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南仏の伝統料理「ソッカ」を焼くということ

元パティシエがこだわった「焼き」とニースへの想い

 紺碧の地中海を臨む南フランスの都市ニース。世界中から観光客が集まる人気のリゾート地だが、ここに「ソッカ(socca)」という伝統料理があることは、あまり知られていない。ニースの人々にとってはソウルフード、実はこのソッカを提供している人が日本にいる。Chez Sasaco(シェ・ササコ)のオーナー、笹川絵巳子(ささがわえみこ)さん。日本では他に提供している人のいないこのソッカを、なぜ彼女は焼くのだろうか。
その背景には、笹川さんの心の奥に息づくニースへの想いがあった。

※本記事は、宣伝会議 第43期 編集・ライター養成講座の卒業制作として作成し、一部修正したものです。


 「目を離すと、すぐに外に飛び出ようとしてしまって・・・。でも子供と一緒にやっていけるのが、このスタイルのメリットですね」
 コロナ禍で飲食店が厳しい営業制限をされてきた中、3歳になった長男とふたりキッチンカーに乗り、千葉県内や都内各地を移動してはソッカを焼く。トリコロールのフランス国旗を掲げ、「Nice, Côte d'Azur」(ニース コート・ダジュール)と大きく書かれたキッチンカーは、南フランスの爽やかな風を運んでくれる。

南仏の解放感いっぱいなChez Sasacoのキッチンカー

 ソッカとは、ひよこ豆の粉を水で溶き、塩コショウとオリーブオイルで薄く焼いた、いわば「ひよこ豆のガレット」。周りはカリッと、中はふわっとしている。ひよこ豆の素朴な風味とほのかな甘さ。そして塩コショウがピリッと効いた味わい。シンプルではあるが、その食感こそがソッカの魅力だと笹川さんはいう。
 
 ソッカの歴史を調べてみると、ニースのあるフランスではなく、もともとはイタリアで中世の頃に食べられていたのが始まりのようだ。しかしニースの人に言わせると、ソッカは「わが町のスペシャリテ(名物料理)」。地元の誇りなのだ。
 そのニースでは、市街地のマルシェ(朝市)にたつ露店でソッカを買うことができる。熱々を手に持って、マルシェを歩きながら食べるスタイルだ。また市内の専門店やレストランでは、露店と違うアレンジも楽しむことができる。

ホームステイ先の転居 ソッカとの出会い

 笹川さんとソッカとの出会いは、西欧料理を専攻していた調理師専門学校を卒業し、都内のパティスリーでパティシエとして働き始めた20年近く前に遡る。
 
 学生最後の夏休み、ヨーロッパ一周の旅へとでかけた笹川さんは旅の終わりに訪れたフランスに惹かれ、以来、毎年フランスを訪れる。そして現地の人々とフランス語でコミュニケーションを取りたいと思い、語学留学を決意。日本人が多くいるパリの学校は敢えて避け、南部プロヴァンス地方の都市、エクサンプロヴァンスの学校に入学した。初めて訪れるエクサンプロヴァンス。ホームステイ先のファミリーは、笹川さんを温かく迎え入れてくれた。
 慣れないフランスでの生活に不安も感じていたが、家族のように接してくれたパパとママ。彼らの心遣いに感激した笹川さんは、翌年も仕事の休みを利用してこのファミリーの元へと向かう。しかし到着すると、家には誰もいない。慌ててパパに電話をすると、ニースに転居したので今からニースに来いという。
 こうして思いがけず訪れることになったニースで、笹川さんはソッカに出会うことになる。
 
 ある日のこと、ファミリーに連れられ旧市街のマルシェに行くと、ソッカの屋台が出ていた。大きな鉄板いっぱいに丸く焼かれたソッカを、マダムが手際よく切り分けて売っている。黄金色に輝くソッカ、なんだかおいしそう。早速列に並んで買い、家に持ち帰ることにした。
 初めて食べたソッカの印象は、「ふーん、こんなものか・・・」だったそうだ。帰るまでに冷めてしまったせいで、本来のカリッとした食感がすっかり失われていたのだ。しかしその後、他の店で食べたソッカは、まったくの別物だった。「何これ?おいしい!」
 それからは、おいしいと評判の店を聞いては食べ歩く。パティシエとしての研ぎ澄まされた感性が、何かを感じとったのか。ソッカが笹川さんの心の中で息づき始めた。

