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妊娠8週の稽留流産のお話

今残したいと思ったから。
少し前の、辛かった、けど 立ち直れたお話。
その時の日記をベースに載せます。

4/19
久しぶりにどうしても仕事を休みたい気持ちになって半休。
近くに住む姉家族に先日、第三子の長男が生まれた。
臍帯過捻転(臍の緒がねじれ過ぎていて少し危なかった状況)から無事に産まれてくれてその喜びに包まれる中で、姉の入院中に必要となった姪っ子たち(6歳、4歳)のメンタルケア。弟が生まれて嬉しい気持ちもあるんだけど、ママがいない寂しさに泣き喚くメンタルジェットコースターに乗った二人を何度も抱きしめながら「大丈夫だよ」と声をかけ続けた。彼女らが赤ちゃんの時から面倒を見続けてはいるがいかんせん母にはなれないので「ママがいいよね」と共感しつつなんとか抱きしめて落ち着くのを待つ。仕事を中抜けして駆けつけて姉に一目会いに行ったりもした。そんな数日だったもんだから、私も少し疲れたんだなと思って休む。早急に休む。

こーゆう時に私は自分を守るためにしっかり休めるタイプ。自分でもいいぞと褒めてやりたい気持ち。何があったとかじゃなくて、とりあえず休みたい、そんな気分誰にでもあるよね。もし、私に子供ができたら休みたい時は休んでいいんだよと言える親でありたいな。仕事の都合が〜とか、いや学校に行きなさいとか色んな葛藤があるのだろけど、休んでいいよと簡単に言えないいろんな理由があるとしても、、、自分だって理由もなく休みたい時があるじゃないか!と思い出せる余裕を兼ね備えていきたいな、、、心のメモ、、、

あとあと振り返ると、この日の私のメンタル不調は妊娠によるものだった。
胸の痛みとはり、メンタルのほぼ崩壊、爆食、なんとなく時たま腰とかお腹痛い、生理痛のような痛み、心なしか朝気持ち悪いなどが数日前からあり、生理前だなとしか考えていなかったが、考えれば考えるほど生理は来なかった。
24日くらいには生理くるかな、もし遅れたら、、、
27歳、結婚して、結婚式も終わったし、さぁ子供をいつ授かってもいいな、嬉しいな、授かりたいな。なんてタイミングだったのでそわそわしてしまう。

4/26 赤ちゃんが確認できた日
生理予定日から遅れること3日。タイミングによっては少し気持ち悪くなることもあったし、胸は張って痛い。どう考えてもおかしい、いつものPMSではないぞ。というのが、自分の中では確信に変わり、仕事に行く前の忙しい時間に夫を呼び止め明日(土曜)まで待てない!よし、やるぞ!(妊娠検査薬)と意気込み、いざTOILET! 結果のところは見ないようにしながら出てきて、待ち構える夫と深呼吸。カウントダウンをして3、2、1、ハイ!!てなもんでひっくり返してみたところ、くっきり2本線!!!!!!!!
夫と付き合って7年今まで一度も妊娠したことないのに結婚して、もういつでもいいよと思った翌月に妊娠できるなんて!!なんてこった(奇跡すぎて感動)って感じで嬉しさが込み上げ夫と抱き合って喜んだ。

仕事に行きつつも自分が妊娠しているという事実はやはりにわかに信じがたく、私が?妊娠?母になる?と通勤する車で一度も頭を離れることなく、ニヤニヤしながら出勤。いざ、出勤すると全く切り替えて頭のなかでは妊娠でいっぱいだけど周りに変に悟られないようにと真顔で過ごす。
先日第三子を出産したばかりの姉には報告して病院に行くタイミングを相談。ゴールデンウィークに入ることもあり、今日しかない!と思い、
思い立ったら即行動の私は昼休みを利用して早速2週間前に姉が退院したばかりの産院へ。午前中たまたま甥っ子の健診があったためシゴデキな姉は「今日妹が来ます」と伝えてくれていて(感謝)、受付で保険証を出すと「あー〇〇さん!〇〇さん(姉の名字)から聞いていますよ」と温かく迎えてくれ、この時点で大安心。さんきゅう姉貴。

