同人界隈という未熟でカルト的な環境
・この記事では同人界隈の問題点について分析し、明確に批判します。
・ただし同人文化そのものに対して侮辱したりそれを楽しむ個人に対する批判が目的ではなく、あくまで問題点を浮き彫りにして改善やその環境で傷ついた人の心理的な回復を願うものであり、同時に迷っている方への参考になることを意識したものです。
・著作権的な視点から批判するものではありません。
同人界隈はしばしば揉め事が起きてざわつくたびに学級会と呼ばれる話し合いが起き、他の場所ではカルト的だと批判される。では何故そんな批判があるのか、主観も交えて考える。
コミュニティの閉鎖性と価値観の狭さ
これには思い当たる人も多いのではないだろうか。オタクの世界は元から特定の価値観で集まるクローズドなコミュニティだ。同人の世界はオタクコミュニティの一部であり、更に狭い世界と言える。このような環境では、外部からの視点や多様な価値観が入りづらくなる。
そうなると狭い世界での価値観が過剰に重要視されがちで、外部からすれば些細な問題がまるで大事のように扱われるため、客観的に見ると「子供の学級会」と同じように映る。
過剰な承認欲求
同人活動は自己表現の場であり、表現を見てもらう以上は承認欲求と深く結びついている。SNSやイベントを通じて他人からの反応を得ることがモチベーションとなるならいいが、外部評価に依存するあまりに反応が期待に満たない場合や批判された場合は過敏な反応を引き起こすことがある。
一般社会の大人は、ある程度の承認欲求をコントロールし、仕事や人間関係の中で折り合いをつけることが求められる。しかし、同人界隈ではそのスキルが発達していない人が多く、ちょっとした批判や意見の違いに対して過剰に反応し、感情的な争いに発展しやすい。
偏った興味と感心
承認欲求をコントロールし、仕事や人間関係の中で折り合いをつけるスキルが発達していない人が同人界隈には何故多いのか?
それには同人界隈特有の推しに対する熱愛や独自の解釈に対する強いこだわりが関係している可能性がある。同人世界では特定の解釈が讃えられ、偏った熱意が愛として評価されるが、それは折り合いをつけなければいけない一般社会とは真逆であり、偏った価値観は肯定的な環境により更に肥大していくために成長しようがない。
また、偏った熱意はアイデンティティとなっていく。その結果、ちょっとした批判や意見の違いに対して己の存在を否定されたと拡大解釈して過剰に反応し、感情的な争いに発展しやすくなってしまう。
「敵と味方」に分ける二極化
同人界隈、それもSNS上トラブルでは「誰かを100%の悪人にする」「被害者を名乗り、他人に攻撃させる」など二極化しがちだ。感情的な処理が優先され、相手の立場やトラブルが起きた経緯を考慮しない。
一般的な社会では、多面的に物事を捉え、他者の良い部分と悪い部分を総合的に評価することがある程度求められる。例外はあるが、仕事によってそれが鍛えられていくという面もあるだろう。個人の好き嫌いに囚われていたら会社は回らないからだ。
一方で、同人界隈では「この人は善か悪か」という単純化した構図で人間関係を捉えることが多い。これには同人界隈の閉鎖的なコミュニティや感情的な価値観が、他者を敵と味方に単純に分ける思考を助長している可能性がある。推しや推しカプを偏愛し、同じような価値観の人間のみと群れ、異なる価値観を排除していればそうなるのは当たり前だ。推しや推しカプへの愛という大義名分のもと、異なる価値観を受け入れられない未熟さは建設的な対話を阻害する原因となる。
コミュニケーション能力の未熟さと無責任が許される環境
同人活動は基本的に「趣味」の領域だ。現実社会での協力関係や責任の共有が求められる場とは異なっている。自分の好みで付き合う人間を選ぶことは当たり前で、気に入らなければ関係を切ればいい。それ自体は悪くはない。しかし、問題はバランスだ。上記で述べたようにオタクは興味や熱意が偏りがちだ。同人界隈ともなれば個々が独自の解釈にこだわりを持ち、趣味をアイデンティティにしていることも少なくない。そうなると必然的に比重が偏りがちで、そんな人間が趣味に依存すれば必然的に職場や家庭などの現実の人間関係で必要とされる「冷静に意見を交換するスキル」や「問題解決の能力」が育ちにくくなる。
また、趣味の場は、趣味であるため責任が発生しにくい。無責任な環境で、問題解決の能力が育っていない人間の集団が話し合いをしたところで、建設的な話し合いなど出来るはずもない。
そこで行われるのは問題の解決ではなく、一個人の主観的な感情の押し付け合いと喧嘩、集団リンチだ。
結論
こうした複合的な問題が同人界隈の揉め事が「子供の学級会」「カルト的」と批判される理由と思われる。一般社会もブラック企業やパワハラなど問題点は多数あるが、少なくとも同人界隈はその特殊な環境や価値観が幼稚さを改善させることなく助長させてしまうのだろう。
もし同人世界に息苦しさや辛さを感じている人がいるならば、一度距離を取ってそこがごく狭い世界であること、人生の全てではなく一部に過ぎないことを踏まえて考えることをおすすめしたい。
「界隈の価値観」も「界隈の揉め事」も貴方の人生全てを左右するものではない。同人界隈で評価されなかろうが貴方は価値がある人であり、同人世界の評価は社会的な評価とイコールではない。界隈の正しさも社会の正しさではない。社会的には間違っていることも集団の感情で肯定されるのが同人の世界だ。
特殊な世界であることを踏まえて適切な距離を取り、人生において重要なことは何か冷静に考えて、バランスが取れた趣味の活動をすることが人生の充実に繋がるのではないだろうか。