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平野啓一郎『本心』

石井裕也監督×池松壮亮主演の映画『本心』の原作本です。映画が、AIや仮想空間だけでなく、自由死、人間の過去、心(本心)といった様々な切り口が用意されていて、一回の鑑賞では解釈しきれない深く考えさせられる作品だったこともあり、原作本を手に取りました。

書籍の公式サイトには、平野さんのメッセージが明確に記されていました。

2040年代を生きる、母を亡くした一人の青年の物語です。彼はAIによって再現された〈母〉によって、その悲しみと孤独の慰めを得ようとします。母の情報を学習したそのVF(ヴァーチャル・フィギュア)が、「自由死」を願い続けた母の「本心」を語ることを、恐れつつ期待しながら。――やがて、母の死後、初めて知ったその人間関係が、青年の心に大きな変化をもたらしてゆきます。……
(略)
テーマは、「最愛の人の他者性」です。
『マチネの終わりに』、『ある男』に引き続き、愛と分人主義の物語であり、その最先端です。

『本心』特設サイト|平野啓一郎

作品の中では、「死の自己決定」「貧困」「社会の分断」といった問題が描かれていくのですが、『ある男』を読んだ時にも感じたのですが、やはり平野さんの小説は分人主義と切り離せないのだな、ということを感じつつ読み進めることとなりました。

「分人」は、対人関係ごと、環境ごとに分化した、異なる人格のことです。中心に一つだけ「本当の自分」を認めるのではなく、それら複数の人格すべてを「本当の自分」だと捉えます。この考え方を「分人主義」と呼びます。

「分人主義」公式サイト

平野さんの分人主義は、高校一年生『現代の国語』の教科書に、「『本当の自分』幻想」が収録されているので、私にとっても馴染みのあるものです。私たちが信じこんでいる唯一無二の「本当の自分」というのは幻想で、環境ごとに異なる自分(分人)が全て「本当の自分」なのである、という考えは、高校生にとっても理解しやすく、また、世の中を生きやすくしてくれる考え方のようです。

とした場合に、やはり気になってくるのは、『本心』で主人公の朔也が作り出そうとしているのは、母の分人にすぎない……ということでした。朔也の前で見せている母の姿は、結局母の分人の一つに過ぎないのですから、仮にVFが母を知る多くの人から学習して、母自身に近づいていったとしても、朔也の知る(求める)母とは離れていってしまうのではないか……。そして、そもそも、分人で構成されているだれかの「本心」なんて、だれか一人が聞くことができるのかどうか……。

「最愛の人の他者性」というテーマがぐっと迫ってくる小説で、それを受け入れていくことになる朔也の職業が、遠く離れた依頼主の指示通りに動く「リアル・アバター」であることも面白く読みました。自分が生きやすい環境を選択していくことを自分に許すことは、他者が思いのままに生きることを受け入れていくことなのだ、と感じずにいられない作品でした。(八塚秀美)