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約36年前の宝物「マル秘ノート」


これは、私が小学校4年生の時の、担任の先生との交換日記的な㊙ノート。「社長」のところには、担任の先生のフルネームが書いてあります。
(個人情報なので、画像処理で見えないようにしています)

片付けられない性分は昔からで、未だにいろんなものを溜め込みがちとはいえ、さすがに小学生時代のもので意図的に残しているのは、アルバムや賞状くらいです。
このノートは、どうしても残したくて、ずっと大事に一番広い引き出し(← レターセット関連のものだけを入れている)の一番下にしまい続けていたもの。

私の記憶が間違っていなければ、ある日、先生はクラス全員にノート1冊を持ってくるように言われて、書きたいことを何でも書いて良い「㊙️ノート」を始めると宣言されたような……。
日付を見ると、4月の下旬から始まっていたので、きっと間違いないはず。

大人を言い負かすことばかり考えていた小生意気な児童相手に、長所を見つけては絶賛級の誉め言葉をたくさんかけてくださり、ノートに綴った日々の不平不満や、子どもなりに傷ついたやるせない悔しい出来事にも寄り添い、いつも全力で向き合ってくださいました。
多感な思春期に、嫌なことがあった時はいつもこの㊙️ノートを読み返しては、承認欲求を満たしていたものです。

中身の文章については、画像まで公開するのは控えます。
今の私もビックリなくらいの毒を吐きまくり、先生を相手に、授業のやり方についてエラそうなアドバイスまでしている始末(笑)。
さすがに、ちょっとお見せできません。

今みたいな少子化の時代ではなく、1クラス40名超の過密学級の時代。
本当に、大変な労力で向き合ってもらっていたんだなぁと改めて感謝です。

動物占いで「協調性のないひつじ」の私は、子どもの頃から文字通り協調性がなく、いつも「私は私」な生き方。
同年代の子とは話が合わないことも多く、大人と話す方がずっとずっと楽しくて、先生相手にも偉そうに言いたい放題言っては、たくさん困らせていたと思います。

今の時代、担任の先生のお宅にお邪魔するなんて、あり得ないことなのかもしれませんが、当時はクラスの友達と一緒に先生のお家に遊びに行かせてもらったことが2回ほどありました。今考えると、小さなお子さんが2人もいらっしゃったのに、よくOKしてくださったなぁと思います。
ちなみに、後にも先にも、他の先生のお宅を訪ねたことは一度もありません(笑)

親たちの話によると、代用教員?の立場で赴任されていたらしく(← 当時は言葉の意味がわからなかった)、担任だったのはわずか1年で、翌年には異動されることとなり、それはそれはショックでした。

あの1年間は特別で、本当にめちゃくちゃ楽しくて、細かいことまで鮮明に記憶しています。
特に、読書や音楽の楽しさを、教科書に縛られない形でたくさん教えていただきました。
そして、何よりも、いつも真剣に話を聞いて、よき相談相手になってくださいました。

これまでの人生で一番思い出深く、卒業後もずっと手紙や年賀状の交流を続けてくださった、恩師の先生。
社会人になってからも出していた年賀状を、いつしか出さなくなってしまっていましたが、記憶は色褪せることがありません。

なぜ、急にこんな話をしたのかって??
それは、6月14日(日)17時~再放送のラジオ「れもんのE-lemon」を聴いていただければわかります!
 ↓ ↓

■【真夜中のハローワーク】演奏を通じて成長に立ち会える喜び! ユーフォニアム奏者・川北朋さん
http://radiomix.kyoto/pgtopics/19805/

※放送の聴き方はコチラから♪
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https://radiomix.kyoto/listen/

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