湊かなえ『白ゆき姫殺人事件』
2014年に井上真央✖綾野剛✖中村義洋監督でゴシップエンターテインメントとして映画化された原作本です。
映画では、映像という特性をいかして、綾野剛さん演じる赤星雄治が、週刊誌記者からワイドショーのディレクターに変わっていましたが、赤星が容疑者となった城野美姫の同僚、同級生、故郷の家族を取材し、その証言をSNSでつぶやいたり、週刊誌に掲載していく中で噂が噂を呼んでいき、読者は何が本当で嘘なのか分からなくなっていく物語の骨子はそのままでした。
小説では、人々の語りが淡々と並べられていく形式が取られていて、また発表媒体もより個人的な解釈を許す週刊誌(とSNS)ということもあり、結果的に(本人たちの意志に関わらず)、人が自分が見たいようにしか見ていない現実、自己顕示欲、何より、心の奥底に潜んでいる悪意が映画以上により読者にのしかかってくるように感じました。そして、結末の衝撃の犯人逮捕や、容疑者となった城野美姫の抱えていた現実が、さらに人間が抱える心の闇を提示していくこととなります。
この小説に特徴的なものとしては、それぞれの語りに加えて、ネット上のつぶやきや週刊誌の記事やブログの記事が参考資料的にまとめて掲載されていることです。映画とは違って、小説の本編でははっきりと姿を見せない今回の事件をかき回した張本人である赤星雄治の人となりが、資料によって明らかにされていくというのも面白い趣向でした。
一方、映画で赤星と美姫とが出会うラストシーンが中村義洋監督により付け加えられたものであることを知り、そこに監督ならではの原作の解釈を見たように感じました。ラストシーンに居合わせる(映画でのみ登場の)長谷川は、茶番劇のような登場人物によって異なっていく証言を「これってみんな本当のこと言ってるんですかね」と指摘していた人物であり、最後まで真実を見ることが出来ない(美姫に気付くことができない)赤星の愚かさがより際だっていくように感じます。映画で媒体が、日常生活により近いテレビのワイドショーに変更されていたのも、見たいものを見たいようにしかみない一般大衆をより浮かび上がらせるためだったのかもしれません。