【モーツァルトと父(作曲家)野田暉行】2024.10.6
【モーツァルトと父(作曲家)野田暉行】2024.10.6
【E World Japanから】
【お利口かお馬鹿か?】2024.10.31
父と母と20代にザルツブルクに行ったことがあります。
山々は都市よりも未だ開けず、それは敢えての都市計画の景観保持であるほど、日本とは異なる色彩と景観保全の街造りの精神を目にしました。
法律自体が当時から違ったのです。
「グレーばかりのコンクリートになるとどのような精神が育つのかしら?」
それは既に先人は日本では説いている人も居て耳にしていました。
ユトリロの絵のような曲がり角は、日本ではあまり遭遇しないのです。 それは父が教えてくれた感覚です。 母ではありません。
両親は非常に音楽史以外の芸術史にも敏感で、そのことは、私にとって「歩く生き字引」、父の音楽評価は絶対的という門外漢ならではの安心感に繋がっていました。
しめしめ感でいっぱいです(笑)。
何もしなくていい!!
サンタクロースどころではない知識豊富の両親!!
勉強は教えてもらえるか?というと、割と独学になましたけど。
とはいえ私の鈍感さは後付けの子です。
誰よりも怖がりでした。
怖い。
小学校も怖さから始まる。
家でもそうです。
怖いのです。
察知します。先に。
サバイバルジャングルライフでお嬢様している感じを自分で馬鹿だと感じていました。
箱入りなのです、雰囲気が。
それを最大限に良しとして自己利用していた時期もあります。
「学生」という守られた、戦後特有のバブル崩壊手前の「現代先進国」の期間です。
そのために「何もできないこと」をどうするのか?
「いつ死んでも悔いはないように」ということへの答えは前にも少し触れたのですが、10歳から出ており、8歳の時、ふと左を見たキャンバス様の子供部屋の白壁に西日で落とした自分の影へ、「お前など消えて居なくってしまえ!」と言い切ったことがあるのです。
それほど両親だけが優秀で、特殊でした。
ひとりっ子の孤独な影を落としていたのです。
だって現代音楽、その時はまだ父の曲なんて分からなかった!
オペラの「ルル」(当時は未完バージョンの放映でしょう)のワンフレーズは3歳で覚えていたと父が日記に書いてくれたから、よいものの、単純にモーツァルト、ビゼーオペラから、チャイコフスキーバレエの優しいものからシベリウス、ロック鳥のシェヘラザードは冒険音楽、ローエングリンと、二頭身はシャワー教育が好きでした。
(イスラエル旅行の演奏会: 1985年に第9回イスラエル国際ハープ・コンクールに参加者中最年少の17歳で優勝し、近年は愛子様へのハープの動画でも音楽として触れられることのある吉野直子氏と、父の《ハープのための「讃歌」》の演奏をされた井上久美子氏の参加で、8歳手前の私も両親とその演奏会場におりました。)
Teruyuki Noda
HYUM for Harp solo (1973)
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%83%E3%82%AF%E9%B3%A5
「ルル」は大人になった時に好きになる。
また外の両親交流は人間国宝、東大を2度卒業してから音楽する妙なルートや、副業が料理なのかというほど陽気な作曲家の独特のキャラクターまで、これまたトップ的。
内外で最初に自覚を迫られるお馬鹿な幼少期の始球式からです!!
絵に描いたところで絵に描いた餅。
父の寄稿文のような(?)な幼少と外部から聞かされる功績は、あっても帳消しです。
つまり「無いことにされそう感」笑!! それはモーツァルトの「魔笛」の闇のようなことを11歳で好きになる理由でした。
「夜の女王」が大好き。
素人の音の寄り添いが始まるのです。
「あのババアがいい」笑。 (※当時は言いません、言い方は敢えてです‥。)
最高音(他にもありますが)のアリアはそらで小学生で歌えも、親にも言わず、こっそり居間に置いてある(父の部屋のものは一切触れない遠慮)オペラの分厚いスコアも、触ってはいけないと勝手に思っているので痕跡を残さず、見ていました。
そこから40歳くらいまで音を出せるだけの存在です。
その後、出せた声を失うことは、素人であっても玄人並みに悲しいものであると知るわけです。 「いっちょう前にマリア・カラスの悩みするわけだ」と誰にも言わず思う門外漢。
下手くそでしょう?とプロのオペラ歌手と比較することは、しないのです。
理由は「結果は子供の時に分かっていた」からです。
小学生になる前の二頭身へ「どんなピアニストになるの?」と冗談でも聞かれ「ママくらい」と答えると「それは、結構大変なことよ?」と妙なニヤケ具合が外部からやってくる。
それは無理だと私も分かって言っているのです! 左はオクターブから上のミまで届くような手は意味なーし!そんな気分。 違うことしよー。時間の無駄。そんな好奇心もありません。
それは後から湧き出てきたので「長いこと学生してやれ、私を守れ、この親。」くらいの自己愛へ発展途上しました!!