店を開業 トラブルに見舞われる

 帰国した笹川さんは、パティスリーではできない「皿盛り」のデセール(デザート)作りをしたいと、レストランに転職する。ところが専門学校で西欧料理を学んできた経歴から、キュイジニエ(料理人)としても頼られる。自分はパティシエ。デセールに集中できないことはいささか不本意だったが、実はここでの経験が後に活きることになる。
 
 パティシエとしてのキャリアを重ね、さらにはキュイジニエとしても技術を磨く忙しい日々。それでもソッカのことは常に頭から離れない。
 あるときレストランを経営している友人が、開店前の時間にキッチンでソッカを焼いてみないか?と提案してくれた。自分でソッカを焼くことができる!さっそく試作にとりかかり、何度もレシピを調整する。しかしどうしても、ニースで食べたあの食感が得られない。あれこれと試行錯誤を重ねるうち、どうやら「焼き」が重要だと気がついた。でも思ったような「焼き」ができない。オーブンの温度が低いことが原因だった。
 
 「専用の窯じゃなきゃだめだ。だったら自分で店を開こう!」
 そう思い立ち行動に移すと、東日本橋にちょうど手頃な物件を見つけることができた。試行錯誤の末やっと手に入れた自分だけのレシピ。店に入れた窯で焼いてみると、あのニースのソッカが再現できた!これだったら、日本の人たちにソッカの魅力を知ってもらえる。笹川さんの心が踊った。

東日本橋に開業した頃の店舗

 意気揚々と、しかし初めての店舗の経営に不安も抱えながら店をオープンした笹川さん。この地に長く住む近隣の人たちが、彼女を支えてくれた。初めて見るソッカに興味津々。そして一口ソッカを食べれば、たちまちファンになる。いつしか彼らは客としてだけでなく、サポートも申し出てくれるようになった。店から離れることができない笹川さんの代わりに、お釣りに必要な小銭を両替してきてくれる。「なかなか落ち着いてお昼も食べられないでしょ」と、差し入れをしてくれる人もいた。
 
 「もっとソッカを楽しんでもらいたい」
 その想いからメニューを工夫した。生ハムとチーズ、カレー味、ツナペーストなど日本人に馴染みやすいアレンジを。さらにはスイーツ風にと、はちみつやチョコレートソースを添えるなど、バリエーションの展開をする。
 「ソッカだけでは、店の経営的にもね」
 レストランで働き身につけた技術が、ここで活きる。ワンプレートのランチメニューを用意し、ソッカと一緒に食べてもらおうとアラカルトのお惣菜も提供した。ソッカによく合うワインも準備した。
 いつしかSNSで評判を聞きつけた人が、遠方からはるばる来てくれるようになった。夜にはフランス好きの人が集まって、初めて食べるソッカに舌鼓をうち、ワインを飲んでは盛り上がる。自分が提供するソッカを食べて喜んでもらえる。お店を始めて良かった!充実した毎日だった。

店で提供していたランチのメニューのひとつ アラカルトの惣菜を選ぶことができる

 ニースの地方紙も笹川さんのソッカを取り上げた。「ニースから1万キロも離れた東京で、わが町のソッカを焼いている」
 それ以来、観光で東京に来たニースの人たちが、店に立ち寄るようになる。そして彼らが口々に言う。
 「ニースのよりおいしいじゃないか!」
 これ以上ない最高の気分だった。

