も返信をしないまま月日が過ぎていった。
そして自然消滅という形で、私たちは別れとも呼べない幕引きを迎えた。
たった一夜だけの関係だったけれど、あの瞬間の高揚と罪悪感は私の心に確かに刻みつけられている。
夫には絶対に言えないし、子どもを悲しませるわけにもいかない。
だからこそ、この秘密はきっと墓まで抱えていくことになるのだろう。
いま日常生活を送る私は、あの夜のことを思い出しては「自分がとんでもない過ちを犯した」と後悔するときもある。
それでも、記憶の中で彼はいつも輝いていて、私の心のどこかを温める存在であることもまた否定できない。
もし、あの出来事がなかったら、私は夫との関係をどう見ていたのだろう。
子どもを育てることで精一杯になり、夫の厳しさにもなんとか我慢できていたかもしれない。
けれど、彼と出会い、あの夜を越えてしまった今となっては、もはや昔には戻れない気がする。
もちろん、それを表に出して家族を壊そうとは思わないし、そんな勇気もない。
ただ、あの夜が私に教えてくれたのは、どんなに落ち着いたふりをしていても、自分の中にはまだ「愛されたい」「求められたい」という激しい想いが眠っていたという事実だ。
人はしばしば浮気や不倫を軽蔑する。
私自身、もし身近な人が同じことをしていれば、同じように責めるかもしれない。
でも、一線を越えてしまった後はもう、単純に「悪」だとも言い切れない感情が渦巻いていた。
良し悪しはともかく、それが自分の中に「確かに存在した欲望」なのだと認めざるを得なかった。
それでも私は、母としての責任を投げ出すつもりはないし、夫との生活を手放す気もない。
だからこそ、一度だけでも心を通わせてしまった相手のことは、ひたすら胸の奥深くにしまい込んで、今を生きるしかないのだと思う。
いまでも夫は子どもに厳しく、私にはむしろ無関心なように見えるときがある。
ときどき寂しくなる夜には、ソファーに沈み込み、ふっと彼の柔らかな笑顔を思い出す。
そんな自分が嫌いになる反面、あれほど満たされた心を味わったことは、人生でそう多くはなかったのだろうと感じる。
だからこそ、思い出すたびに懺悔の気持ちと、忘れられない甘さがないまぜになって複雑な感情が湧き上がるのだ。
この話を誰かに聞いてほしかった。
話すこと自体が私にとっての苦しい浄化作業なのかもしれない。
「もう二度としない」と言い聞かせながら、「あのときの自分はどうかしていた」と自分を責めながらも、心のどこかで「でも、あれはあれで美しい思い出だった」と肯定してしまう私がいる。
夫にも、子どもにも、そして彼にも、この気持ちを打ち明けることは一生ないだろう。
だからこそ、こうやって誰かに残しておいてもらいたい。
「あの夜のあの瞬間、私は間違いなく彼を必要としていたのだ」という事実を、なかったことにはできないから。
私のことを知らない誰かに、知っていてほしい。
あれから幾度となく季節が巡り、子どもはすくすく大きくなり、私もまた違う職場に移った。
夫とは変わらず同じ家で暮らしているけれど、厳しさも含めて彼の存在があってこその家庭なのだと、なんとか自分の中で納得しながら生活している。
日々の雑事に追われ、あの出来事を思い出さない日も増えてきた。
けれど、決して記憶から消えるわけではない。
心の奥底では、彼の笑顔も、初々しかった肌の温もりも、ずっと息づいている。
もしあの瞬間に戻れるのなら、私は同じ過ちを犯すだろうか。
答えは出ない。
ただ、あのときの私はあれがどうしても必要だったのだと思う。
そのことを誰がどう責めようと、私自身が自分に下す罰は、一生この秘密を抱えて夫や子どもの前で笑うこと。
その重みを背負いながら生きること。それが私の償いであり、同時に大切な家族を守る唯一の方法なのかもしれない。
それでもときどき、あの年下の彼を懐かしんでしまう自分がいる。
それは恋なのか、単なる性の衝動だったのか、答えはわからない。
ただ、少なくともあの夜、私は確かに彼の存在に救われたのだろう。
それだけは間違いない。
これ以上その理由を深く探るのは、もしかしたら自分を傷つけるだけかもしれないし、彼への思いをより強くしてしまうかもしれない。
だからもう、ただ静かに胸の奥底で温めるだけでいいのだと自分に言い聞かせている。
私はまた明日も夫と子どものいる家に帰り、食卓を整え、日常の営みをこなしていく。
そこにある安定や、家族の笑い声は何ものにも代えがたい宝物だ。
そして、その裏側には誰にも言えない秘密が一つだけ、そっと隠れている。
あの日あのとき、私が一歩踏み出してしまった、短いけれど確かな「罪」の瞬間。
懺悔の気持ちとともに、それを思い出すたびに微かな熱が蘇るのは事実なのだ。
だからこそ私は自分に言い聞かせる。
あれは一生に一度だけの迷いだった、と。
あの夜は私が私であるために必要だった通過儀礼のようなものだった。
懺悔と甘美が混ざり合いながら、静かに私の中で息づいている秘密。
それが私の人生を支えている部分があるのもまた事実なのだと、少しだけ胸を苦しくさせている。
誰にも語れないまま、私は明日も笑顔で暮らしていく。
心の片隅に、二度と開けることのない小箱を抱えながら。
お読みいただきありがとうございました。
もしコメントをお寄せいただける場合はどうぞ否定的なご意見は控えていただけると幸いです。
このnoteが誰かの心を軽くするものでありますように。