ドキドキしつつ案内され、尿検査は陽性。「じゃあまずはエコーで見てみましょう」という優しそうな数週間前に甥っ子を取り上げた先生に言われ診察台へ。もちろん診察台に上がるのも始めてで機械的に足を広げられ戸惑いと恥ずかしさを隠せない。もちろんカーテンで仕切られているので先生も何も見えないのだけれど。子宮内エコーで胎嚢を確認。「赤ちゃんの袋これね〜カチカチ」(初エコーを撮ってくれた)
初めての妊娠確認。まだ卵の状態でもちろん赤ちゃんの姿や形はないのだけれど、そこには確かに黒い袋があることを私も確認できた。脳内では「ほんとに、、!!妊娠、、してた!!」と喜びマックスでニヤけた。次は2週間後に来てくださいとのことで、夫に「無事に妊娠してたよ」とラインを送り夫からは「新しい一歩だね」と返事があった。仕事に戻った。

4/27
妊娠確認以降というもの、「私は妊娠したのだ」と正式に認識したことで食に走る生活が始まる。やたらと体がだるく、体の声のままに食べて寝て(食後すぐ寝るから)胃もたれして気持ち悪い。当たり前。そんな土日を過ごした。
朝は6時に空腹で気持ち悪さを感じて起床。とにかく食べられるものを食べた。

4/29
ゴールデンウィークでよかった、、、朝からやはり気持ち悪い。たくさん朝ごはん食べて横になって2時間置きに何か食べなきゃと口にする生活。病院で処方されたビダミン剤を飲むようになって少し気分の悪さが軽減したかも、、、?

5/10 心拍確認ができた日
ゴールデンウィーク明けの仕事をなんとか乗り切り、待ちに待った2回目の産院。
無事に心拍が確認できて、よくネットで見たようにドクドクと心拍の様子が動いてて感動した。ちゃんと育ってくれてるって嬉しかった、安心した。先生は塩対応な人なのでおしゃべりが少ないけど、つわりはなんとか乗り切ってねと言われた。

5/15
妊娠が影響しているのかはわからないが、少し前から鼻炎の症状と肌荒れが近年稀に見る大荒れで辛すぎて病院へ。妊婦でも大丈夫な薬を処方され薬も適宜使うことにする。鼻詰まりでQOLがだだ下がりだったので、こればっかりは仕方がない。

5/22 一生忘れることのない日
3回目の産院。今日終わったら母子手帳とか貰いにいくのかな、出産予定日はやく確定させて無痛分娩の予約押さえたいな。なんて考えつつ到着。
平日なのでわりといつも空いててその時は私の他にはいなかったかな。
案内され前回同様エコー。。。赤ちゃんの心拍が確認できなかった。
「大変申し上げにくいのですが」っていわれたけど、エコーを見ながら私にもわかった。この前のエコーではぴこぴこ動いていた心臓が、動いてない。赤と青で血流見るやつが赤ちゃんのところに見えない。心臓がバクバクした。胸が苦しかった。落ち着きつつも、ショックと悲しさで涙が出た。先生には割と冷静にこれからのこと、不育症の心配の質問なんかが咄嗟に出たけど。心はざわざわして落ち着くはずなかった。「まずは来週もう一度みましょう」と言われて帰った。その後に夫婦で来てた人をうらめしく思った。
帰りエレベーター乗ってから泣いた。駐車場でないた。実家の母に電話して伝えた。「意味があるからね」って、「大丈夫だよ」って母も電話口で泣いてたのがわかった。同苦の声だった。気をつけて帰るんだよって心配してた。車運転しながら涙が止まらなかった。自然なことだった。一人の家に帰ってもどうしていいかわからないと思い、そのまま姉の家へ。姉に抱きついて泣いた。生まれたばかりの可愛い甥っ子を抱きながら色々なことが頭に浮かぶけど、周りではしゃぐ姪っ子に救われ落ち着いていた。夜、夫が帰るタイミングで姉の家から帰宅。
夫には直接伝えた。抱き合って手を握って私が落ち着くまで抱きしめてくれた。
命の大切さ、妊娠の奇跡を教えてくれた、親孝行の子やと実家の父からの電話でたくさんの励ましをもらった。
眠る時、疲れてて眠たいのに眠れず夫に先に寝て欲しくなくて語り合った。歌でも歌ってよと言うと、思い出の曲を何曲か歌ってくれて泣けた。眠そうな声で笑った。歌詞がぐちゃぐちゃで一緒に歌って笑った。唐突に、「あおばは」って言った。なに?って聞いたら赤ちゃんの名前。姉から赤ちゃんに名前つけてもいいんだよて言われたっていったの考えてくれてたんやな。「あおば」か 「いいね」て言って黙った。「あおばちゃん」大事な第一子。翌日意味を検索して感動した。

