Hype in Scienceとスタートアップ支援
ここでは、近年大きなテーマとなっている"Hype in Science"とスタートアップ支援にまつわる問題を扱っていく。少なくとも、私の管見の限りでは、大学スタートアップ支援者のもつべき職業倫理に関して、国内にはほとんど議論が存在していない(おそらく全く存在していない…)。一歩誤れば、大学のスタートアップ支援の職は、"Hype in Science"を先導する立場となりうる。この記事に個々の研究者を腐す意図はまったくない。ただし、大学の根幹部分である、信頼できる科学的知識を生み出すという営為にスタートアップ支援も無関係ではいられない。
Hype in Science
ScienceにおけるHypeは下記のように定義される。なお、筆者はHypeの専門家ではないし、Intemann (2022)の論文での議論を丁寧に紹介することはこの記事の主眼ではないため、Hypeについてより詳細に知りたい方は彼女の論文の文献表を遡って欲しい(Hypeとスタートアップ支援について考える手がかりを得るために比較的直近の論文を選定したにすぎない)。
すなわち、研究結果の重要性や確実性に関する誇張を大義では指しており、前提・安全性・将来の応用、理論やモデルの証拠に関する誇張を含んでいるものとして理解されている。
Intemann (2022)によれば、幹細胞研究を含むさまざまな分野でHypeの証拠が見つかっている。人工知能、神経画像、ナノテクノロジー、遺伝学およびゲノミクス研究、バイオバンクと個別化医療、栄養学などが列挙されている。Hypeは、一般的なニュースメディアだけでなく、助成金申請、被験者募集、学会発表、査読付きジャーナル論文、臨床試験報告書、機関プレスリリース、広告といった様々な媒体で行われている。
ここには、当然スタートアップの一つの要素としての研究や技術も含まれるであろうし、ギャップファンドはまさに助成金申請の一部である。各地域で行われるDemo Dayのようなピッチの場もHypeの起こりうるコンテクストとみなすことができるだろう(血液検査スタートアップのセラノスを思い浮かべればよい)。
別記事でも論じたが、ギャップファンドの審査は特定学術分野雑誌のようなピアレビューの形態を取ってはいないことが多い。場合によっては、民間企業や他分野の教員が積極的に関わり「バランスをとって」審査することが好まれる。したがって、「特定の聴衆に明示的または暗黙的に伝える際に、科学の様々な肯定的または有益な側面を不適切に誇張する、特定の種類の誇張(Intemann, 2022)」を教員や学生が行なった場合、それを見抜くことはほとんどできない。それは、スタートアップの文脈で行われるピッチでも同様だろう。ピッチで、懸念点やリスク、ありうるネガティブな社会的インパクトについて多くのページと時間を割くことはなく、通常肯定的または有益な側面のアピールが優先される。
"Fake it until you make it"というスタートアップカルチャーを表す格言も、ディープテックスタートアップの文脈では、Hype in Scienceを助長する言葉として理解されるだろう。
研究不正大国としての日本
ここで少しHypeに関して国内でも実際に起こっていることを確認しておこう。Nature誌に取り上げられたこともあり、覚えておられる読者の方も多いかもしれない。ここで、研究不正に関する他国との細かな比較は本noteの扱いうる範囲を超えているが、日本は研究不正で注目を浴びる国でもあるという事実を確認しておくことで本記事の趣旨には十分である。本記事の執筆時点でもちょうど日本経済新聞から下記記事が掲載されていた。
もちろん、日々の支援の中で教員や学生を疑ってかかる必要性はほとんどないと考えているが、一方で、研究不正は日本にも事実存在していることを認識しておくことは支援者にとって重要であろう。昨今のgenAIツールの発展によって文章生成・画像生成技術も向上したこともあり、ピアレビューによって改竄を看破することは難しくなっていく。マウスの生育環境で再現性が変わるという指摘もある(もちろん、ギャップファンドの審査時にどのようにマウスを飼育しているか質問する審査員はいないだろうが…)。
昨今の論文生産ゲームの過剰化は、研究者に多くの不正の誘因を提供している(こちらやこちらなどを参照)。もちろん、教員や学生も好きで研究不正をしているわけではないかもしれない。ただし、科学的知識である以上は常に反証可能性もある。支援者として完璧な研究は存在しないことを理解しておく必要があるだろう。
Hypeを誘発しうるスタートアップ支援
これまでの議論では、教員や学生のスタートアップ支援を創出することに何も関係ないと思う方もいるかもしれない。自分のなすべきことはあくまでスタートアップを作るための支援であり、研究を誠実に行うのはそれぞれの研究者や学生の責任ではないか、と。しかし、セラノスが明らかにしたようにスタートアップはHypeと密接に関わっている。教員や学生にスタートアップを作るよう促すような支援者はその限りでHypeを奨励している可能性がある、ということを意識しておく必要がある。