社会に出たらある意味で生きやすい。
ヒエラルキーと政治の本質が私の選択した世界では分かるので、それにのっとってやり返せることがあるのです。 普通は家庭に入る方が良いのかなというところで、それをしません。
時短。
精神面とはこの労働社会ではどのような扱いかたをされるのか、ブラック企業との付き合いかた。
ザルツブルクでは明るい陽気な西欧の話し声が、休憩時に有名なオペラハウスでしていました。
私もそこに両親と居ました。
「どこから来たの?」
年配のドイツ圏の女性が賑やかな話し声へにこやかに聞く。答えは私も予測していました。
「イタリアーノ笑!!」
言った本人達が爆笑し屈託がない、日本人の私も控えめに少し離れたところから、問いかけた本国の女性もやっぱり?という「安心の落とし所の煩ささの境界線」の笑いを共有しました🥰
ソクラテスになると一票差で民主国家で殺される。
「無知の知」を自覚してネッスンドルマ。
ちなみに私、二頭身の時、寄らば大樹の影の国営放送、NHKの教育番組「パジャマでおじゃま」の出演依頼を自ら「嫌(NO)だ!」と断った謙遜期間があります、悪しからず。
日本は自然より都市が勝るのです。
ルンルン気分も柳に風。※1
古来より痛みには柳対応の日本かな。※2
薬剤師より。
※1「ルン」とはプラーナ「風」の意味を持つ音である。
「ブリハッド・アーラニヤカ・ウパニシャッド』(梵: बृहदारण्यकोपनिषत् bṛhadāraṇyaka-upaniṣad)」にプラーナを風に言い換える一説がある。p.83『現代密教 第11・12号併号 風 (ルン・プラーナ)とは何か』金本拓士
※2 楊柳観音は柳(アスピリン)を持つ
「である調」と「ですます調」は、口頭文としてここまでも非統一で書いています
ここまでの投稿はE World Japan出版「私」より抜粋です(元ネタ先)
【二度娘に「ウッ(擬態語)?!」となった父と自発性(ボランティア)】
作曲家の父(くどいですが)野田暉行は、基本的に、関係者の方から人間が面白いと思われていたかは疑問です。
そんな父ですが、ワタクシ娘っ子に大きく分けて二度、「ウッ?!」擬態語アクションをしています(擬音語ではありません)。
一度目は小学生のファミコン。
二度目は私の免許取得時です。
一度目から。
父は「明石屋サンタ」が好きなくらいクリスマスも大切にしていて、大人になってもCDに焼いて面白い番組(海外ドックトレーナーの番組とか可愛い動物や興味のあるもの)を働く娘っ子に撮り溜めてはくれました。ツリーを飾るのも父と母で娘っ子ではありません💧
その父がおそらくサンタとなって(明かされていませんが両親とは別にサンタから来ていた期間があり)ファミコンを貰えたのは、小学校の入りたて。
これは父が欲しかったもののリストではなかろうかと言い切れます。
私はサンタさんへ田舎くさいもの(「ミニチュアの牛乳瓶付きの牛(もーもーさんのおもちゃと内心命名)のフィギュア」を願っていことは他で触れましたが、願い叶わず、サンタさんへのお手紙の開封だけはありました。それでも娘っ子、サンタさんが来た!!読んで貰えた感動です。ファミコンに興味がなかったのです。
家族交流の時間で、セーブ機能が無い時代から保存できるように変化した旧型ファミコンへとその後は父が買うことを決め、娘がしたものは全部トライするのです。子供時代からファミコン自体を欲しがった事がありません。
しかし娘っ子のゲーム保存は、父の先を行く🤭
意外にも先にできると7歳で思えるのですが、実のところ父は固いファミコンさばきです🥰
20歳まで父によく言われたのは「えりこはどこかに出かけると手ぶらで帰ってきてことがない。何かしら貰ってくる。」
遊園地、釣り堀も、パターの懸賞?マインドコントロールでも何度か気分が良いわけです。
ある日のこと、幼少の娘っ子のファミコン保存に、初心者の父が足をぶつけて全滅を見た娘っ子は「うわぁーん!!🙇♀️💧」と、子侍化(⚔️コザムライ化)して走って部屋に閉じこもるという父への「初アクト」。
反抗期ではありません。口答えはしません。