あおばの意味・・・「今年になってでた新たな新しい芽、若葉、未熟、未完成なことの例え」

5/27
翌週夫とともに産院へ。再エコーしたけれど、やっぱり赤ちゃんの心拍は確認できず。8週目での稽留流産と確定した。先週たくさん泣いたから少し受け入れることができた。先生からは3週間は自然排出を待つことに。そんなに待つの?と思いつつも、「あおばちゃんもう出てきていいんだよ」と心で伝えた。お昼は洋食屋さんで食べて、診察後大好きなジェラート食べて少しリフレッシュできたかな。

6/1  再診察から5日後。
あれから1日1回くらいは涙がでたけど、もう大丈夫。いつ出てきてもいいんだよって毎日思ってた。そんな時に茶色のおりものがでた。妊娠してから一度もなかったおりものがあったので、いよいよかもしれないと思って準備して寝た。夜中に気になって目が覚めるも何もなく。

6/2
生理痛のような腹痛、腰痛がたまにあるかなって感じで出血はほぼなかった。夜になって少しだけ鮮血が出始める。

6/3
腹痛は若干あったけど、仕事。午前中からかなり腹痛が強まる。お昼には我慢できなくて痛み止めを飲んだ。あまり効いてこなくて腰痛と腹痛があるけど、出血量はほぼない。
これからもっとひどくなるのかと少し怖い。
2時半 少し薬が効いてきたかな、お腹いたいけどさっきほどではない。朝からずーとお腹は痛い昼は薬飲んだ。
16時 血が出始める
職場のトイレでぽこんとレバー状のものが出始めてわりと出血が多くなり焦る
17時 これはいかんと急いで早退
姉に連絡をして晩ご飯食べに行かせてもらって19時過ぎ夫が帰ってきて、それから
出血とレバー状のものがたくさん出た。私はアドレナリンが出てたのか、腹圧と一緒にドバッと出たりするのを彼に見て!と言って見せてた。
21時前シャワーを浴びながら白っぽいものも出た。これが赤ちゃんなの?と思いつつとりあえず明日病院に持って行くために残しつつ、痛みの波は去って疲れててすぐ寝れた。夜中3時に目は覚めたけど朝まで寝れて。
翌朝はほぼ出血なし終わったのかな?それなら軽く済んだなと思いきや

