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空気を読めない人はダメな人?

「よくあの人は空気を読まないよね」と陰口を言う人がいます
私は空気をまったく読めない人で自分勝手な人間です
なのでよく陰口を言われてきました
空気が読めないことが悪いことだと信じ
空気が読める人になれるように
願ってきましたが未だできません(汗)
それがどのように迷惑をかけてしまっていたのか分かりませんが
あまりそのことに囚われ過ぎると何も出来なくなってしまいます

空気が読めない人は本当にダメな人なのでしょうか?
私はそこに少し疑問を感じています
自分勝手な意見なので無視してください

人は人を無意識にコントロールしようとします(私にもあります)
ですから扱いにくい人を怒ったりダメ出ししたり注意して正そうと
することもあるのだと感じています
常識も同じだと捉えています 
常識という平均的な考え方、やり方を身に着けてはその枠で
生きることを強制し和を乱さないようにしているのではないでしょうか
「あの人は和を乱す人だ」「空気を読まない人だ」「常識がない人だ」
と批判している人は もしかしたらとても狭い世界で生きている人達
かもしれません
「そんなことできるはずもない」と言っている人は自分でやったことが
ないから言っているのであって本当に出来ないかどうかは分からないのです
分からないのに「できるはずもない」となぜ言えるのでしょうか
私は筋金入りの馬鹿ですから そこが不思議で仕方がないのです

人はその小さな枠に勝手に入り込み自分の可能性に制限をかけています
自分に制限をかけるだけでなく人にまで制限をかけ潰しにかかってきます
人を馬鹿にしそんなこと出来るはずもないと批判してくる人は小さな枠で
生きている残念な人なのかもしれません

私の母は孫と一緒に生活をしています その孫はそれほど頭がいいわけでは
ありませんし文才があるわけではありません
そんな子が「小説を書いている」と母に打ち明けたのです
母はその場では「そうなの」と聞き流したようですが 
後日、私に「小説書いているんだって出来るわけないじゃないね」
とはなから否定してきたのです
それを聞いて私は残念で仕方がありませんでした
孫のやりたいことを応援することより出来ないと決めつけていることに
ショックを受けてしまいました
なぜ、せっかくやる気を出している子にそんなことが言えるのだろうか…
直接言わないにしても人は感じるものです かわいいはずの孫なのに
そんな風に思ってしまうことが残念だったのです

こうして親も大人も勝手に出来ないと枠を作り制限をかけ
潰してしまっています
私自身も自分に制限をかけていることに気が付き始めました
可能性は無限大と聞きますが本当にそうなのかもしれません
空気を読むとか、常識的とか、そんなことできないとか…
そんなことに囚われない人たちが増えて欲しいと願っています
親や大人のなにげない言葉に負けないで好きなことをやって
欲しいと思います



勘違いしないでいただきたいのは好き勝手に生きろと言いたいのでは
ありませんし非常識に生きろとも思っていません
それらに囚われないで生きて欲しいと願っています

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