天井川と芦屋川
昭和40年代といえば、日本はまさに高度経済成長のまっただ中でオリンピックや万博が日本の未来をグングン引っ張っていた感じがしたものだ。もちろん子供は日本の経済状況などまったく関知しないわけで、新聞やテレビで大きな見出しが立とうとも、なにやら大人は難しいことで揉めているようにしか見えなかった。
小生が暮らす本庄小学校・中学校エリアも中小企業の工場が建ち並びブルーカラーの人々で賑わっていた。またウチの父親のように大手の重工業に勤務する家庭の割合も多く、川崎重工、三菱重工、神戸製鋼、新明和などの大手企業の社宅や集合住宅が軒を並べていた。
だからといって同級生でそれを意識することはほとんどない。逆に子供からすると地元で商売をしている家庭の方が裕福に見え、特に米屋とか材木店は敷地が広いこともあって何気に格の違いを感じていた。米屋の店前に積んでいるプラッシー、酒屋のコーラやファンタなんかの炭酸飲料、ケーキ屋さんのショーウィンドウ、大衆食堂の天丼やカツ丼などの食品サンプルはいくら見ていても飽きない。とにかく常に腹が減っていた。
さて、当時の子供たちはどこで遊んでいたかというと、その日のメンツと気分次第で場所を変えていた。平成や令和の子供たちからすると、漫画の世界でしか見たことのない空き地の大きな土管も普通に見かけ、そこで何かしら遊んでいたモノだ。インフラ整備が国の大きな課題であった頃なのだろうと今になって理解できる。
小生の家の西には天井川という治水のために整備された川がある。川底までは6メートルぐらいだろうか。のり面はブロック状のコンクリートで情緒も何もない。すぐ上流には関西帆布と山陽色素という工場があり、日々工場排水を垂れ流しており、染色後の原色の排水が川を染めていた。今日はブルー、昨日はオレンジ。だから澄んだ天井川はあまり見たことがなかった。
そんな調子だから川底は汚泥が堆積しており、ゴム草履で入ると足を取られて水面にダイブ。これがまた臭いのである。が、小生たちはめげずに遊んでいた。また川向こうのアパートに暮らすおばちゃんは、生ゴミかなんかをそのまま川に投げ込んでいたことを思い出した。下流では家畜の死骸なども捨てられていたこともあった。まさに高度成長期の功罪というか、発展途上国にありがちな風景と云える。
ところが芦屋に遠征したときに見た芦屋川は違った。しっかり剪定された松並木と芝生で埋められた両岸の歩道はまさに絵葉書で見るような景色であり、大きな黒塀の邸宅、モダンな市民センター、カトリック教会、ウルトラセブンのロケにも使われた未来的な市役所、そして会員制のテニスコートや松林と融合したような公園などなど河口に出るまでにワクワクのオンパレードだった。
その頃の小生が何を感じたかは記憶にないが、家までの帰り道に通り抜ける下町の工場街とは違うことは実感していた。まあ、漫画で表現するなら「巨人の星」の星飛雄馬と花形満の暮らしの違いとでもしておこうか。長屋で暮らす星飛雄馬には親近感を持てるが、高校生のくせにオープンカーを乗り回す花形満には反感を抱いたようなことである。子供ながらどれだけお小遣いを貯めてもこんな町には暮らせそうにないと感じていたのかもしれない。
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