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吉田修一『犯罪小説集』

この記事は、日本俳句教育研究会のJUGEMブログ(2021.02.07 Sunday)に掲載された内容を転載しています。by 事務局長・八塚秀美
参照元:http://info.e-nhkk.net/

「青田Y字路」「曼珠姫午睡」「百家楽餓鬼」「万屋善次郎」「白球白蛇伝」の5編からなる小説集です。

5つの短編それぞれに描かれる犯罪も登場人物も様々なのですが、どれも犯罪の謎解きがメインではなく、日常生活と紙一重のところにあった犯罪に関係した人々が描かれた作品です。また、「青田Y字路」「万屋善次郎」は、瀬々敬久監督✖綾野剛✖杉咲花✖佐藤浩市で映画化された『楽園』の原作ともなっています。この2作品は、三叉路という場所・周囲から孤立した存在の容疑者・治まりのつかない事件を終結させる(ための生贄のような自)死、そして彼らの纏う独特の強烈な臭い・という共通点を見つけることができる作品でした。

誰にも認知されることなく生きてきた青年豪士(「青田Y字路」)の部屋は、「これまでに嗅いだことのなる臭い全て」が混じり合っている部屋であり、「人間が暮らす部屋というよりも、獣が何から何まで咥えて集めてきた巣」のようでした。また、限界集落で村八分になり行き場をなくしていく老人善次郎(「万屋善次郎」)は、日に日に不潔になっていき、「何週間も風呂に入っていないような臭い」「敢えて言うなら獣臭」を纏うようになります。もしかすると、『犯罪小説集』の人物の纏う臭いは、周囲の人間たちに認知されずに人間であることを手放したものの持つ臭いなのかもしれないなと感じました。(そう思うと、「曼珠姫午睡」のゆう子は、経営する店が散らかっているばかりか、彼女が男たちを連れ込む部屋も悪臭漂う部屋でしたし、「百家楽餓鬼」でギャンブルに狂っていく永尾が、高級ホテルを用意されながらもシャワーすら浴びなくなっていくのも象徴的な気がしてきました。)

作品の中で、豪士や善次郎の(自)死の種明かしはされませんが、むしろ容疑者的な色合いを纏う彼らの死に、自己犠牲的な悲しみが漂っているのが印象的でした。映画では、この二作品がどんな風にミックスされていくのか、タイトルが『楽園』となっていることとも相まって、とにかく気になって仕方がありません。

「百家楽餓鬼」「白球白蛇伝」の、自分の中で壊れていくものとのバランスを何とか取ろうとしながらも、結局犯罪の方に踏み込んでしまう登場人物たちのもつ危うさもリアルでした。

個人的には、唯一女性が主人公で犯罪を犯す者と踏みとどまる者の両方が描かれた「曼珠姫午睡」が好きでした。「人殺しの目と人殺しじゃない奴の目が区別つかない」、いつ何時犯罪者に変わるか分からないあやうい人間ではありますが、英里子が小中の同級生の犯罪者となるきっかけを追体験していく中で、多幸感と幸せの違いを見つめ直して、現実に踏みとどまった彼女には、脆く移ろいやすい人間でありながらも、根底に持ち続けている強さを見たような気がしました。