その時の父は本気で慌てて「ごめんごめん」と平謝りでかけってきました。短距離です。
すると父は「即」、自分で達成して渡すと公言し、「即」、できないゲームのファミコンをし始めたのをみた娘っ子のワタクシは「…。」。
父がそのゲームはぜんぜんできないのです。
特有の雰囲気でイラつきながらゲームに向かわれるのも、この時に限っては「自己責任」、ひとえに娘っ子のため。
これは無理だと思った娘っ子、「私」がすると、泣き止むまでは、割とすぐでした。
父は娘っ子が「落ち着いた」のを見てフェードアウトして作曲部屋に戻り、次に出てきた時には「元のところまで、できてきた!」などと笑顔の娘っ子へ「そぉ?by 👨」
偶発的に現れた父像の一面。
「諦める速さは何で培われるのか?」ということは私側の意見ですが、「どの程度の基線とどの程度の興味本意で諦めるのか?」となると、先人記録と個人の自発性は欠かせません。
「したいことは何か?」
ありませんでした。
興味が何にも私にはなかったのです。
好きであることと好奇心は別物でした。
Actionしたくないのです。
それが私の初めの自発性です。
「嫌(NO)だ。」←口答え抜きの無言の自発。
見ているだけ。
とはいえ箱入り(?)で、電車の乗り方すら周りよりも疎いのは学校で知ることに。
「次の駅までが500円?(だと言うの?)高いなー?!急行か?!」7歳で同級生に突っ込まれました。
うちは母の車の移動なのです。
ファミコンはそら恐ろしい。勝手に怖かったです。
達成したところで土台ができないと感じたからです。
得意の時間が恐怖に変わる。
ところが父が喜び、「スーパーマリオ」の達成などは録画してくれ写真に撮って保存。親子3人とも全画面達成しました。「迷宮組曲ロミオの冒険」も「グラディウス」や「ドンキーコング」もです。家族揃っての団欒時間で賑やかです。
任天堂Wii の「ゼルダの冒険」やら「テニス」や「マリオカート」と、その後も父はゲームは好きです。
「書くことは好きでいいのかな」と思えたのは、母から書くことを群馬県の芸術村で褒められて以来です。
そのことも覚えています。夏でした。
自己批判の土台が先にありました。
バブル崩壊世代と異なり、優遇されないわけでもない超リアリストではありました。
そのシステムの答えが分からないのが怖い。
中学2年で「高校と大学」というものがあるということを初めて知ったのです。
行かねばならないの?
義務教育の意味を知り「え?」となった。
それくらい浮世離れで怖くなり、単願の意味も分からず志望した都立の倍率がその年は上がってしまい、父が新聞を見て動揺したのは覚えています。その時何か父よりは冷静になりました。怖がりでも「知らない事」が逆に功をを奏したのです。父は知っているわけで…🤭。
父も変わっていますが家族事かも?だんだん変だと思い始めます。
苦手なことを克服してでも「手に職」の考えを母はそれとなく一度呟く。
私は何もしたくないのです。塾も嫌い。
興味の落とし所、受け身から自発性を出すところからなのです。
好きになるまでする、この行動に切り替えました。遅ればせながら石の上にも三年の、臥薪嘗胆マインドにはまります。
芸高に行くと思われて自宅に電話がかかってきて都立駒場高等学校と説明したことも。何にも興味がないから取り敢えず受けたのです。
面と向かっては親の力で学生時は悪い扱いを受けませんが、世間を前に考えます。
何もしないしない😎←反省もしつつ🖋️
国家資格。医療系の免許。
コレぞ。
しかしコレも母の入れ知恵ありき。
ところが、「歌を歌え?」
急に歌いたいわけでもないのですが、母の提案で声楽を習わされるのです。歌は得意でも「今?」
1番したくない「人前に立って口を開ける行為」。
その精神克服に2年、文字を書く新聞活動はまだしも。
その上、可愛い盲導犬子犬が来た。
遊べと言わんばかりです。その時期を逃したら犬と会えない期間限定のパピオンと遊ばないわけがない!!「何故今?」
思い返すと、なんか嫌な予感です。
これでもレールに乗せられていたのか感!!
