岡田一実『記憶における沼とその他の在処』
ふじみんこと、岡田一実さんの第3句集。『記憶沼』という通称で呼ばれています。
「な、なんだ、これは!」
読み始めて数ページで、一句一句の濃密さに射貫かれてしまいました。十七音ごとに立ち止まらずにはいられない、もったいなくて簡単には進めない、そんな句が並びます。
①まず十七音の詩にドキリとする→②そこにあった季語にハッとさせられる→③一句の詩と季語の重層性にまたドキリとする
変幻自在なふじみんの俳句はこんな風に染み入ってきます。
この世もあの世も私も、実は一体で「空洞の世界」があるだけではないか。では、その私とは……。もしかすると、私とは「記憶」そのものなのではないか。そんなふうに感じさせられる句集です。
では、「記憶における沼」とは……。何かが堆積し、また何かが育ちゆくような沼。もしかすると私たちは、時にはそんな沼に停滞しながら、また時には「その他の在処」を確かめながら、自分なりの記憶の形でここにあるということなのかもしれません。
「裸木」に目をやることがあれば、「その他の木」を真正面から詠むこともあるように。
手のひらにちょうどいい、少し小さめの句集であるのも、人の内にある「記憶」のサイズのようです。美しい装丁そのままに、あり続ける「水の音」のように、ふじみんの俳句とは、そんな記憶という彼女自身なのでしょう。