【電力小説第2章2話】学びの戸惑い
第2章 第2話「学びの戸惑い」
朝の研修所は、冷たく澄んだ空気に包まれていた。施設内に響く館内放送の音が静けさを破り、スズは慌ただしく身支度を整えて部屋を出た。
廊下を歩いていると、明るい声が後ろから響いた。
「おはようさん!スズさん、寝癖ついとるで!」
振り返ると、笑顔を浮かべた曽根 圭介が立っていた。
「えっ、本当ですか?やだもう……!」
スズが慌てて髪を直すと、曽根はニヤリと笑った。
「冗談やって!けど、初日と比べて余裕でてきたんちゃう?」
「そうですかね……まだまだ緊張しますけど。」
「まあまあ。今日は水力発電所の講義らしいから、楽しみにしとき。」
曽根の軽い調子に、スズは少し気持ちが和らいだ。
水力発電所の基礎講義
講義室に入ると、席には同期たちが揃い始めていた。スズが席に着くと、程なくして前に立ったのは、真面目な顔つきの稲原 澄道(発電所担当)だった。
「皆さん、おはようございます。今日は水力発電所の基礎について学びます。」
稲原の低く落ち着いた声が響く。講義室内の空気はピリッと引き締まった。
「水力発電にはいくつかの形式がありますが、ここではダム水路式発電を例に説明します。」
稲原はホワイトボードに大きな図を描き始めた。スズはノートを手に、緊張した面持ちで耳を傾ける。
「ダム水路式発電は、ダムで川をせき止めることで生じる落差を利用して発電する仕組みです。」
稲原は指し示しながら、図の流れを順を追って解説していく。
「水はまず貯水ダムに貯められます。そこから取水口を通り、圧力導水路を流れていく。この途中にサージタンク、つまり調圧水槽があります。」
スズは「サージタンク」という単語に耳を引かれた。
「サージタンクは、水圧の急激な変化を調整する役割を持っています。これがないと、水圧の乱れによって設備が損傷する恐れがあります。」
稲原はさらに、水圧管を指し示した。
「水圧管を通った水は水車に流れ込みます。この水車の回転が発電機を動かし、電気を生み出す。そして、使用済みの水は放水路を通じて元の川に戻ります。」
一連の説明が終わると、稲原は図の全体を手で示した。
「現場では、この流れのどこかに異常が発生すると発電量が変動する。それだけでなく、水圧の乱れが他の設備に負荷をかける場合もある。巡視ではこうした設備の状態を点検し、異常を早期に発見することが求められる。」
スズはノートに書き込みながら、設備の一つひとつが綿密に計算された設計であることに感心した。
質疑応答の時間
講義が終盤に差しかかり、質疑応答の時間になると、静かに手を挙げたのは伊吹 凌だった。
「発電所事故時における急激な出力変動が送電系統にどのような影響を与えますか?」
稲原は軽く頷き、伊吹に目を向けた。
「いい質問ですね。発電所の出力が急激に変動すれば、送電系統全体の周波数が乱れます。これが放置されれば、系統全体のバランスが崩れてしまい、大規模な停電につながるリスクがあります。送電系統はそうした影響を最小限に抑えるため、他の発電所や調整力で補う仕組みになっています。」
伊吹の質問の高度さに、スズは思わず感心していた。隣の曽根がこっそり耳打ちする。
「スズさん、焦らんでもええで。俺も半分くらいしかわからんわ。」
スズは曽根の気さくなフォローに少し笑顔を見せた。
変電所の基礎講義とデバイス番号
午後からの講義では、鳴海 岳志(変電所担当)が登場。
「変電所の役割はシンプルや。発電所で作った電気を調整して、使いやすい形にして送り出す。これがなかったら、みんなの家に電気は届かんで!」
陽気な口調で話す鳴海に、講義室の雰囲気が少し和らぐ。
「変電所には遮断器や変圧器、保護リレーなんかが揃ってる。で、それぞれの機器にはデバイス番号っちゅうのがあるんや。」
鳴海はホワイトボードに「52=遮断器」「51=過電流保護リレー」と書き込む。
「これ、現場では共通言語やから、覚えなあかんで。宿題やけど、今日から100個覚えてもらう。補助記号もあるから、全部で200個くらいやな!」
スズは目を丸くした。
「200個……これを全部ですか?」
鳴海が笑顔で頷くと、曽根がすぐに声をかける。
「スズさん、俺ら一緒に頑張ろや!こういうの、根性や!」
夜の自主学習
夜、スズは宿題を手に食堂へ向かう。ノートを広げてデバイス番号を覚えようとするが、膨大な量に圧倒され、ため息が漏れる。
「スズさん、こっち座り!一緒にやろ!」
同じテーブルにいた曽根が声をかける。
「俺は語呂合わせ派や。『52』は『ごつい遮断器』やな!」
「えっ、それいいですね!」
隣では伊吹 凌が静かに電験の計算問題を解いていた。その真剣な横顔を見て、スズは「私も頑張らないと」と思い直した。
同期の支え
部屋に戻る途中、廊下で風間 廉に出会った。
「宿題、大変そうだね。困ったらいつでも聞いて。」
「ありがとうございます!」
その優しさにスズは少し安心し、「同期がいるから頑張れる」と思いながら布団に潜り込んだ。