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「自転しながら公転する」から考える、生き方とファッション
山本文緒さんの「自転しながら好転する」を読んだ。
結婚、仕事、親の介護、全部やらなきゃダメですか
共感と絶賛の声続々! あたたかなエールが届く共感度100%小説!
東京で働いていた32歳の都は実家に戻り、地元のモールで店員として働き始めるが…。
恋愛、家族の世話、そのうえ仕事もがんばるなんて、そんなの無理!
答えのない問いを生きる私たちをやさしく包む物語。
7年ぶり、待望の長篇小説
主な内容としては、自分の幸せを考えながら、職場でも人間関係の調整をして家でも親の面倒を見て…と様々な役割をこなす主人公の話である。主人公の都はアパレルショップで働いており、時々ファッションの話が出てくる。そのため今回は、ファッションのことを書きたい。
何を着て良いか分からない!
30代になった頃から、この気持ちによく直面する。
体型も変わってコンプレックスは隠さないといけないし、もう年齢的に足を出す服は着れない。子どもに汚されるかもしれないから汚れが目立たない服が良いし、子どもが急に走り回ることを想定して、スマホはポッケに入れておきたい。職場では綺麗めな服で行って、けど後輩の雑用を手伝うことがあるからズボンの方が良い…最近の服の条件はこんな感じだ。正直、条件が多すぎてデザインまで見ることができないくらいになっている。この条件に合う服を選んでもしっくりこないことが多いのだ。
主人公の都は、森ガール系のファッションが好きで、1度は好きな服のブランドに勤めたが、母が体調を崩してからは地元のアウトレットで自分の好きなテイストとは違うアパレルショップで働いている。そんな状況で、自分の好きな服を着るか、年齢や仕事を考えた服を着るか葛藤する場面が度々見られる。
服は日用品?
都とともにアパレルショップで働く、後輩の女の子は、自分で売っている服について、こんな風に言及している。
人が服に対してどんな気持ちでいるかはそれぞれだと思いますけど、私にとってこんな程度の服はファッションっていうほどのものじゃなくて、ただの日用品です。そのへんで飲むコーヒーとか、靴下とか文房具とかと一緒。そうですね、お洒落なノートみたいなものです。
アウトレットで売っているレベルの服は日用品…確かに服は必ず着ないといけないし、着るという用途を満たしていれば、正直なんでも良いとも言える。それが少し可愛ければテンションあがる、と言う話だと言うのだ。一理あると感じるけど、私自身はそんなに割り切って服を着ることができない。偉そうに言えるほどのセンスは持っていないけど…うーん…
服を着る必然性
対して、都は服に対して、このように思いをめぐらせる。
服には、その服を着る必然性が要る。もし、素敵な服が好きでそれが着たいのならば、そういう服を着る必要のある生活をするしかない。
場面や役割により、着ていくべき服がある。つまり、服装には生き方が表れる。今、「自分の好きな服を着れないな」と思っていると言うことは、自分のしっくりくる生き方ではないのかもしれない。私たちは、自分のしたいことだけではなく、他者から求められた役割も担っていく。その役割がしっくりこない時は服についてもしっくりこないのだろう。服に関する違和感がある時は自分の生き方を見直すきっかけにすると良いのかもしれない。
断捨離のやました先生は「服は鮮度だ」とよく言っている。似合う服はその時の自分の気持ちや状況によって変わる。その時に自分が1番着たい服を着るのが良いのだと。衣替えの際に、自分の服、そして自分の生き方を振り返ると良いのかもしれない。
自分の役割にあった服であり、自分がありたい姿を体現する服であるのか。めちゃくちゃ難しいけど、そのモヤモヤを考えることもファッションなのだろうと、この本を読んで思った。
この本の冒頭、娘が母に対して「いつもの若作りすぎる服よりも年相応で似合っているように見えた。」と普段着を軽くディスっている。最初、母は少し痛いやつなのか…?と思っていた…が、全てを読み終わった後に、再度この部分を読むと、それがとても希望のある1文に思えてくる…人の目を気にせずに、自分が好きな服を着る。自分がしっくりくる「ありたい姿」でいる。自分の人生を生きる上でとても幸福なことだ。そんな風に服を選んでみたいと思う。