仏のもの
自分の親がいなくなるって、順番から言って当たり前のことだけど、その日が来るまでは、考えたくないっていうのか?考えるのを避けているとか?
心のどこかで分かっていても、潜在的に目をつむっていた気がする。
当然、自邸を設計していても、将来仏壇をどこにおいて、どうするのかなんて考えもしなかった。
考えるのは、家族全員が笑顔で暮らせるイメージであって、自分の親がなくなり、自分がどう老いていって、子供達が今、設計している家をどう継いでいくのかなんて先までは、考えなかった。
しかし、父親がいなくなる、その時が来たのだ。
葬儀を無事に済ませ、一家の主として生きる責任のようなものも出てきて。
四十九日も済ませ、墓を建てなきゃいけない、位牌をつくり、仏壇を買わなきゃならない・・・などなど、すごい出費なことに気づく。
母親には仏のモノを通販で購入すると伝えた。
偲ぶ気持ちとは
お墓、仏壇、仏具、全て偲ぶ気持ちが金額に比例すると感じてしまう母に合理主義の私たち息子夫婦。
なんなら、自分なんてこんな管理の面倒な墓を我が子に残していく事すら、無責任だと感じるので、いらないとさえ思っている。
結果、amazonでもモノがしっかりしているし、なんの不便もなかった。
けど。。。。母親としたらなにか心に引っかかりがあるようだ。
何なんでしょう。母の気持ちもわかるし、モノを購入するときの金額じゃない気持ちの部分にも金額が伴う事への抵抗感。
同じものを手にするなら、なるべく安いほうが良くないですか?
みなさんはどう思いますか?難しい話です。
さいごまで読んでいただき、ありがとうございました。