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若葉の香り

 春、草木が静かに芽吹きだし、田畑や野山が生き生きと萌えはじめる頃、どこからともなく漂うようにやってくる、若葉の香り。
 私は、幼いころからずっと、あの香りが苦手だった。
 うまく言えないが、若葉の香りと、体験した嫌な思い出とが重なり合って生じる、私特有の五月病だったのかもしれない。

 入園するとすぐ、年上の男の子からいじめにあった。言葉に託す知恵も勇気もなく、半年近く仮病をくり返し、渋々通った幼稚園。
 小学校へ入学してからも、すぐにまた新しいいじめに遭い、頼りの先生からは「男の子なんだから、がんばりなさいっ!」と一喝。夏休みが待ち遠しかった。
 中学入学時は、先輩と称する人たちが、やたらと大人に見え、その威圧感に、まともに会話すら出来ず、周りばかり気にして過ごしていた。
 高校生活の始まりは、理不尽な部活の練習について行けず、辞めていく仲間たちを、遠くから見送りながらスタートした。
ーみんな春だった。私の記憶にとどまり続ける、若葉の香りのする春だった。

 十代も終りかけの春、東京での一人暮らしが始まる。
故郷を離れた寂しさと引き換えに、味わったことのない自由と孤独。
 若葉の香りなど、感じている間もなかった。
 季節の移り変わりすら、感じている間もなかった。
 
 人波にもまれながら、自分の在り方を模倣し、都会の夜に夢を映し出すうちに、どうやら少しずつ私は変わっていったようだ。            
 
 今では、苦手としていた若葉の香りと出逢うと、香りの向こう側にいる<あの頃の自分>を懐かしみ「大丈夫、なんとかなるよ!」と、声を掛けたくなってくる。
 若葉の香りも、旧い友人との再会のようで、いつしか、心地好いものに変わった。
 

 

#創作大賞2024


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