一つ目の問題として、「XX大学発」スタートアップの数というKPIを挙げておこう。文部科学省と経済産業省の定める大学発スタートアップの定義は異なるものの、年度ごとに集計され(なぜか)順位付けがなされる。個人的には各大学が各大学なりのやり方で、技術分野もマーケットも違うスタートアップを生み出して社会に貢献すればよく、起業数比較の意味をよく理解できないが、事実ランキング的に掲示(たとえば、このように)される。こうした仕組みは、支援者に「スタートアップを多く作る」という志向性を与える(※1)。したがって、スタートアップ創出圧力に従順になれば、自大学のもつ技術の良さをアピールして経営者候補を惹きつけたり、うまく申請書を書いて広域ギャップファンドへ申請案件を送り込むことが重要になる。この状況はHypeを誘発しうる。
二点目に、Dees & Starr (1992)の提示する、スタートアップに関わる倫理的ジレンマとしての「プロモーターのジレンマ」がある。これは、嘘をついてはならないという道徳規則と、情報を盛らなければリソースを獲得したり、協力を得ることができないというアントレプレナーの置かれた状況との対立を示したものである。そもそも、不確実な活動を行うアントレプレナーは、自分の描いたプランや戦略通りに事業を進めることはまずできない。自身の活動によって外的環境も変化し、意思決定に必要な情報は常時変化している。したがって、そもそも支援する対象すなわちスタートアップそのものがHype的性格を帯びている。
三つ目の観点は、他者とのコミュニケーションにも関わる問題である。すなわち、「ギャップファンド審査に通過した案件=イノベーティブな技術=革新的なスタートアップとなる」という図式を暗黙的に肯定してはいないだろうか、という問題である。端的に言えば、それは検証するまでわからない。テック系のスタートアップのIPOまで平均12年というデータもある中では、数ヶ月数年という単位では判断もできない。私も支援してきた身として、自身の関わった教員や学生を軽んじることはない。一方で、それが革新的か大きな社会的インパクトを生むかは時代の判断を待たなければならない。各大学は「こんなにも有望な案件が眠っている」と自大学をアピールする誘惑に駆られるかもしれないが、矜持を持って冷静な立場をとる必要があるだろう(当然、支援者には再現実験する時間も知識もない)。教員や学生が知的誠実さを持っているのならば、支援者がそれを毀損するのは絶対に避けなければならない。
そもそも、スタートアップ的なロジックでは、アントレプレナーが事業を進め、それに懸けるステークホルダーがリソースを提供すれば十分である。少なくとも最初期のフェーズでは、世の全員に評価される必要もない(※2, ※3)。したがって、本質的には虚飾は不要なはずである。
※1 むしろ、数だけを追ってそのための戦略と戦術、必要な不足しているリソースの調達まで行なっていれば潔よいのだが、私が個人的に関わった各地の大学はそこまで割り切ってはいないようだ。
※2 もちろん、せっかく自大学の教員や学生が挑戦しているのだから、やれる支援はできる範囲で行うべきであり、教員や学生の知的努力に敬意を払うべきである。ここでは、過度に誇張して期待をつりあげたりすること、意図的でないにせよそれに関与することに支援者がより敏感になるべきであることが重要である。
※3 この問題については、正統性に関連する論点として別途論じる予定である。ひとまず、「逆説のスタートアップ思考」だけでも読むことを薦める。a16zのアンドリーセンは自分に歯向かってくるアントレプレナー、「お前にはどうせわからないだろう」という態度のアントレプレナーにこそ投資したい、と語っている。
Hypeは避けられない?
Hypeを先導することを支援者は避けるべきであるが、Hype的要素を完全に排除することも到底無理な話である。著名なスタートアップ研究者のSarasvathyは、アントレプレナーを"find(/found) something"ではなく"make something in the future"する人間だと指摘している。現代では、発見しやすい課題を単一技術で解決するタイプのビジネスではスタートアップとしてスケールしづらく、より複雑な課題に挑まなければならない(※1)。そこではいわばあるべき世界をまず描くことが求められている。そのあるべき世界はこれから実現するものであるがゆえに不確実であり、正しいのかも、どのような影響を人々に与えるのかもわからない。その世界は技術的困難と市場における困難がクリアできれば、という条件付きで成立しうるものである(それらに対処したとしても運やタイミングの問題もある)。それでも、人の協力を得るためには肯定的な未来を伝え説得する必要がある(一人のもちうる技術力や資金、時間と体力で核融合発電装置を作ることは不可能だ)。その意味で、本当にスタートアップらしいアイデアを追求するのであれば、Hype的な側面を帯びざるを得ないということを支援者は理解しておく必要があるだろう。その前提に立ってはじめて適切な支援のあり方を検討し始めることができると思われる(※2)。
