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時代の先駆者・三浦瑠麗(山猫総合研究所)~政治の本質はポリティカルコンパスである~
私はスピリチュアル界隈から抜けるのとほぼ同時期に考えるのをやめたが、政治について、思ったことをまとめようと思う。一言で言えば、政治はポリティカルコンパスが面白いと思う。人の価値観を座標軸で表すというものだが、各軸が正規分布しているのが一番面白い。
三浦瑠麗『日本の分断 私たちの民主主義の未来について』という本があるが、その本に掲載されていた価値観調査の結果を見れば一目瞭然だ。アメリカは分断が激しくかなり偏っているが、日本の場合、バランスよく価値観が散らばっている。私はこれこそが日本の多様性なのではないかと感じる。
一応補足しておくと、日本にも分断自体は存在する。それが氏が独自に提唱する「外交・安全保障に関する軸」だが、それらはたしかに自民支持層と立憲民主党など左派系野党とを分かちている。他にも、原発問題など一部の問題では与党と左派系野党とで意見の相違がみられる。しかしながら、性の多様性や男女問題など他の価値観の多くはばらけが小さく、しかも平均すれば好ましい側に相違が寄っていることが多い。
これらのことから、日本はある意味平和な国だといえる。分極化が進んでいない。
ただ、著者はもっと政治に対する議論が活性化するよう、よりイデオロギーで物事を考えていく必要があるのではないかと結論付けている。日本の投票率が低かったり、若者があまりにも政治的に無関心だったりすることに嘆いているのかもしれない。また、それらが国民を情弱化させていることを嘆いているのかもしれない。
私はあまり政治に詳しいわけではないが、一理あるとは思う。ただしアメリカのように分極化するリスクもあり、少しづつ仮説を検証していき、行き過ぎたら即やめるくらいにとどめておいたほうがいいのではないか。
ただし私は氏の功罪はその結論の部分にあるのではなく、ポリティカルコンパスを世に広めたことにあると思う。X(旧Twitter)上では「価値観診断テスト」なるものの結果がかなりリポスト(リツイート)されている。また政治家に対する結果も本書の背表紙に掲載されていて、非常に精度が高いと感じる。はっきり言って、ネット上に溢れる議論なんて見なくてもこの本だけで政治のほとんどが分かると思う。大局的には。
ポリティカルコンパスについては正規分布が想定されていて、生物学とも深く関連しているといわれている。右翼権威主義尺度や社会的支配志向性など、すでに欧米の大学ではさかんに研究されている。(百歩譲ってアメリカのように正規分布していなくても人間の本質であり、重要なものだと思われる。)私は、将来はあっという間にポリティカルコンパスはレッドオーシャンになると思う。どれくらいかというと、ポリティカルコンパスを使わない人は犯罪を犯しているのではないか、と言われるくらいポリティカルコンパスが常識になっていくと思う。
また合わせてビッグファイブ、ソーシャルスタイル理論なども同じような扱いになっていくだろう。数学や社会科学を最低限学べば誰にでも分かるが、正規分布は神である。そしてスパコンによって世の中の現象の多くが解明されていくことだろう。まぁこの辺りは蛇足になるが。
すでに安倍政権に神話的な保守的な人はドラマを好み、政権に懐疑的なリベラル派はラノベを好むという調査結果もある。保守やリベラルといった概念は相当深いように思われる。
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三浦氏が2021年に本書を出版して翌年、元総理大臣であった安倍晋三氏が暗殺された。安倍氏の功罪について、多くの議論はあるものの、結果論で物事は考えなければならないという冷徹な視点も存在する。
不気味なことだが、安倍氏が暗殺されてから、岸田総理→石破総理と続き、イデオロギー対立が弱まり、代わりに上級国民と下級国民の間で分断が深まったように思える。暗殺前までは、総理自体は極端に偏っているわけではなかったものの、「ネトウヨ」と呼ばれていている右翼的な人たちが政治界においてかなり主流派として目立っていた。彼らはいつも保守と左翼・極左を比較し、保守のほうが優れているという謎の論法を用いて「論破」を行っていた。一見悪くはないものの、どこか気味の悪さを感じていたのはたしかだ。これでは中道左派は絶対にこのような空間に居合わせなくなるし(例えば某繁華街に多くいるスクールカーストの一軍が自分たちとチー牛を比較して悦に入っていたらどう感じるだろうか?地雷系や立教大・アニメイト辺りの人は絶対にこれらの空間に居合わせたくないと思うだろう)、政治そのものが衰退しかねない。三浦氏の気兼ねはこのようなものにあったのかもしれない。しかしながら、暗殺によって結果的に世の中がリセットされてしまったのだ。今では韓国は若者にとっての憧れの国である。一部の政治的な問題など、ほとんどの国民はそれほど大きくは気にしていないのである。
このように、残念かもしれないが、歴史というのは不連続な出来事によって大きく動くことが明らかになってしまった。普段は絶対に使ってはならない秘密の兵器という感じか。
そして政治の話とはややズレるが、旧統一教会への恨みという動機も議論に欠かせない。統一教会は言うまでもなく悪名高い組織である。山上氏が安倍氏を狙ったのも、この世の……はちょうどいいから二つ同時に狙ってしまおう、という発想が働いたのかもしれない。安倍氏は人情に厚く、トータルで考えればメリットも非常に大きかったとは思うが、ネトウヨの発生など無視できないデメリットも数多く発生していて、リセット願望が働いたのだろう。
私なら、渋谷のスクランブル交差点前で世の中のタブー(いわゆるポリティカルコンパスなど)を用いて既成概念をそれらの言葉で上書きし(いわゆる「文化大革命」というもの)交通妨害をして轢かれるくらいにとどめておきたかったものである。これならば、自分以外にはだれにも致命的な損失を与えずに済んだのではないか?世の中を強制的に変えるならこのようにして革命運動を起こすのがベストだと思う。
私は山上氏の牽かれるTwitterなどを読んだこともあるのだが、根本的に考えることは大体に通っている。彼もまた極端な主張をするネトウヨやパヨク(「ネトウヨ」の左派版)に呆れていて、またそれらに繋がりかねない自民党の雰囲気にも疑問を呈していた。彼もまた、当初から石破茂氏(現・総理大臣)を支持していた。手段はどうかと思うが、もう少し知恵を絞って迷惑はかけないでスマートに社会を変えていただきたかった。
ただし私は最近は政治にもスピリチュアルにも渋谷にも何も興味を持たなくなった。嫌いなもの、衰退していると感じているものは放っておいたほうが安全だとは思う。崩れるものは勝手に崩れるし、ほかの賢い人たち(ほぼ全員に共感される)とだけ関わっていれば何とか乗り切れるからである。個人情報がさらされたり、命を懸けてまで革命家になりたいのではない限り、目立つ意味すらないと思う。
実を言えば私は生活費を稼ぐために打算的にこのnoteをやっているにすぎず、補助として文章を打っているにすぎない。よくも悪くも気軽に、淡々と文章を書いている。メインはインプットのほうに今は集中している。なので今書いているのは今までの「ジュネリックな思想」だ。さすがにインプットしたものを熟成させずにすぐにアウトプットすることはできない。