二度目の父の「ウッ(擬態語)?!」は、私の人生初の免許。
運転免許を取得してすぐの頃です。
私は「運転したくない(これは父と同じで、母しか運転しません)!」と、家の目の前に広がる広大な敷地の自動車学校へ行くのも、母の無理矢理からです。義務です。「今しかない?」ですかねぇ…。
最短で取れました。だって家から見えているコースですもの。分からないわけがない。
ところが運転の「ボランティア精神」が伴わない。
母の沖縄県講師。羽田空港に向かうので「ママの送り迎えを(私の若葉マークで)してあげようよ?」と父が提案したのです。
意思疎通は二等身時代から父とは「(最速でもない)新幹線こだまの往来」が二往復あることは分かっておりますから、この成人時まで(正確には30代までもですが)口答え一つせずに来た私も、この時は人命に関わると(笑)、勇気を振り絞り父へ言い放ちました。
「なんて、思いやりがないのッッ!!」
「しごく筋の通った話だ」と、私は思ったのですが、父は固まったんですね。あれ?
フリーズ?母へ何か同意を求めている父?
母は悠然と構えていたような?
自分の提案のどこが思いやりがないのかを母に同意を求めるような擬態語の動きをしていたので、父は正直な面が…😎
受け売りですが「正直であることと、我がままであることの境界線が分からなくなってしまった」というのはピタリとくる表現で(後年ですが※3)先に稼ぐかたも観て参りました。
言い訳より「嫌だ」が先に来ることへ。
父は、創作時間を得るために働かねばならない。しかし働く時間をいかに創作時間へ転じるのかは非常に長けていました。教授って非常勤みたいでいいの?その時間体制は今でも語り草の変則的な勤務時間、創作時間を目一杯生きる父なのです。
それ以外は「嫌」でもしなければならない。
とにかく家で作曲していました。
それは仕事というよりは自発的です。
食べるために作曲はしていないのです。
クリエティブなのか、クリーチャーなのか。
早々に八歳までには答えが出てしまい、楽したがり屋の私と違い、自己へ鞭打つのが両親であると。困ったな、したくない。
お嬢さんしても自分以外に依存先を持つのは疑問、こんな穿った視点もわりと小学生で早くも分かり、困ったな。怖い。
また家族崩壊している人達も目に入る。
これも避けるには?
答えは忍耐です。
それが芸術を鑑賞する側の心構えと比例する気がします。
まずは最高芸術の鑑賞の自己鍛錬からなのです。
また自己がハッピーですとポップになる。
重いと物足りなくなってきます。
なにやら嫌な予感がいたします(笑)。
両親、私にそれ(負荷)を課しました?
「不愉快さの度合い」と「昇華させる術(我が家は音)」の提供。
私は昇華させる事が強く、昇華させる側ではないところから。
また不愉快さの手放しも私はしません。
それがあるから「私」なのです。
行間には書いていないことは多々あります(笑)。
両親と違って「2対1」の「1」に、この家庭内では何をどうしても私が本質的に分類されるのです。
いつもです。
しかし奇しくも安定の数「3」で、父は永眠しました。
一人っ子特有の自己批判と内証は、書き留めが得意でも食べられません。その時間を取りたくなるものの、大小問わず、他者依存ではない土台を作りたくなるわけです。
「鑑賞」の芸術。
最高芸術は自己を昇華できます、実体験です。
そうでないとフラストレーションが溜まります。
もっと少数の本物だけで良さそうな?などと、たまに思う昨今の先進国事情。
子供の頃、演奏される方(かた)が、父の曲で本当に何かを昇華された時の雰囲気を知ったことがありました。忘れられません。
その方(かた)は、不愉快さが高い生活なのだろうと。
名演奏の演奏家はそれがあるはずです。
偏差値社会の優越感が得られた場合、現代音楽の不愉快さの昇華のそれとは少し異なるのではないか。東大出身の作曲家がする現代音楽の壁ではないか?と個人的に感じるわけです。
更に貧富の差も含め妬み嫉み、その中で感じることが似通っています。
しかし平和で豊かさがないと曲すら書けません。
女性作家が独身で孤独の方が、「捉えたことを書くのではないか?」という問いは、誰かが既に答えていたと記憶しております。※4
それらが根本的に生まれ持って備わってきたかどうかで、非常に少ない人が「現代は」作曲家であるべきなのかなと思います。
無理して得られない空間を作って自己芸術のためにイラつく必要はないと思います。
そんな方(かた)をチラホラ見かけます^_^
覚醒剤に手を出すとか。
これは快楽を求めたのか知りませんが。
どの程度に恥を見出すのか。
自己のどこかに「基線の低さ」を理解すると、不愉快になる一方で、理解できる術が増えます。
しかし「低い基線の音(や、それ以外の芸術と言われる分野でも既存より低い場合)」では昇華はなされませんでした。
私の実体験です。
これを理解して聴くと何度も聴きたくなるのです。繰り返しです。
父が離れていかないのです。運良くそこに到達しているのは親だからです。慣らされた。
ですから変な人に対して私は鈍いのです!
