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イッヌが亡くなってから1年が経とうとしている
1年前、7/8の土曜日、実家に帰った私は動かなくなった愛犬を見つけた。
16年生きた。お別れはそう遠くないとは覚悟していたけど勝手に家族皆に看取られながら亡くなるんだと思ってた。現実は違った。
人間が誰もいない状況で息を引き取ってしまった事実が受け入れられなくて「動かない」という表現で家族に連絡した。
その後仕事から帰ってきた母と「どうしよう」「どうしよう」と言いながらイッヌの体を洗ったり霊園に連絡したりお花を買いに行ったりと意外と私と母は動く事ができた。月曜日は出勤したものの職場に到着した時には涙で顔面がとんでもないことになってしまったので遅刻した。
超絶愛している子だったので亡くなった後の自分の精神状態がどうなるか怖かったけど悲しみながらも意外と日常生活を送っていくことができた。
仕事がハチャメチャに忙しくてイッヌの事を考える余裕がないときがあって申し訳無かったけど、そういう時思い出すのは「ニンゲンがまた何か変な事してるわ」と言いたげな冷めた目をする姿だった。
人間と熱量の差があるイッヌだった。
過去、犬を2匹飼っていてもうすでに見送った事のある友達から「夢の中に出てきたときは生きてるんだって思って接するけど、起きた時もういない事にあぁ…ってなる」という話を聞いたことがある。
イッヌが10歳を超えたあたりから何度も思い出していた話だった。きっと私もそうなるんだ…と朝起きたときの絶望を想像した。
ところがどっこい一度もイッヌの夢を見ることなく1年が経とうとしている。
亡くなった後その友達に会ったとき、「また夢に出てくるよ」と慰めてくれたが「それが出てきてくれないんだよなぁあ!」と反射的に返してしまった。全身全霊心からの叫びだった。
せめて夢の中だけでも生きてる姿をみせてくれよ…
犬が出る夢をみる事は何回かあった。しかしイッヌとは全く違う犬達だった。イッヌのおかげで動物好きに目覚めたので起きた時、犬の夢を見るのは嬉しいんだけどね…とはなっていた。でも1番会いたいのはイッヌだった。
ここ1ヶ月はイッヌに似た子がいっぱいいる保護犬カフェに行こうとする夢を見たり、イッヌに似た子を保護して洗おうとする夢を見たりすることがあった。
しかし似たような子には会うけどイッヌ自体の夢を見る事がないというのは逆に難易度が高いんじゃないだろうか……。生前の私のウザ絡みのせいで近寄りたくないんじゃないかと思ったりもした。
犬にだってパーソナルスペースがあるだろうにガン無視で一緒に寝ようとくっついては鼻をフンーッと鳴らしてどこかへ行かれるという事を何回もやらかした。
そして最近思う。「あの子はこの世にはもういない。二度と会うことはできない」と深層心理心の底から考えているからじゃないかと。
動かなくなった姿、ぐったりと力の入らない体を持ち上げたときに硬直が始まっていてもうダメだと思った事を覚えている。火葬した後に綺麗な骨が残った事も覚えている。あのふわふわの触り心地のいい毛並みはもうどこにもない。
もう二度と会えないという事実は夢にも反映されてしまっているのかもしれない。
1年経てば「せめて夢の中だけでも…」という気持ちに多少諦めがついてきた気がする。
母は1年経ったらもう霊園に行くのはやめると前に話していた。
私はどうするのだろうか。そこには骨しか無いのになぁと自嘲しながら気になったときに行っている気がする。
イッヌが亡くなってから1年が経とうとして、ある程度気持ちは落ち着いたけどイッヌがもういないことを考えたら悲しくなるのはずっと続くのだと思う。
でも16年の楽しかった思い出もずっと残っている。
夢に出ることがないので何度も何度も思い出の中で会いに行く。
塩対応の時もあれば尻尾を振って出迎えてくれる時もあった。夜中前足でちょいちょいして起こしてナデナデを要求してきたこともあった。自分からくっつく事はあまり無かったけど、私がぎっくり腰をやらかしたり頭痛があった時はべったりと寄り添ってくれた。
悲しみはあるけど、楽しかった思い出で誤魔化していくしかない。
最近、百均でミニ畳を手に入れたのでお骨の入ったカプセルの下に敷いている。
夏場になると床や畳によく落ちていた、その姿を鮮明に思い出すことができる。寝転んだ状態でこちらを見ながら尻尾を床に打ちつけているあの子をまた撫でたい。