ニースの地方紙で取り上げられた記事。東京でソッカの店を開店した笹川さんとソッカとの出会いや、店で展開しているメニューが紹介されている。

 しかしあるときトラブルに見舞われた。女性ひとりで切り盛りしていることに付け込まれ、迷惑客が来るようになったのだ。近隣の常連客たちが交代で店を訪れ、彼女をひとりにしないよう助けてはくれたが、繰り返しされるその行為に心は深く傷ついた。
 ある日の朝、店に着くと、窓という窓が赤く汚されていた。もう耐えられない。借り入れの返済を初めたばかりだったが、閉店するしかなかった。
 「これからどうやって返していけばいいのか・・・」
 失意に沈んだ笹川さんだったが、それでもソッカを焼くことは絶対にやめたくなかった。
 「なんとか続けたい。でも、どうしたらできるだろう。これ以上借り入れをすることはできないし」
 何か手立てはないかと模索する毎日。しかし手詰まりだった。

光が見えた! キッチンカーへの転換

 ある日のこと、飲料メーカーが募集するキャンペーンの知らせが入った。調理のための設備や内装も含め、キッチンカーでの開業をすべてスポンサードしてくれるというものだった。
 「これだ!」
 差し込まれた一筋の光。願いを込め、祈るような気持ちで応募した。プレゼンの場では、懸命に想いを語った。果たして、笹川さんの想いは通じた!見事に当選したのだ。
 「あれは、本当にラッキーでした」
 5年前のことを回想し、しみじみとそう話す。
 
 店を構えるのと違って地域の人たちとのつながりも希薄になり、営業的には不利にならないだろうか。そう疑問を投げかけてみると、「結果的に、キッチンカーで良かったと思います」という。
 店ではガス窯を使っていたが、キッチンカーで使うのは電気窯。温度の制御がきめ細かくできるのだ。笹川さんがこだわった「焼き」は、電気窯を使うことでさらに磨きがかかる。キッチンカーではアラカルトやワインの扱いはやめ、ソッカだけに特化する。グレードアップした笹川さんのソッカ。一日の売上は、店舗でのそれを上回ることさえあるのだそうだ。
 もちろん、スポンサーのドリンクも販売しなければならない。ノルマもあった。ノルマを達成できず契約を打ち切られる同業もいたが、なんとか乗り切った。
 「放浪ぐせのある自分には、こっちの方が合ってるみたい!」
 自分のスタイルにたどり着けたのだ。移動販売することで、それぞれの地域での新たな出会いがある。多くの人にソッカを知ってもらいたい。少しずつではあるが、その想いがとげられつつあることを実感していた。

Chez Sasacoで提供されるソッカ。シンプルなソッカそのものの素朴な味わいとバリエーションが楽しめる

苦しかった日々 支えてくれた存在

 確かな手応えを感じつつ営業していたある日のこと、体調の変化に気がついた。妊娠していたのだ。想定外のできごとに当惑した。移動販売という新たなチャレンジが軌道にのりつつある中、出産どころか結婚さえも考えてはいなかった。出産すれば、これまでのようなペースではできない。店を構えたときの返済も、まだ3年は続く。「どうしよう・・・」
 しかし授かった命を天に返すことはできなかった。年齢的にもこのタイミングを逃したら、次は無いと思った。入籍、そして出産することを決意した。
 
 出産前後には働くことができない。その間の返済分も蓄えておこうと、出産ギリギリまで働くことにした。ただ働くだけではない。身重のからだに鞭打って、昼はキッチンカー、夜にはパティシエの仕事を再開したのだ。
 「とにかく稼げるだけ稼がなくては」
 体力的には、限界。しかし生まれてくる子供に想いを馳せれば、がんばれた。パティシエ仲間も笹川さんを助け、見守ってくれた。
 臨月まで働き、やっと無事に出産。後でわかったことだが、そのとき子宮内膜症を患っていたのだそうだ。無事に生まれてきてくれたことに、心から感謝した。
 