6/4 
9時 ひとりで病院
まだ胎嚢とか残っててこれから手術しましょうとなる。夫は仕事に行っているし今の状況で頼れるのは近くにいる姉なので電話すると、姉の声で涙が止まらず母にも電話してきてもらうことにした。午前は先生の外来の時間でお昼から手術。することも特になくとりあえず案内された個室のベッドで休んでた。色々考えて涙が止まらなかったけどなんとか落ち着つこうとしつつ、、
妊娠できた喜び。母にさせてくれてありがとう。一番良い時に母体にとって安全に出てきてくれました。ありがとう。絶対大丈夫。すぐ生まれ変わってくる。また私たちのもとに生まれてくる確信。
いろんなことを考えながら時を待った。
じゃあそろそろですよと看護師さんに言われ、最後にトイレに行って、水分とれてますか?なんて言われてたから、よかれと思って水分一口飲んだら窓の向こうから先生が見てて術前に水分とらないで!って怒られ心折れた(今思うと全く怒られてないのに普段ほぼしゃべらない先生だから怒られたと感じてしまったよね)
11時40分 点滴開始。てっきり麻酔はじまってると思って、いつ眠くなるのか注意深く自分に神経を研ぎ澄まして待機してたのに、まさかの移動するまではただの水分の点滴で笑った。
いよいよ移動。「吐き気どめのお薬入れるよ」「手がピリピリするよ」と言われ、次の瞬間にはほんまに痛くて、「いていて」って思ってたらいつの間にか足開いて耳は聞こえつつもほぼ記憶ないまま終わった。「終わったよー」と声かけられて支えられてベッドに移動した記憶はあるし映像も覚えてるはずやのに、
13時過ぎに目が覚めた時には「あれ?ベッドの上だ」ってくらいに麻酔が効いてた。ふわふわその後も15時まで寝て、点滴が外れて心拍と酸素濃度測るクリップの音を聞きながら意識がだんだんと戻り過ごした。
ラインで手術になったと送っていた夫からちょうど連絡がきて、
実家の母にも連絡しなきゃと思ってたしか連絡した(正しくは姉が色々と連携とってくれた)
16時前 県外から車で2時間ほどかけて父母が来てくれた。
貧血なのか麻酔なのかふらふらしてたけど、支えられて最後内診してから退院。
術前はあんなに不安で怖くて泣いてたけど無事に終わったって安心感で母とおしゃべりしながら帰った。スーパーで買い物して帰り、リクエストしたかつおのたたきと色んな体に優しい副菜を料理して持ってきてくれてて、本当にありがたった。
本当にありがたい親だなと思った。父は急遽休みをとって駆けつけてくれて支えてくれた。
17時すぎ 夫も帰ってきてくれて、母の手料理を食べた。父母は姉家族とスシロー行って帰ったらしい。

出血とか痛みは術後ほぼなく、結果的に自然流産も手術も全て経験することなった。けど、これでよかったんだと思った。
来週の検診までゆっくり過ごそう。

6/5
体は割と大丈夫だと朝判断してしまい、翌日にも関わらず出勤してしまう。(後から考えるとなぜ休まなかったのか理解不明)

今日は流産とわかって以降最もしんどい1日だった気がする。
実際に喪失してしまった事実を抱えているからか、自分で客観的に表情はなく、目がうつろでぼーとしてた。少し休憩のつもりが1時間休憩室で寝てしまってた。
元気のでるものを買って飲もうかと外の自販機に買いに行き、そしたら気づいたら2時間ぼーっとして休憩してた。元気がなさすぎるどうしよう仕事休むべきだったかも、とここで気づく(遅い) つらいしんどいかなしいやる気が起こらないという感情が頭を回る。デスクに座ってたらなきそうになった。
なんとか就業時間を迎えて帰る。上長以外にはこのタイミングでは報告してなかったために休みづらかったんだと思う。けど明らかに普段と違うので仲の良い同僚は心配してくれてた。


6/6,7
お休みして家で何もせずに過ごした
夜になっても夫が帰ってくるタイミングで涙が溢れて鬱みたいな状態になったり。たらたらと涙が溢れていつか元気になれるのかなって本気で思った。気力というものがゼロ。でもそんな中でもなにかしら3食は食べた。でも7日夕方ごろから気分がなんとなく変わってきて、彼の仕事がおわり電話した声で「その声は少し元気でたな」って気づかれるほどやった。「何か食べたいものはある?」と聞いてもらってリクエストしたすき家。
少し普段通りの会話を取り戻して、久しぶりに食べたら美味しいなと思った。

悲しいことがあったら泣けばいい
休めばいい 心が壊れて希望を失ったように感じるけれど、必ず明ける
開かれる


以上。
私の日記はここで終わっていました。
駄文にお付き合いいただいた方がいれば、お読みいただきありがとうございました。感謝いたします。

その後として、私の場合メンタルは術後4日で驚くほどに回復しました。
体の方は、術後26日目から生理が再開し、その後も自分の普段の周期で完全に戻りました。

稽留流産とわかった時、ネットで色々と検索し、ブログで体験を読み漁ったりしました。自分の体にこれから何が起きるのだろう。赤ちゃんはどうなるのだろう。今後はどうなるのだろう。未知の恐怖で、様々な不安が襲いました。
同じ状況の方がいれば、一体験談としてもシェアできたらと思いました。

お読みいただき、ありがとうございます。





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