Mrs. GREEN APPLE ライブに行って 死生観 10/7
10/7
この週末はミセスのライブに行ってきた。今回はライブで感じたことを書きます。
**ライブのネタバレを含んでいるので、知りたくない方は読まないようにお願いします。
私は地方に住んでいるので、横浜へは飛行機を使っての遠征となった。
妹と妹の友達を連れて、3人ではるばる横浜へ向かった。
ライブを応募するときから、完全に泣く気でいたので、席は妹たちとは離れ、私は一人席、妹たちは二人でとっていた。
ファンになってすぐ、ファンクラブ抽選が行われることになったので、一公演だけ、ダメもとで応募したら、なんと当たったので嬉しかった。
しかも席もいいところで、端だけどすごく前だった。
席が隣になった女性とも仲良くなった。
ライブに来ている人たちは、落ち着いている人が多く、優しそうな感じだった。
ライブのセトリは、私が好きな曲ばかりでとても感動した。
今回は公演のすべてを撮影していいとのことだったが、曲に集中したかったので一切撮らなかった。妹たちが撮ってくれていたので共有してもらって聴いている。
アップテンポの曲とゆっくりのバラードがほぼ交互にあって、ペンライトを振っては泣き、振っては泣きを繰り返していた。
特に感動したのは、Part of me と Soranji だった。
Part of me は、ミセス休止後初のライブである、ユートピアで最後に歌われた曲でもある。
人って、他の人から存在を認められてこそ存在する。
だから、あなたが死ぬまで生きるよ、そして私が死ぬまであなたのことを忘れないよというのは、とても心強いというか、最大の心配を拭ってくれるようなことを意味すると思う。
そして、曲の最後のほうで、自分が誰かの中に生きていなくても、今のこの幸せだけは素直に感じられているんだという歌詞がある。
このフレーズに対する想いを言葉にすることができないけれど、とても涙が出る。
Soranji は、ラーゲリより愛をこめてという映画の主題歌だった。
この曲はとてもストレートだ。
ちっちゃな希望を信じて、生きてほしい。
なぜ生きてほしいのかは言われない。ただ生きてほしいとだけ強く言われる曲だ。
私が死を考えたとき、この曲を聴いてぼろぼろ泣いたものだった。
誰かに生きてほしいと言われることは、救いだ。
その人が、私を知らなくても。
生きる理由がどうとか、生きる意味がどうとか、生きていればどうとか、そいうことは言わないで、ただ生きてほしいと強く訴えるその歌詞と情熱には圧倒される。
ライブではそれを強く感じて、たくさん泣いた。
大森さんの曲って、闇に寄り添って、ほのかに照らしたり、落ち込んでいるところにいって、共感したりする曲ばかりだと思う。
根っこで言っていることは、きっとずっと一緒なんだと思う。
じゃあ大森さんの闇は誰が照らすんだろう。
正直私にはかける言葉も見当たらない。
妹がライブ終わり、「鯨の唄とナハトムジークも聴きたかったねぇ、それ聴くまでは死ねない」と言っていた。
なんだそういうことか。
生きる理由じゃなくて、死ねない理由を探せばいいんだ。
それが妹みたいにポジティブでも、家族を困らせたくないからみたいにネガティブでもいい。
自分が死ぬよりも大切にしたいものや人や出来事を、少しでも見つけていけばいい。
それを feeling にまかせて探せばいいんだ。
妹にはいろいろとはっとさせられる。
頭でっかちにならずに、憎むべき愛すべき心のコックピットに任せてみたい。
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