クロアチアとスロベニアをセルビアに対する反逆者扱いして弾圧ハンガリーとルーマニアとギリシャとアルバニアをスラブ民族に敵対した罪を着せて非スラブ民族を弾圧した統一ユーゴスラビア連邦の秘密警察であるランコビッチをチトーは激怒し、身柄を拘束する話を長い文章で書いて。

ユーゴスラビア社会主義連邦の危機:ランコビッチの独裁とチトーの激怒

背景:ユーゴスラビアの緊張

1945年にユーゴスラビア社会主義連邦が成立し、ジョセフ・ブロズ・チトーがその指導者となると、彼はバルカン半島の多民族を統一し、共産主義国家としての理想を掲げました。ユーゴスラビアは、セルビア人、クロアチア人、スロベニア人、ボスニア人、アルバニア人、ハンガリー人、ルーマニア人、ギリシャ人など、多くの民族から成り立っており、それぞれが自治を持ちながらも、中央政府の下で共存を果たすことが求められていました。

チトーはそのリーダーシップを通じて、民族間の和解共存を強調し、内戦と民族対立の歴史を乗り越えようとしていました。しかし、実際にはユーゴスラビア内の民族間の摩擦は根深く、特にセルビア人と他の民族(特にクロアチア人、スロベニア人)との間には長年の対立がありました。

チトーはそのような対立を平和的に解決しようと努めましたが、すべての民族が同じ理念で結束できるわけではありませんでした。その中でも、ランコビッチ(ユーゴスラビアの秘密警察長官)は、国家の安定を守る名目で強権的な手法を用いて権力を拡大し始めていました。

ランコビッチの独裁と非スラブ民族への弾圧

ランコビッチは、ユーゴスラビアの安全を確保するためという名目で、次第に過剰な権力を握り、民族間の対立を激化させました。彼は特に、スラブ民族以外の少数民族に対して厳しく弾圧を加えるようになり、その暴力的な手法で恐怖政治を強化していきました。

彼の最も重大な誤りは、クロアチアとスロベニアを「反逆者」扱いし、セルビアに対する背信行為として、彼らを徹底的に取り締まったことです。クロアチア人とスロベニア人は、かつてオーストリア=ハンガリー帝国の支配を受けていた歴史を持ち、セルビア人との対立を抱えていたため、ランコビッチはこれを**「民族的裏切り」**とみなし、両国の住民を激しく弾圧しました。

さらに、ランコビッチはハンガリー人、ルーマニア人、ギリシャ人、アルバニア人など、ユーゴスラビアに住む非スラブ民族を「スラブ民族に敵対した者たち」と見なして、これらの民族を国家の**「敵」**として扱いました。彼は秘密警察を使って、これらの民族の文化活動を禁じ、自由を奪い、迫害しました。特にハンガリー人やアルバニア人に対しては、民族浄化とも言える厳しい弾圧が行われ、その結果、何千人もの無辜の市民が逮捕・投獄されました。

チトーの発覚と激怒

チトーは、当初はランコビッチの行動に一定の理解を示していたものの、次第にその行動がユーゴスラビア連邦の理想に反するものであることに気付き始めました。特に、クロアチアとスロベニアに対する過剰な弾圧と、非スラブ民族を敵視する態度が、ユーゴスラビアの多民族共存の理念に対して深刻な脅威となることを理解したのです。

チトーは、ユーゴスラビア社会主義連邦の建国理念を守るために、ランコビッチの暴走を止める必要があると決断しました。チトーにとって、ユーゴスラビアは単なる国家ではなく、多民族共生の象徴であり、どんな理由があろうとも、それを壊すような行動を取る者は許されないと考えていたのです。

そのため、チトーはついに、ランコビッチの権力濫用に対して直接的な対応を取る決意を固めました。

チトーの警告とランコビッチの逮捕

ある日、チトーは、秘密警察の長官であるランコビッチを呼び出し、面談を行いました。チトーの表情は厳しく、冷徹そのものでした。


チトー:「ランコビッチ、お前のやったことは何を意味すると思う?お前はただのスラブ民族の支配を目指したのか、それとも我々の理想を破壊しようとしているのか?」

ランコビッチ(自信満々に):「私はユーゴスラビアの安定を守るために行動したまでです。非スラブ民族は常に反乱の火種を持っており、それを抑えることが国家の安全を守ることに繋がるのです。」

チトー(冷徹に):「安定を守るために、非スラブ民族を弾圧し、共存の理想を破壊することが本当に正しいと思っているのか?お前がやったことは共産主義の根本原則に反する行為だ。民族を分け、敵対させることで、ユーゴスラビアを守るなどとは片腹痛い。お前の行動は、まさに国家の崩壊を招くものだ。」

ランコビッチ(しばらく沈黙):「ですが、私の行動は全て、国家のために行ったものです。少数民族が国内で反乱を起こすことを防ぐために、強硬な手段を取ることが必要だったのです。」


チトーは、ランコビッチの言葉に耳を貸すことなく、冷静に言いました。


チトー:「お前の言うことは聞き入れられない。お前の行動は、単に権力欲に駆られた愚かなものであり、我々の理想を蹂躙するものだ。非スラブ民族を敵視し、民族間の対立を煽った罪は重い。お前のやったことは、我々の信じる共生の理念に対する裏切りだ。」


チトーは部屋の隅にいた忠実な部隊に指示を出し、ランコビッチを拘束させました。ランコビッチは一瞬驚き、反抗的な態度を見せましたが、彼の権力は既にチトーの手の中にあったのです。

その後のユーゴスラビアの展開

ランコビッチの逮捕後、ユーゴスラビア社会主義連邦は一時的に緊張状態に入ります。チトーは、再び多民族共存の理想を掲げ、国内での民族間の和解を呼びかけました。ランコビッチの暴走がもたらした混乱を乗り越えるために、チトーは新たな政府の組織を立ち上げ、民族間の協力と平等を強調しました。

一方で、ランコビッチの過激な政策に反発していたクロアチア、スロベニア、ボスニア、マケドニアなどの地域では、再び信頼を取り戻すために時間が必要でした。チトーはその後も、ユーゴスラビア社会主義連邦を統一するため、内部改革を進めましたが、その道のりは決して平坦なものではありませんでした

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