三島由紀夫『青の時代』
河野多惠子さんと山田詠美さんの『文学問答』で、「認めざるをえないという三島作品」として挙げられていたのが『青の時代』で、ずっと読んでみたいと気になっていました。
『青の時代』は、実際に起こった「光クラブ事件」をモチーフに書かれた作品で、東京大学の学生でありながら高利貸し業務を行って検挙され服毒自殺をした山崎晃嗣(小説では川崎誠)を主人公に、検挙にいたる前までの会社が下り坂になる予兆までが描かれます。興味深いことに、どうやらモデルとなった山崎晃嗣は、同じく東大生だった三島の知人だったと言われているようです。
「序」で三島は、
と言っています。そして、主人公誠の贋物の英雄ぶりを浮かび上がらせるものとして、対照的に描かれているのが再従兄の易(やすし)です。人と同じであることを嫌悪し、金銭に価値を認めずにただ事態を見極めて超然と過ごそうとする自分を誇る誠に対して、何の取柄もない一般人の象徴のように描かれる易なのですが、誠が易の自然さを軽蔑しきれないばかりか、誠にとっての救いのように随所で描かれているのが印象的です。誠が誠自身が演じている贋物の英雄ならば、易は誠にとっての本物の英雄であるとでも言わんばかりです。
そして、要所要所で登場する「緑いろの鉛筆」が効いています。幼い誠が欲しがり何とか手に入れながらも、父の教育観により無惨にも手放すことになった張子の鉛筆も緑いろ。父への反抗心を持つきっかけとなったのがこの鉛筆ならば、事業投資の金融詐欺に遭い、まんまと10万円を騙し取られてしまったのも、巨大な緑色の鉛筆の中に文房具一式が詰まっている玩具に心を惹かれたためでした。この詐欺にあったことが、誠が高利貸業に手を染めるきっかけとなるのですから意味深です。しかも小説のラストに、商売の行き詰まりや誠の服毒の最期を匂わせる一方で、誠に「自分の存在が一種透明なものになる稀な快い瞬間」が与えられる場面でも緑いろの鉛筆が登場します。
喫茶店で粗末な格好をした易と恋人らしき少女が、午前の日をふんだんに浴びながら会話しているのですが、この場面で易は、緑いろの鉛筆でいそがしそうに手帖に何かを書いています。この誠が快く眺めているこの瞬間に罅を入れるのが、誠の脳裏に聞こえてきた「誠や、あれは売り物ではありません」という声(張子の鉛筆をほしがった幼い時の誠が言われた言葉)であるのも象徴的です。
贋物の英雄である誠にどうしても手に入れることができず、万人の象徴である易に簡単に手に入るものが「緑いろの鉛筆」であったという事実。他者と同じであることを嫌悪していた誠は、結局は、他者が簡単に手に入れていた最も卑属なものをずっと手に入れようとしていた、と言うのはなんとも皮肉です。作者が、これから誠がむかえることになるだろう破滅的最期を書かなかったのは、むしろ贋物の英雄(誠)が抱えている虚無を描きたかったからかもしれません。