社会で「その人、変よ?」と言われても
「そうかしら?」。
「演奏家側の昇華」と「鑑賞側の昇華」が、どの程度で一致するのか。
その基線がチラつく癖ができました。
「どこの層を騙くらかすんだろ?(言い方…)」みたいな気分にだんだんなっていきます、私は^_^
「できないのか、騙しているのか、どっちなんだろ?」とか^_^
ちょっと楽しいわけです。
忖度しちゃったりして^_^。
寺子屋時代の日本の質の高さは、なんぞやと比較して。敢えて言うなら邦楽しかなかったかと日本の作曲史の無さを考える。
能や歌舞伎、落語、絵画、オペラから「最高鑑賞教育」に特化していた親の教育には私は感謝しています。
学校をお休みして歌舞伎?…花道上の七代目 芝翫様から教育的な視線(学校は?)を貰う「花道下の」小学生をした。
風邪の日でもお気に入りの七代目 菊五郎の父のくれたビデオテープを観るのが好きな小学生をした。
偏差値は無縁でした。
楽。
音楽とは何か。
観る力、聴く力。
食べていくために騙すのか?
———-
※3 歌手浜崎あゆみがチーム話したことを後に東京プリン(芸人)が書いている
※4 結婚したことへの影響についてエッセイスト林真理子のインタビューだったと記憶している
【瞬間芸術】
その音(術)が高尚かについては、最高技術とマインドを極限でしているか否か、
先人比較する面と、個人の納得と,自己満足の度合いで決定されることです。
学問、見た目、家族持ち、金持ち、批評的、才能、無能?(順不同)
父は、犯罪的な告白をしてきたかたからや病んでいる人の告白的な作曲作品をいきなり送られてきても、丁寧に答えておりました。
素人玄人問うことなく丁寧な対応の意味は、今は分かります。私も社会に出ると分かる事があります、逃げられないのです。
父は逃げる場所を潰しません。
また非難もしません。
「逃げる事」が書く事なのか、作曲なのか、演奏なのか、話し続けることなのか、人それぞれ多種多様で、よく観察すると「逃げる」手段は悲劇からかもしれず、それを「面白くおもろ」するまでしてみたらいい。これはたいへんな内面作業です。自己の救済です。
人が死ぬような職は怖いから選ばなかったと。
父は面白い人と言われたいと私に話した事があります。
私の方が面白いような?その時は、そうはっきり思いました。
赤ん坊はにこやかに生まれてくる。それを叩いてはいけません。ゴールから生まれてきたというのに。
私を小学校へ行かせたくないと父が話し、父方祖母は自分が教育せねばと家族会議。上京しようとした矢先亡くなり、何故か大半休ませてもらえる自宅好きの小学生生活となりましたが、確かに保育園も幼稚園も行かずに初社会は怖かったです。
掲げる存在が高くあると献上、昇華目的ができ、笑えればよいけれど、それでもにこやかになれないことの方が多いのです。
つまりそれらは要らないとなる。
いざという時に助けてくれなかった。
人によりけり。
鑑賞者の状態が比較的明るいなら明るいかもしれず、また元から人の意見など聞きたくもなく、この気分でない。
そうするとその瞬間の人気だけで食べていく、金銭が上がる。
モーツァルトが理解されるまでと、ベートーヴェンの交響曲演奏がよくなったのはいつからか。
いつピークだったか。全てにおいてピークがあるのです。音楽史の理解は必須ではなかろうか。素人でもそう思います。社会情勢と真理背景に人気が影響し、リコーダーの曲を山ほど、その時うけがよい理由でハイドンより人気で書いていた作曲家もいた。後からハイドン。そのハイドンは海を知らず、海を作曲したことを、実際は大違いだと初の船の上で自己を笑った。
死にかける時にそばにありますか?