また、上記のような本質的問題だけでなくメディアにまつわる問題もあるだろう。地方においては、当該地域の大学の生み出すスタートアップは注目すべきニュース的価値を持っているようだ。地元メディアの取材のほか、外部からの視察等等に応対するためにスタートアップがピッチすることはまま起こる。その際に、そうしたスタートアップは革新的な技術に基づいて革新的なビジネスを行うものとして(悪意はないとしてもメディアである以上)編集され世の中に伝達される。現実問題、そうした扱われ方をすべて大学側がブロックすることは困難であり、各スタートアップの方針に口を出すべきでもない。一方で、メディアを介して時間・文字数の制約のもとに伝達される情報においては、単に論文が出版されたり、製品を作っているだけで、科学的真理の体現のように扱われることがある(本noteの読者に改めていうまでもないが、専門家・社会・歴史の評価を待たなければならないし、再現性を確かめる追実験等も大抵の場合必要だろう)。この点も、頭の片隅で大学支援者が注意を払っておくべき問題である。
※1 個人的には、そうでないならディープテックスタートアップという手段をとる必要もないと考えている。
※2 大学は特に最も不確実性の高い最初期のステージに関わることが多くなる。プロジェクトベースであり、ビジネスモデルや組織はなく、技術開発要素もまだまだ残っている。その中で、Hypeに意識を向けることは大きな意味を持つ。レイターステージの投資家などであれば、ある程度確立されつつあるビジネスに関して、じっくり関係者・専門家の聞き取りをはじめDDを行なって、Hypeのリスクを列挙して、全てを踏まえて意思決定すればよいだろう。大学の関わるステージでは、何もかもまだ定まっていないために、いくら机上の分析を重ねても無意味になることがある。
支援者としてHypeにどう向き合うか
総論として、Hypeや不正の可能性を過度に恐れる必要はない。スタートアップをやる以上は、多少なりともHype的側面が含まれることになる(TeslaやSpaceX, Neuralinkなどを想起してもよい)。大きなビジョンを掲げることができなければ、そもそも優秀な人材も集まらないし、ビジョン実現のための大きな資金調達も不可能になる。
ここで重要なのは、大学のスタートアップ支援者は教員や学生にとって、アイデアや技術に対して何かしらの価値判断をしうる最初の存在であるということだ。ギャップファンドに申請して欲しい、採択されて欲しい、外部の人材を惹きつけて欲しい、外部助成金を獲得して欲しい、など支援者が教員や学生のもつアイデアや技術のHype的側面を強める誘因は無数にある。のちのち、専門家や外部人材がボロクソに叩いてくれればよいが、「教授」やそれに類する肩書をもった人間に、徹底的に批判的に向き合ってくれる審査員やベンチャーキャピタル、アクセラレーターは私の経験上見たことがない(※)。そのため、同じ大学に所属して革新的なスタートアップを共に目指す者として、教員や学生と支援者とが協力し、Hypeの可能性を横目に捉えつつ最大限アイデアや技術をアピールできるように視線を統一する努力を惜しむべきではない。
※ 非難ではなくより良い方向に進むために耳の痛い話もする程度の意。この問題については別記事「審査:何を審査しているのか?審査員とはだれか?」で論じている。なぜか十分に指摘されることがないものの、国内のスタートアップ支援において重大な課題を孕む問題の一つであると考えている。研究者としての威光とスタートアップとしてのよさは切り離して考えるほうが、プラグマティックな意味では有益であるように思う。
補:大学がスタートアップでの研究成果の扱われ方とどのように関わるか
2024年に大阪大学のips関連技術を活用した美容・アンチエイジング関連の自由診療を中心に提供するクリニックがオープンした。その影響力を見据えた大阪大学は公式に声明を発表しているので、確認しておこう。
声明の経緯や大阪大学の当該研究科の内部事情について詳細は不明だが、国立大学という研究機関としてどのようなスタンスで研究に取り組んでいるのか毅然と示す姿勢が見て取れる。もちろん、研究テーマの設定やその応用可能性の探索については研究者自身やその周りのステークホルダーに任せられるべき部分ではあるだろう。しかしながら、人命を救うことに比べた場合には公的資金と労力を投ずる優先度の低い研究「ばかり」行っている大学・研究科と認識されることを避ける意図があることも事実だろう。
この事例のよしあしを論じるつもりはないが、こうした企業やスタートアップの立場で対外的にアピールする・しうることが、そもそもの研究科や大学の方針と異なる場合、大学はその事態をどのように捉え応答するべきかという問題も今後益々重要となるだろう。特に、専門家以外は論文を頻繁に参照することはまずないしResearchmap等も見ないだろうから、こうした企業やスタートアップがその技術や研究科に対する人々の第一印象を決める可能性も大きい。大学発スタートアップ創出バブルの時代において、スタートアップの行いたいブランディングと専攻・研究科・大学としてのブランドやポリシーの緊張関係は大きな問題となりうる。たとえば、軍事産業への進出などもよい事例となるだろう。大学や支援者がどのようにスタートアップに関わるのか改めて自分たち自身に問い直す好例であるため、補足的に記した。念の為記載しておくが、当該事例は「ズレ」の事例として取り上げており、本記事で大学側の対応やスタートアップの取り組みについて是非を論じてはいない。