子が生まれた
10月28日、子が誕生した。幸いなことにサクッと安産で生まれた。出産、なかなかに興味深かったので、せっかくなので書き残しておきたい!
朝どれのトビウオ
立ち合いを希望する夫は、知らせを受けたら全てをかなぐり捨てて産院へ向かってもらうことになっていた。生まれるのが早いか到着が早いかの戦い。
想定所要時間は、
①自宅@鹿児島→鹿児島空港:約1時間(バスもしくは自家用車)
②鹿児島空港→羽田空港:約2時間(飛行機)
③羽田空港→産院:約1時間(バスもしくは自家用車)
④各移動手段の乗り継ぎ・諸手続きの時間:約1時間
合計:最短でも5時間
その日の午後4時半ごろ、休日を謳歌していた夫は、日帰り温泉のサウナで整い、道の駅でオクラソフトを食べ、夕飯のアクアパッツァ用にウキウキで朝どれのトビウオとミニトマトを購入していた。
連絡を受けすぐに移動を開始。外出先で連絡を受けたので、想定所要時間に⓪道の駅→自宅@鹿児島:1時間 が追加。この時点での到着見込みは23時頃。
荷物を取りに一度職場に寄った彼は、新鮮なトビウオの譲渡に挑戦するが、同僚たちから丁重に辞退される。ウキウキで購入した新鮮なトビウオを駄目にさせてしまうのが申し訳なく、そのまま飛行機で持ってくることができるか陣痛の合間に調べた。きちんと梱包されていれば、飛行機に海産物は持ち込めるらしい。ANA 食品・飲料品(国内線) でも、冷静に考えてトビウオ君は冷凍庫行きに。
鹿児島空港のカウンターでの交渉で1つ便を早めることに成功。空港到着の20分後に出発する飛行機に乗る(すごい)。
結局夫は22時半に産院に到着し、子はその15分後の 22:46 に生まれた。夫はクライマックスの15分に、ギリギリ間に合った。
初めての
初めての点滴。特に説明もなくナチュラルに差し込まれた。得体の知れない何かを体内に入れられているのが少し怖かった。
初めての転倒。AM3時半頃、立ち上がろうとした次の瞬間、気が付いたら倒れていた。体の左側を下に床に倒れていて、唇の左側が切れ、左手の小指にかすり傷と打撲。なぜか右の額が痛い。初めてのナースコールは「倒れました」という報告。おそらく貧血か起立性低血圧?だろうとのこと。「ひとりで倒れた要注意人物」として病棟ナースたちにしっかりと引継ぎがなされることになった。
初めての入院。最初の晩は1時頃に病室に戻ったが、うまく眠れず、諦めてSpotifyでラジオを聞いた。聞きそびれていた星野源のオールナイトニッポンとニセ明のオールナイトニッポンの2本を、結局フルで聞き終わった。そのまま朝を迎え、一睡もできなかった。
ちょうどその週はオオタニさんのワールドシリーズの試合が毎朝放映されていて、毎日NYヤンキースとLAドジャースの試合をぼーっと眺めていた。おかげで「ボーク」という野球ルールを初めて学んだ。
初めての入院食。毎日、豪華な食事と3時のおやつが出てくるので、必死になって食べ続けた結果、口内炎ができた。3kg +α を体から排出したはずなのに、体重を計ると計算が合わず、入院期間中だけで明らかに増量した。
難産の呪い
出産の痛みについて、友人は皆「もう忘れちゃった」と言う。痛みレベルとしては青天井(想像を絶する)、1日2日くらいは苦しむことになる覚悟はしていた。でも忘れちゃうなら別に痛くてもいいかな。
実際は、正味陣痛を感じたのは19時頃からの3時間半強。思っていたより短い。陣痛はお腹がギュッと絞られるような感覚と、体内から盛り上がってくるエネルギーをなんとか抑え込む感じ。鋭い痛みというよりかは、鈍い痛み。思ったより大丈夫。終盤は全力で力むので、体中に力を入れすぎて、特に脚が生まれたての小鹿のようにプルプルになった。疲れた。
その昔伊豆大島を自転車で一周した際、通りすがりの島民のおじさんに「君は難産型の体形だね」と言われたことを10年以上心の奥底でずっと根に持っていた(もう一人の友人は「安産型の体形だね」と言われていた。いずれにしても失礼)。この度めでたく、長年の難産の呪いは解けた。
先生が時間をかけてせっせと縫合しているのを見ながら、医療介入のなかった時代の出産に思い馳せた。怖すぎるな。でも、先生は本当に最後の取り上げる瞬間(10分くらい)と、その後の縫合の処置にしか登場しなかったし、お産って根幹の部分は今も結構原始的なやり方なんだなとも思う。縫合の処置は局所麻酔をしてくれていたけど、ちくちくと縫い合わせるときの鋭い痛みが辛く、出産の痛みより嫌だった。
陣痛や出産のそのときの痛みより、10日ほど続いた、縫合した箇所の傷口の鋭い痛みが本当に本当に嫌だった。立ち上がるとき、座るとき、しゃがむとき、起き上がるとき、服を着脱するとき、股関節を動かすときはすべて痛みを伴う。退院後、傷口がMAX痛くなって退院翌日に涙目で産院に舞い戻った。ところが経過に問題はなく、追加のロキソニンを処方されただけで終わった。この痛みを痛み止めでやり過ごすしか術がないことに絶望した。
脆弱な生き物
10月29日、午前中に産後初めて息子と対面する。とても小さな生き物だけど、どう考えてもこれが自分のからだから無傷で出てこれるサイズではないと思った(実際無傷ではない)。
生まれて1日目の新生児はふにゃふにゃで、あまり泣かなくて、静かにミルクを吐き戻し、それを自力で対処する術もない。目を離した一瞬の隙に呼吸が止まっていないか不安になる。気が休まらなすぎる。なんという脆弱な生き物を生み出してしまったのか。あと数日でこの脆弱な生き物を家に持ち帰るという事実に震えた。
破裂しそうだったお腹は一晩にして小さくなった(それでもまだぽっこり出ている)。胎動を感じるようになってから約5か月弱、ズンドコ動くナカノヒトの動きを楽しく観察していた。突然予定よりも早く分離することになり、もう体内から動きを感じることはないかと思うと寂しい。こんなに脆弱な生き物なら、もうすこしお腹の中にいてくれたほうが安心とすら思った。
私は望んで子どもを生んだし、彼に会えてうれしいけど、彼は自らの意思とは無関係に生まれてきている。彼はこれから生きづらい世の中で生きていってもらわなければならない。(子どもを産むということは親のエゴ? このへんは『夏物語』を読んだときにすごく考えた。)
せめて、彼が生きるこれからの世の中がより良くなりますように。願わくは、なるべく愉快で楽しく生きられますように。