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二次元の推しと自己顕示欲に向き合う

キャラ愛と言う名で誤魔化されてきた承認欲求と自己顕示欲。

初めに、これは二次元や推し文化を否定するわけでも、それに対して様々な感情を持っている人たちを否定するわけでもない。
また、承認欲求や自己顕示欲そのものを否定するものでもないことをここに明記しておきます。


snsにより競うことが当たり前になった昨今、あちこちで聞こえる様になったのが評価の数だ。
それは加速し、いつからか愛すらも評価の数こそがその証明だという考えが出来つつある。
もしくはもう出来上がっているかもしれない。
インターネットにあまり馴染みのない、日常を静かに生きる人たちには愛を競うという矛盾した行為が理解できないのではないだろうか。
それは当たり前だ。愛とは極めて個人的なものであるし、個人によって定義は様々あれど、共通するのは他者や対象に対して思いやりやつながりを感じてそれを行動や感情で表現することだ。
それが何故、過剰な承認欲求や自己顕示欲に繋がるのか?

これには様々な問題が複雑に絡み合っていると思うが、ここではその中の一方的という関係について考えてみようと思う。

そもそも人は社会的な生物だ。他者とのつながりや承認を求めるのは本能であり、悪いことではない。承認欲求や自己顕示欲も集団の中で自分が価値のある存在だと感じたいという自然な欲求だ。
そして、この愛する対象が人なら絆を育むことができる。自分がなにかをすればそれに対して必ずリアクションが返ってくるし、それによって承認欲求や自己顕示欲が満たされる。

ただし、キャラとなるとそうはいかない。
キャラクターは空想であって、何も返してはくれない。
現実に何も影響はなく、キャラクターがいることを心の支えには出来るが、自分が何をしても何も返してこない。
向けている愛を返してくれるわけでもない。
そうなると満たされない承認欲求や自己顕示欲をどこかで満たす必要がある。そこで役立つのが身近にあるスマホ、その中にあるインターネットだ。
手軽に人と繋がれて、承認を得ることができる。
その外部からの承認がキャラクターが満たしてくれないものを補ってくれる。
しかし、インターネットは広いため自分と同じように承認を満たしたいライバルとなるような人間は無数にいる。
そこで競争が生まれるが、それがSNSによるいいねや拡散によって更に可視化され競争心が強化されて激化していく。

これが今インターネットの推し界隈で起きている問題ではないだろうか。

ごく狭い自己満足の世界が、自己顕示欲や承認欲求、そしてサービスを提供する側の思惑によっていつの間にかインターネットという広大な場所での競争にすり替わる。
そしてそれに適応した人間が、そうでない人間に対して愛があるかないかのジャッジをする。
それによって傷ついた者は競争に加担するか、静かに去ってしまう。
そうして大切なものを見失う。


負のスパイラルを止めるにはどうしたらいいか。

次にこの過剰な自己顕示欲や承認欲求をどうしたらいいのか、いくつか案を考える。
巨大になってしまった流れを止めるためには一人一人の意識や、企業側の自制、インターネット以外にも気軽に人と関われる場所作りなとが必要になってくると思われるが、ここでは個人ができることをピックアップして書いてみる。

1. 自分の承認欲求や自己顕示欲に気づくこと。
一番重要であり、この自覚がなければ始まらない。これにより自分が何を求めているのか明確化し、目的のためにどうすればいいか思案することや問題の改善が出来る。なお、下記はそれを踏まえた上での改善点。

2. 競争的なサービスから距離を取る。
競争的なサービスからは距離を取り、一対一や少数で好きなものを語る。譲れない愛を他人に押し付けたり認めてもらおうとしない。また自分も個人的な日記に書き記して他人に評価させない。

3. 承認してくれる複数の場所の確保。
身近な家族、友人、仕事や地域のコミュニティなど、身近に自分を評価してくれる場所を複数作って分散すること。
間違ってもインターネットで承認の全てを求めたり、そこだけを居場所にしない。

4. 愛の表現方法について考える。
不特定多数に愛を認めてもらうのではなく、作者に直接ファンレターを送るなどして最小限に留める。

5. 競争こそ愛の証明だという風潮に乗らない。
いくらインターネットから距離をとっていても、同じ趣味の知人やイベントなどですれ違いざまに個人に競争心を向けられたり、企業が競争を煽る場合もある。その場合は相手の話に乗らずに受け流すことで対処できる。



終わりに。

承認欲求や自己顕示欲と推しへの愛は両立する。
どちらも本能がもたらすものであり、それ自体は悪ではないが、過剰な承認欲求や自己顕示欲は自らや他者を傷つけて苦しめる。もし苦しんでいる人がいたら、一度立ち止まって考え直した方がいいかもしれない。
また、承認欲求や自己顕示欲は集団内で生きるために必要ではあるが、インターネットは極めて流動性が高いため本能が求めるような持続的な評価が得難いことも注意したい。
推しの存在自体はかけがえのない心の支えになるものではあるが、同時にフィクションであることもしっかり意識して現実世界とのバランスを考えたほうが、より健康な推しライフが過ごせるのではないだろうか。

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