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社会の現実を学べるアニメ

みなさんこんにちは。
私は社会人になったからこそ、今の自分の胸に刺さるアニメを見ています。

そのアニメは
「地球少女アルジュナ」です。
ちょうど私が生まれた年(2001年)に放送されていたアニメですが、このアニメを見ていて、この作品を地上波で放送していたのがすごいと思った程です。
アニメ好きの友達は結構いますが、私の友達でこのアニメを見た事のある人はいないと思います。

特に、このアニメ作品の第6話に衝撃というか、何か心に訴えかけたものがありました。

あらすじ

夏休み最後の日、主人公のジュナが、彼氏のトキオに遊びに誘われる。
スイーツを食べに行く事になり、家を出ると、離婚した父がジュナの前に現れ、父と話すことになる。

父との会話の中で、父は離婚した理由を仕事の船に例えて伝えようとする。しかし、娘のジュナには仕事の話をしてばかりだと、上手く伝わらないで話が終わる。
そして、父が離婚した理由は「楽になりたかった」からだと話す。
ジュナは楽になりたかったなんて自分勝手やと思いながら父と別れた。

次の日の学校で数学の桜井先生の授業で気分を悪くする。
その日の放課後、数学の桜井先生に偶然会い、本当の声を聞きたいと、ジュナは先生の家にお邪魔する。
先生はジュナに何個もの質問をする。
・工場が流れ作業をしているのはなぜか?
・鶏はケージに入れられるのはなぜか?
・綺麗な同じ形の野菜しか売られていないのはなぜか?
・期限切れの売れ残りの弁当は捨ててしまうのはなぜか?
・教科書があるのに多くの参考書が売られているのはなぜか?
・授業についてこられない生徒がいても、先生は決められた通りの授業をするのはなぜか?
・生徒は自分で考えようともせず答えばかりを求めてくるのはなぜか?
など、、、
これにジュナは「楽だから」と答えるのだ。
そして、先生に先生が教科書を棒読みしていたのは楽だからなのかと質問をした。
それに対し、先生は数学の美しさを熱く語り、勉強とは感動することであるとジュナに訴えかけた。

しかしそんな先生は、奥さんとは離婚寸前で、奥さんさえも感動させられなかったと悲観して終わる。
実は、桜井先生はかつて教育論を振りかざすような教育熱心な先生でもあったのだった。

先生の家を出た帰り道、トキオとの会話の中で、ジュナは「あきらめず、一人一人が変わっていけばみんなが変わっていくのだ」と語る。それに対してトキオは「最初に変わった人はどうなる?」
桜井先生のように「社会からはじき返されるだけではないか?」
とジュナに問いかけて終わります。

このアニメを見て感じた事

①コミュニケーションの難しさ

アニメでも描かれていたように、父は母と離婚した理由を船に例えて話しますが、上手く伝わりません。
私も、分かってほしいと思いながらも上手く伝えられず諦める事がありますし、分かってくれるだろうと思い、はっきりと伝えない事もあります。長く過ごしている家族や、長い付き合いのある友達についついやってしまっています。

また、アニメの中ではジュナは父の話を深く聞こうとせず、はじめから話す内容を決めつけいるようにも感じました。自分の頭でも考え、分かろうとする聞く側の行為も大事だと思いました。

② 楽と幸せについて

父は離婚した理由を、楽になりたかったからだと話します。
ですが、離婚しても幸せにはなれなかっと話します。

飲み会で、上司が昔の自慢話をよくしています。
自慢話をしてしまう理由が少し分かった気がします。頑張った事はその時は辛くても、後になったら自分にとって気持ちがいいのかもしれません。
楽してばかりは勿体無い気がします。
ですが、口では綺麗事が言えても、人間どこらしら楽を追い求めてしまっています。
そこがまた難しいです。

また、今の社会の現実というか仕組みも感じられました。


③勉強のあり方

私は、中学生以降の勉強があまり好きではありませんでした。親からも、見られるのは点数と番数。いい大学、将来の為という事でただただ覚える事に必死になっていました。
深掘りするとどの教科も面白さはありました。ですが当時は覚え方と点数の稼ぎ方にしか興味がなかったです。

④何かを変えようとする事の難しさ

最後のジュナとトキオの対比されているシーンが上手く表現されていました。

何かを変えようとしても、変わり者扱いされるだけだという事は私自身体験したことがあります。たぶん今の私は人前で行動はできず、長いものに巻かれるだけで終わりそうです。
ですが、考える事はやめず、心のどこかで自分軸をしっかりと持った大人にはなりたいと思いました。


最後に

このようなアニメがあった事には本当に驚いています。
もう一度、見てみたいです。

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