その問は芸術に必要であると思います。
大仏も含め。
私は自分で書くことと、好きな先人の音、それ以外に鑑賞したことと沢山ありますが、具合の悪い時には何もできないかもしれません。
救済とは?
瞬間人気、瞬間芸術になるなかれ、これは理想です。
残りたいのでは?
何が残るのか。
超幸福に現代音楽は不要です。
重なりの力。
我が家は、三重。
———-
「私」は、自己を傷つけるような二流芸術はしない。
一枚目には二枚目、三枚目がつきものです。
古代の笑いは何であったか。
※瞬間芸術とは勝手な造語です。
「である調」と「ですます調」は、口頭文としてここまでも非統一で書いています
ここまでの投稿はE World Japan出版「私」より抜粋です(元ネタ先)
【ミッフィーちゃんとヘミングウェイ】疎くなるには?
子供の時の色と掌握。
はっきりしている方が私は好きである。
ヘミングウェイの先にあるのがミッフィーではなかろうか。
ハードボイルドがさほど難しくなくマガジンのようだと当時は思われたようだが、私からすると絵本のような「老人と海の」英語原文世界で、短編の脳内像は絵本的である。
その意味では私にはブルーナの絵本は先を行くのである。
書き出しは五木寛之風にしてみた。
鮮明さ。
驚きの向こうに芸術が始まる。
色に先ず驚き、共感することがあるからである。
ミッフィーの絵は子供時代共感セットであった。
これは3次元へ転換するとどうなるか?
立体構造のお家の世界か、ヘミングウェイは残念ながら映画世界になるわけだ。
白黒の「月光仮面」が初めてやってきた世代とも異なるスタート、カラースタートで。
そうすると今の子供はシンプルにカラーの絵本世界を既に脳内で立体化することは可能な土壌である。
絵本の内容を複雑にするかしないか。
感性へ影響する。良い絵画を立体空間から見せるのはその次の段階であること。
ピカソは限りなく人の顔の認識を崩した。
人類愛、個性の尊重はそこには無いのである。
壊れた3次元世界にしか行かせないのだ。
傷つきをもたらす絵である。
3次元の最先端の時代で、ピカソの次、ヘミングウェイの次、ミッフィーは先にあると私は感じる。
理由は明らか。
守られた安全の脳内結合性への帰結。
だから絵本なのに。
精神基盤は不安定さにするのか?
守る期間を長くしたいなら
「大人の絵本」は子供に見せるな。
物事には順番がある。
音楽もである。
疎くさせるにはコツが要るのである!
両親の嫌がらせだったのか(笑)。
そんなワタクシ、先ほど壊れた先の母の購入した電子レンジの「レンジ」で解凍したところ「発酵」と書いてあると老眼で裸眼で読めず、数回「腐らさて」食べていたと気がついた。
新しい先はいつもと違う事がある!
悲劇と喜劇は紙一重。
視点を変えれば、ヒッチコックの
「サイコ」はハッピーエンドでは?
「である調」と「ですます調」は、口頭文としてここまでも非統一で書いています
ここまでの投稿はE World Japan出版「私」より抜粋です(元ネタ先)
【無料・有料の投稿中サイト】
【E World Japan】note投稿マガジン
野田瑛里子 野田暉行 作曲家と本音
E World Japan代表者名 野田瑛里子 生前の父作曲家野田暉行に許可を受け、出版可能なものを書いています
【野田暉行公式サイト】note投稿マガジン
E World Japanとして父の要望を受けて作製してきたホームページにまつわるエピソードなど。
【2.5%家主の野田の瑛里子さんですょ? 脳内「おら村」空間の2頭身(心)のつれ「ず」れ】
【父の公式サイト】
https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/ https://www.teruyuki-noda-officeoversea.com/erikoから連結blog(?)