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【大人のファンタジー小説】マッチ売りの女の子(第二話)

Part2 クリスマの準備

 イセザキ・モールから通りを2つ過ぎると、人かげもまばらな福富町仲通りがあります。クリスマスだというのにイルミネーションなどの装飾が見当たらず、すぐそばにあるイセザキ・モールの賑やかさが嘘のようです。なんとも寂しげなその通りまできた女性は、4階建ての雑居ビルと3階建ての雑居ビルの間の小さな隙間に入り込み、トートバックのなかから先ほど手に入れたマッチ箱を取り出しました。外箱には赤色の背景に黒線でコンドルが描かれています。中箱を引き出すとマッチがたった3本入っていました。このマッチ箱の側面には、ザラザラした側薬の部分がなかったので、女性はそのうちの1本を手に取ると、女の子が「壁や床に擦りつけただけで火がつく」といった言葉を思い出して、ビルの壁に擦り付けました。そのとたん、シュッという微かな音と共に火花が散って、明るい炎が女性の目の前に現れたではありませんか。その炎は、ほんとうに不思議な光でした。ろうそくのようによく燃えて、暖炉の火のようにあたりを温かく包み込みました。
 するとどうしたことでしょう、女性の目の前に、彼女の背丈よりもずっと大きなクリスマスツリーが見えました。そのそばには、オーナメントを両手いっぱいに抱えた小学生くらいの女の子、そして星のモチーフを握りしめている小さな男の子がいました。ちぎった綿を手に、微笑みながら立っているのは、今よりも断然若い、その中年女性の姿です。
「あたしったら、笑ってる」と中年女性の石川梨々子(いしかわりりこ)は呟きました。
「僕がツリーのてっぺんにお星様をつけるんだよ」
「優馬はてっぺんになんか届かないじゃない。わたしがやる」
 どうやら、お姉さんと弟がツリーの頂に取り付けるお星様のことで喧嘩をしているようです。
「去年は柚香がお星様をつけたから、今年は優馬につけさせてあげよう。その代わり柚香はツリーのイルミネーション点灯式のスイッチオンの係をやってくれるかな」
 キッチンの奥から男性が出てきてそう言うと、男の子を肩車して星のモチーフをツリーの頂上につけさせてあげました。男性は梨々子の夫の雅紀でした。綿の雪を持っている梨々子と同様に、現在よりも10歳くらい若い時代の雅紀です。

 どうやらクリスマスのちょうど1か月前の日曜日を『プレクリスマスの日』と呼んで、目の前にいる若い梨々子の家ではクリスマの準備や飾り付けをする日と決めているようでした。この日から年末まで、リビングはクリスマス特有の幸福で華やかなムードに包まれることでしょう。
「では次に点灯式を開始します。柚香ちゃんお願いします。ママ、ピアノで『きよしこの夜』を弾いて」
 雅紀がリビングの電気を消しながら梨々子にそう促すと、梨々子はリビングに置いてあるアップライトピアノの前に座り『きよしこの夜』を奏でます。
「スイッチオン」という雅紀の掛け声で、柚香がイルミネーションのスイッチを入れると、ツリーに巻き付けられた赤や青、ピンクや黄色の電球がピカピカと点滅して、リビングは、おとぎの国のお姫様が住む夢の宮殿に早変わりです。
 リビング真ん中に置かれたローテーブルの上には手巻き寿司のセットや唐揚げ、パパのためのビールが並んでいます。
 梨々子はピアノから離れ、テーブル脇のクッションに座ると
「じゃあ巻き巻きをはじめよう。柚香も優馬もパパも座って、座って」
 そう言って海苔を1枚手にしました。
「柚香はもう自分で巻けるよね。優馬はママが作ってあげるね、何がいい?」
 まだツリーのそばから離れようとしない男の子に声を掛けたそのとたん、ツリーの電飾はパッと光を落とし、あたりは元の福富町仲通りのビルとビルの間の殺風景な隙間に戻りました。そう、梨々子が手にしていたマッチの炎が消えたのでした。
 
 流産したあのときの子どもは、女の子と男の子であったのだろうかと梨々子は思いました。性別も定まっていない周期での早期流産でしたが、きっとそうであったに違いないと確信を持ちました。
 タイミング療法、人工授精、体外受精と段階をおった不妊治療の中で梨々子は2回妊娠しましたが、2回とも流産をしました。独身時代から積み立ててきた定期預金を解約して全額注ぎ込みましたが、体外受精に2回挑戦した段階で梨々子の手持ちの資金はショートしました。銀行の使徒自由のフリーローンを組んで不妊治療を続けようと決めていました。ところが、47歳の誕生日を迎えたあたりから卵巣年齢のAMH値が下がり、閉経が見えてきた段階で不妊治療は断念したのです。
 婚活をスタートした時点で40歳を過ぎていた梨々子は、妊娠できないことに後ろめたさを感じて、不妊治療費はなんとか自分のお金でやりくりをしてきました。ましてや、リーマンショックの影響で事業をたたみ、40歳半ばを過ぎてから一般会社への転職を余儀なくされた夫に不妊治療の資金を出してほしいとは言い出せませんでした。
 とはいえ、資金面以外では雅紀は協力的でした。必要な時タイミングで快く精子を提供してくれましたし、不妊治療については、「一番大変なのは梨々子なのだから、梨々子が納得いくようにすればいい」と言うのが口癖でした。資金も判断も委ねられた梨々子は、もはやなすすべもなく断念という選択肢を選ぶほかありませんでした。
「お金があっても幸せにはなれない。お金で買えないものがある」、梨々子がテレビの対談番組やひな壇番組を見ていてタレントがよく口にする言葉です。著名な女性作家のエッセイでもこの手の文章を頻繁に見かけました。それはお金が潤沢にある人だけが言えるセリフなのだと梨々子は理解していました。お金さえあれば子どもだって、子どもがいる幸せな家庭だって手に入るのだと、そんなことを考えているうちに「もう一本マッチを擦ってみよう」と梨々子は閃きました。次に出てくるのは入園式や入学式かもしれません。あるいは、山にキャンプに行ってバーベキューをしている場面か、おじいちゃんとおばあちゃんの家に遊びに行って近所の海でスイカ割りをしているシーンでしょうか。ひょっとするとお正月や七五三、ひな祭りで子どもたちや梨々子、雅紀も和服を着ているかもしれません。
 有林堂8階のギャラリーで『マキ・ハヤシダ 有林堂オリジナルイラストカレンダー発売記念 原画作品展』を開催していたマキ・ハヤシダ、林田真紀子は、梨々子のデザイン専門学校時代の友人でした。ノッコちゃんという少女キャラが世界中を旅するイラストが当たり、トラベル雑誌や交通系広告で採用されて人気に火がつき、今や大御所のイラストレーターとなっていました。メールで案内をもらって、なんの予定もなかったクリスマス・イブの日にマキ・ハヤシダの展示会にやってきた梨々子は、自分の才能のなさと才覚のなさをつくづく実感していました。だったらせめて、幸せな家庭があればよかったのにと、有林堂のエスカレーターを歯軋りしながら下りてきたのでした。
 なんの才能もなく、何かを成し遂げることがなかった凡庸な人生だったとしても、このマッチをもう一本擦れば「子どもに恵まれた幸せな女の王道人生」が手に入ると梨々子は思ったのです。


#創作大賞2024 #ファンタジー小説部門

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