 出産後は約1ヶ月半でキッチンカーを再開する。しかし授乳のため夜中に起きる毎日、睡眠不足に悩まされる。初めて経験する子育ての負担は大きく、精神的にも肉体的にもへとへとになる。毎日は自宅に戻れず、より都心に近い実家から仕事に出る日が続くようになった。
 しかしこのことで、夫との関係に亀裂が入った。自分の想いを遂げるためだけではない、経済的にも仕事は続けなくてはならない。そんな状況は、夫もわかってくれているはずだった。だが修復は叶わなかった。
 初めての出産に不安を覚えつつ、身重のからだで無理を重ねた日々。出産後も懸命に働いてきたのに・・・。
 「これまでの人生で、一番つらかった。最悪でした」
 そう語る笹川さんの瞳は、潤んでいた。
 
 その彼女を支えたのは、生まれてきてくれた子供の存在だった。「海斗(かいと)くん」と名付けた長男は、すくすくと育った。しばらくは実家の両親に託し仕事に出ていたが、お母さんのがんばっている姿は、どうやら海斗くんにも伝わっていたようだ。
 「ぼくもおしごと」
 ある日、海斗くんはそう笹川さんに言った。それからの毎日は、海斗くんと一緒。つらい時期をなんとか乗り越えることができたのは、子供の存在があったから。
 「産めてよかったです」
 3歳になった海斗くんは、今では看板の店長だ。とはいえ、わんぱく盛りの3歳児、キッチンカーの中でおとなしくしてはいられない。外に出たいと、すぐにぐずる。気まぐれ店長に手を焼きながらも、手際よくソッカを焼く笹川さん。Chez Sasacoのキッチンカーでは、そんな微笑ましいふたりに会うことができる。

開店前の慌ただしい準備を終え、一区切りついた海斗くんと笹川さん

魂の故郷 ニースの人々への愛

 出産、そしてコロナ禍の影響もあって、ニースにはここ数年行けていないのだそうだ。昨年ステイ先の大好きなパパが亡くなった。海斗くんをパパに見せたかったと悔やむ。渡航できるようになったら、ふたりで墓参りに行きたいという。
 笹川さんにとってのニースの魅力、それは解放感あふれる爽やかな気候風土だけではなく、その地の人々とのふれ合いにあるのだという。ステイ先のファミリーに感じる深い絆、そしてなつかしい親友たちとの再会。ニースの地をまた訪れることを、ソッカを焼きつつ心待ちにする毎日だ。
 あるとき笹川さんは、現地の人に「君はニースに住んでいるの?」と聞かれたそう。不思議に思って聞き返すと、ニース訛りのフランス語を話しているのだとか。
 「ニースは私にとって、魂の故郷なんでしょうね」
 彼女にとって、この地は単なる旅先ではなくなっていた。

身軽になった今、思うこと 今後の展望

 コロナ禍の影響は営業面にも大きくのしかかる。これまでキッチンカーで出店してきたところが、次々と閉鎖されてしまったのだそうだ。それでも2021年秋、キッチンカーのスポンサー契約がやっと終了し、東日本橋に店を開いたときの負債も完済。重荷となっていたことが解消され、先を見据えることができるようになった。
 「笹川さんにとってソッカを焼くこととは?」と聞くと、こう話してくれた。
 「ソッカをもっと多くの人に知ってもらいたい。うちでソッカを食べた人が、今度はニースで食べてみたいと思ってくれたら、それが一番なんです」
 爽やかな笑顔でキラキラと目を輝かせ、そう語る笹川さん。その願いは、きっと多くの人たちに伝わることだろう。

どれを食べてみようかと、メニューを前にあれこれと迷うのも楽しい

 「まだまだ知名度が低いです。キッチンカーを出していても素通りする人も多いですしね。ホットドッグにはかなわないですよね」と笑う。
 これまで何度も岐路に立ちながらも懸命にこの道を歩み、そして磨きあげて来た私のソッカ。「ソッカを焼くことで、ニースとつながっていられる」その想いを胸に。
 3歳の店長とふたり、今日も元気にChez Sasacoはオープン!

 
(店長の活躍と出店状況がInstagramで公開されています こちらから)


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